ルイ・フランシス ⑩

     十


 オスカーの死から二年後のグルンステイン歴二七八年。

 エドゥアール王太子の結婚式が行われた。

 王太子妃となったのは、カラマン帝国の皇妹アリンダ・フォントノワだ。エドゥアールよりも一歳歳上の妃となる。


 この年、二一歳となる王太子エドゥアールは、眉目秀麗な青年に成長していた。

 父親譲りの豪胆さに母親譲りの美貌と相俟って、少年だった頃から各国からの縁談が後を絶たない。豊かなグルンステインの王妃となることも魅力的だが、何よりも美しく男らしいエドゥアールに恋焦がれる姫君達で溢れていたのだ。

 アリンダ皇女も、その一人だった。


 不定期に行われる『大帝国会議』。

 この時の『大帝国会議』は、先帝が亡くなり新たにカラマン帝国皇帝に即位したジュール四世を、『聖コルヴィヌス大帝国』の大帝として信任するか否かを決める会議だった。連邦国家『聖コルヴィヌス大帝国』の大帝は、代々カラマン皇帝が兼任している。その時の会議も形だけのものであり、各国の国主の満場一致でジュール四世が大帝国の大帝として即位した。


 エドゥアールとアリンダの結婚は、その会議後に催される皇帝主催の晩餐会で決まったと言っても良い。


 晩餐会に参加していたエドゥアールに一目惚れしたアリンダが、兄ジュール四世に嘆願し、妹を溺愛していたジュール四世が、その晩餐会の席でフィリップ十四世に口頭での申し入れを行ったのだ。

 後日、改めて交渉の場が設けられたものの、グルンステインとしてはカラマン帝国と姻戚関係を結ぶことに否やは無かった。


 輿入れにあたっての交渉は、澱むことなく流れるように進められた。

 そして、『大帝国会議』から半年後。グルンステイン王宮の大聖堂にて、二人の結婚の儀が執り行われることになったのである。


     *   *


 儀式に参列する為、ルイはシュトルーヴェ家へと帰ってきた。

 妻子を伴っての帰郷は実に五年振りだ。マティルダは八歳、夏に生まれたフランツは四歳の誕生日を間近に控えていた。


 フランツとカレルを引き合わせたのは、婚礼の饗宴の翌日だ。

 シュトルーヴェ家の庭で、フランツはマティルダに手を繋がれ、カレルはクレールに背中を押されて互いに向かい合った。


 家族の注目を浴びながらの初対面は、ぼちぼち上手くいったと言って良いだろう。人見知りをするカレルとは対象的に、フランツはカレルを目にした途端、笑顔でびょんびょんと飛び跳ねた。早く遊びたくて待ち切れないといった様子だ。

 そんなフランツの奇行に若干引き気味のカレルだったが、フランツが手を差し出して「あそぼ」と誘うと、両親と兄が笑顔で頷くのを確かめてから、おずおずと手を取った。


 フランツはカレルと手を繋ぐや否や、疾風の如く駆け出した。

 実際には短い足でバタバタ走っただけだが、庭園内に流れる人工の小川にカレルを連れて行くと、身振り手振りで何やら話したあと、二人はにっこりと笑い合って、一緒にしゃがみ込んだ。


 魚でも探しているのかな? 居ないのだがな、と大人達は微笑ましく見守る。


 こちらもこちらで、仲良く遊ぶ子供達を眺めながらお茶と菓子を楽しもうと、庭に用意された茶席に着いた。


「素晴らしい式だったな」

 ルイが言うと、アンリは紅茶に口を付けながら首肯した。

「ああ。カラマンの姫を伴侶にするのだ。陛下は若い夫婦の為にかなり奮発したようだ。皇帝の希望もあったらしいがな」

「仲の良い妹が外国に嫁ぐのだ。良い式にしたいだろう」

 結婚の宴は市井でも盛大に行われている。一週間は催される予定だが、国民のアリンダへ向ける歓迎は当面の間続くだろう。

「初夜もつつがなく行われた。あとは後継者の誕生を待つばかりだ」

 現在、フィリップ十四世の後継者はエドゥアール王太子だけだ。系図を辿って行けば、傍系にも王位継承の資格を保有する者は多く見付けられるが、現国王の直系はエドゥアール王太子ただ一人。

 フィリップ十四世としても、グルンステインの多くの貴族にとっても、王太子妃となったアリンダには早急に王子を出産してもらいたい。


「あとは、アデレード様だが……」

 アンリは妻オーレリーと顔を見合わせた。

 今年で二二歳となるアデレードはまだ独身だ。

 結婚を間近に控えた十七歳の初冬、アデレードは天然痘に罹患した。身体中に残った傷痕を侮辱されて御破算になった縁談は、これ以上に無いほどアデレードを傷付けた。

 それだけでなく、自分の婚姻の破談が最終的に戦争にまで至り、敵味方双方、多くの命が露と消えたこともアデレードの心を苛んでいた。


「もともと、アデレード様は大人しく、自己主張をする御方では無かった。御自分に自信が持てないというか……」

 そもそもの原因は、アデレードが置かれた環境にある。

 生母である王妃ヴィクトリーヌは、グルンステイン王国の男爵家出身だ。王宮庭園に居を構えることが出来る程度の力はあるが、それでも下位貴族の生まれだ。

 誰もが振り返るほどの美しい少女は、王妹であるフランセット──今はシャイエ公爵夫人──の侍女官として王宮で働いていた。その妹の侍女官に恋をし、手を出したのが若き日のフィリップ十四世だったのだ。


 反対する者は、特に高位貴族に多かった。

 例え同国の貴族であったとしても、貴賤結婚に他ならない。フィリップ十四世の妃には、対等な地位にある連邦国家内の国主の姫君がなるべきであったのだ。フィリップ十四世の妃候補として、プロイスラー王国の王女の名があがっていた。拡張を続けるサウスゼン王国に対抗する為だ。

 だが、二人はその政治的戦略に構うことなく、誰にも相談もせずに秘密結婚をしてしまった。その時には、ヴィクトリーヌはすでにアデレードを身籠っていたのだ。それが発覚した時、結婚の交渉に当たっていた重鎮は大恥をかかされた。

 それ故に、高位貴族からの不興を買ったヴィクトリーヌは、彼等から執拗な虐めを受けることとなったのだ。


 それはアデレードも同様だった。

 生まれた子が男児であればまだしも、強行した秘密結婚の果てに生まれたのが女児ならば、ヴィクトリーヌを後押しして美味い汁を吸おうとしていた下位貴族達の落胆と失望も大きかった。

 『売春婦の子』『庶子』『役立たず』と、寝返りを打つよりも前から謗られ続けてきたアデレードが、気弱になるのも致し方ないだろう。


 何の罪の無い赤子が甚振られる様を見咎めたシャイエ公爵夫人こと王妹フランセットが、兄に対する私心を抑え、自ら進んでかつての家臣の侍女官として傅き二人を守り抜かなければ、どうなっていたか分からない。


 フィリップ十四世としては、娘に幸せになって欲しい。

 どうにか、良い家を見付けて嫁がせたがっていたが、アデレードは「このように醜い自分を喜んで妻にしたい者などいるはずがない。どうか、そっとしておいて欲しい」と言って、頑なに縁談を断り続けていた。

「最近は修道院に入りたいと仰るの。王太子妃が定まったのであれば、自分が宮廷にいるのは尚更好ましく無い。先の戦争の死者と妹達の弔いをしたい、と……」


「両陛下はどうなさっているの?」

「国王陛下は反対なさっているわ。だけど、王妃陛下はアデレード様の御意志を尊重したい御様子なの」

 マルティーヌの問いに、オーレリーは悲しげに答えた。

 オーレリーはアデレードが今のフランツやカレルと同じ年頃から侍女官として仕えており、謂れのない誹謗を受けるアデレードを庇い続けて来た。この中の誰よりも、アデレードの幸せを願っている。


「だが、アリンダ妃殿下が越された。二人は同じお年だ。華やかな性格の妃殿下と接していれば、きっと前向きになると陛下は希望を持っておられる」

 アンリはそう言ったが、言葉ほど表情は明るくない。オーレリーもまた、憂鬱な表情を湛えていた。

 その意味を、ルイとマルティーヌはすぐに察することは出来なかった。

 黙って大人達の話に耳を傾けていたマティルダとクレールも、顔を見合わせて不思議そうにしている。

「何か……」

 何かあったのか。そう問おうとした時だ。

「姉様、これあげる!」

「カレルも、にいさまにあげる」

 いつの間にか茶席にやってきたフランツとカレルが、それぞれの姉と兄の紅茶の受け皿に土産を置いた。


 その土産に一時いっとき、場の空気が止まる。

 ゲロリと、マティルダの皿に乗せられた緑の蛙が鳴いた。クレールの皿には、その子供なのか脚の生えた小さなオタマジャクシがピチピチとのたうつ。力の加減を間違えたのか、可哀想に一匹潰れて死んでいた。


 マティルダは声にならない悲鳴をあげて、隣にいたルイにしがみ付いた。その際、卓にぶつかり注がれたばかりのマティルダの紅茶がひっくり返った。マティルダを守ろうと咄嗟に出したルイの手が、こぼれた熱い紅茶を被る。

「熱っ」

 紅茶は蛙にもかかり、吃驚した蛙が飛び跳ねてオーレリーの手に乗った。

 ヒュッと喉の奥を鳴らしたまま身動きが取れなくなった妻の手から、アンリが素早く蛙を払った。蛙は遠くに飛んで行き、綺麗に刈られた芝生に落ちる。

 そして、そのまま何処かに行ってしまった。


「あーっ、逃げた!」 

「フランツ! 女性は蛙が苦手なんだ。こんな悪戯はやめなさい!」

 まして、お茶の席である。


 紅茶が掛かった手は、マルティーヌが水をたっぷり含ませたハンカチを当ててくれた。幸い赤くなっただけで、痕に残るようなものではなさそうだ。

 傍らではアンリがカレルのおでこを指で突いて注意し、クレールが憮然とした顔でオタマジャクシが乗った皿を手に人工の小川へと歩いて行く。


 ルイに叱られて、フランツは見るからに元気を無くしてしまった。

 とても深刻な顔をする息子の姿に、少々強く叱り過ぎてしまったかと反省した時だ。

「分かった! じゃあ、今度はバッタ捕まえてくる!」

 バッタなら良いよね!

 そう叫んでくるりと身を翻したフランツの襟足を捕らえ損ねたルイは、がくりと膝から崩れ落ちた。


     *   *


 子供が生まれると、時間の流れは恐ろしく速くなる。

 翌年の二七九年、八月。エドゥアール王太子に第一子シャルル王子が誕生した。


 同年の十月、ルイとマルティーヌの間にも三人目の子供が生まれた。

 三人目の子は、ルイと同じ明るい金髪に翠の瞳の男の子だったが、顔立ちはマルティーヌによく似ていた。アンドレと名付けた。

 アンドレは男爵領ではなく王宮庭園のシュトルーヴェ伯爵邸で生まれた。

 フランツが五歳になったので、王都の幼年学校へ通うためにマルティーヌと子供達は、事前にシュトルーヴェ家の屋敷に入ることになったのだ。


 正直、ルイは不安で一杯だった。

 ロザリーヌによる妻や子供達への嫌がらせが、また始まるのでは、と思ったからだ。今度は、自分は傍に居てやれない。

 だが、意外にもロザリーヌはマルティーヌ達を虐めるようなことはしなかった。理由は子供達だ。


 シュトルーヴェ伯爵家へ戻ってきたマルティーヌは、シャイエ公爵家のお茶会にロザリーヌと共に招待され、請われて子供達も連れて行った。そこで、マティルダの作法の美しさと、子供達同士で起こった喧嘩をフランツが機転を利かせて上手く収めたことを、多くの高位貴族の夫人達に褒められたのだ。


 ロザリーヌはそれが嬉しかったようで、帰宅するとマティルダに新しい髪飾りを、フランツには五歳の子供が乗れる大きさの馬を買う約束までしたのだと言う。

 特に、ルイの幼少期に似ていたフランツは、それだけでもロザリーヌの機嫌を良くした。もはや、マティルダを下賤に売り渡そうとしたことなど忘れて、好い祖母の振る舞いだ。

 兄であるカノヴァス公爵が家督を長男に譲り領地に隠遁して以降、梯子を外されて焦ったのか暫く大人しかったが、態度は相変わらず横柄だ。心を入れ替えたとは到底思えない。

 ルイとしては、かなり腑に落ちない。


 アンドレが生まれた頃、レステンクールの王女ルイーズがカラマン帝国の公爵家に嫁いだ。

 エドゥアールがアリンダと結婚したことを「約束が違う」として、東部国境で再びレステンクール王国との小競り合いが多発していたが、勝手に収まった。

 一体、彼等は何なのだろうと改めて疑問に思う。


 六歳になったフランツは、毎日楽しく幼年学校に通った。同時に、毎日のようにローフォーク家に遊びに行き、カレルもシュトルーヴェ家へと来た。

 七歳になると、次女のアレクシアが生まれた。

 明るい金髪に翠の瞳。ルイに似た顔立ちの女の子だ。

 九月になると、カレルも幼年学校に通うことになった。フランツとカレルは、時々示し合わせて一緒の馬車で通っていたようだ。


 そして、同年の十二月。

 カラマン帝国で行われた年末の祭祀の期間の最中、カラマンの公爵家に嫁いだルイーズ王女が死んだ。

 雪の降る日、散歩に出ていた庭の階段で足を滑らせての転落死だ。その身には、夫となるメロヴィング公爵の子を宿していた。


 このルイーズ王女の死は、翌年の『レステンクール包囲戦争』の引き金となった。

 

 



                            十、終わり


 

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