第十一話

第十一話〜①

 現在のカラマン皇帝は、二度結婚していた。

 最初の妻はショワズール王国の王女だったが、この王女は二人の皇子を産んだのち、三人目の出産の際に難産の末に母子共に亡くなっている。


 二人目の妻には、北東の国エウヘニア大公国の公女が選ばれた。

 前妃の皇子達が幼く、まだ母親を必要とする歳であったことから新たに娶った妻であったが、子供達との折り合いは非常に悪かった。早々に懐妊し皇子を産んだことで、我が子に皇位の野心を抱くようになったのだ。


 第三皇子を皇太子に擁立したい皇妃派と、確かな執政能力を示している第一皇子派との間で激しい後継者争いが行われていることは、連邦国家内では周知の事実だ。

 エウヘニア大公国とショワズール王国の大使が、特に対立を煽動していると言っても良い。


 それでも『皇帝陛下』という緩衝帯が在る内は、まだ良かった。

 間諜の報告によると、ある肌寒い日の朝に目覚めた皇帝は、起き上がった直後に不意に頭痛を訴えたのだという。

 それから、急に意識を失って目覚めないまま、今日に到っている。


 皇帝の昏絶こんぜつを境に、皇妃派の貴族達は雪崩の如く動き出した。

 先ず、皇妃は憲兵隊を動かし、第一皇子派の一人を詐欺の罪で捕らえた。そこから芋蔓式に様々な人物の様々な犯罪が明らかにされ、今は第一皇子の側近の妻の不貞から、第一皇子妃の不倫にまで追求が及んでいる。

 第一皇子の妃が特定の女性侍官等と定期的に夕方から外出するのを、「女達がこぞって男娼館へ赴き淫らな遊びに耽っている。それを率先して行なっているのは第一皇子妃だ。淫蕩な女が産んだ子等は皇子の子ではなく、数多いる間男の子供だ」と叫びたてたのだ。


 勿論、全てが皇妃派によるでっち上げだ。

 第一皇子妃の外出が慈善活動の一環で、孤児院の子供達に食糧支援を行い、眠るまで絵本の読み聞かせをしていることを、第一皇子も承知しているのだ。第一皇子と妃の間に産まれた子供達も、自分の特徴を受け継いでいて、疑う余地など何処にも無い。

 皇妃派の汚いやり方に、第一皇子妃は憤慨するあまり眩暈を起こして倒れてしまった。


 皇妃の攻撃は、第二皇子と妃マリーにも向けられることとなった。

 以前から、皇妃とその一派は、二人の皇子の伴侶が共に国力の高い国家の王女であることが面白くなかった。

 それぞれが、皇位に向けて強力な後ろ盾を得ている状態だからだ。

 第一皇子の妃はサウスゼン王国の王妹。

 第二皇子の妃はグルンステイン王国の孫王女。

 経済力も軍事力も、大公国とは格が違う。


 一時いっときは、妃達に個別に接触を持ち相手の悪口を吹き込むことで、兄弟を仲違いさせようと試みたりもしたが、気性の強い義姉妃は最初から義母と反りが合わず、カラマンにやって来た時から意地悪に遭っていたマリーも、皇妃派の思惑に乗ったりはしなかった。


 妃達に明確な悪意が向けられるようになったきっかけは、マリーの妊娠だ。

 第一皇子にはすでに息子が二人。このうえ、マリーが男児を産めば、第三皇子の皇位への序列はさらに下がることになる。第一皇子の子でさえ邪魔であるのに、これ以上の障害物は排除の対象でしかない。

 それが分かっていたから、第二皇子はマリーを地方の城に避難させた。

 マリーも城の奥で息を潜めて、自らの妊娠をひたすらに隠して過ごしていたのだ。


 だが、何処からか情報が漏れた。

 これまで、マリーはお腹の子共々、命の危機に幾度も遭遇していた。義姉妃と子供達も短い期間に何度も刺客に襲われている。

 皇帝が倒れてから、それは著しく増加していた。


 第一皇子と皇妃の権力争いは激しさを増した。

 第一皇子派の家臣達の苛立ちは、極限まで高まっていた。もし、妻子達の誰か一人でも命を失おうものなら、一気に内戦に突入してしまう。

 皇子二人は、それだけは避けたいと考えていた。

 消極的で臆病と嘲ける者もいるだろう。

 だが、内戦が始まれば、必ず皇妃の背後に立つエウヘニア大公国が軍を押し進めてくる。すでに彼の国では国境付近に軍を展開しつつあるとの情報が入っていた。


 エウヘニアが動けば、次に行動を起こすのは、先妃を出したショワズールだ。自らの血統である二人の皇子の内のどちらかを、次代の皇帝にしたがっている。

 それはサウスゼンも同様で、第一皇子が皇位に就けなければ、サウスゼンの血統である二人の子等の皇位が遠退くのだ。

 そして、サウスゼンが動けば、マリーを嫁がせているグルンステインも、動かないわけにはいかなかった。


 カラマン帝国を舞台に、五ヶ国の思惑が絡んだ戦争が勃発する。

 どんなに目を背けても、その犠牲になるのはカラマンの国民であり、国土だ。

 そこで、皇子達は妻子をそれぞれの祖国に、交渉役として送り出すことを決めた。混乱に乗じての武力侵攻を控えるように、国王達の説得を頼んだのだ。

 そこには、カラマンの問題はカラマン国内で必ず解決する、という強い意志があった。

 皇子達の指示で整えられた馬車に乗り、第一皇子妃と子供達はサウスゼンへ。マリーはグルンステインへと旅発った。


 先んじて、グルンステインのカラマン大使へはその旨の手紙を送っていたが、手紙とマリーの到着はほぼ同時だった。その為、カラマン大使はフィリップ十四世に、受け入れの相談をすることが出来ず、慌ただしい緊急の謁見となってしまった。

「帝国の内情がここまで悪化していたとは、気付きませんでした。恐らく、帝国内にいる各国の大使も同様でしょう」

 今はどちらが優勢なのか、それすらも分からない。


 だが、やがて情報は漏れ出てくるだろう。

 シュトルーヴェ伯爵がそうであるように、各国は大使以外にも独自の情報網を持っている。ごく一部の人物のみが知っていた皇帝の病臥が、連邦国家全体に知れ渡るのも時間の問題だ。

 カラマン皇帝の地位を獲て、国内を掌中に収めるのはどちらか。

 どちらを支持すれば利益を得られるのか。

 虎視眈々、口端に笑みを浮かべて舌舐めずりをしている者どもの姿が目に浮かぶ。

 カラマン大使は項垂れて、己れの不甲斐無さを嘆いた。


「お祖父様」

 マリーは懐から一通の手紙を取り出し、大使に託した。

 手紙は宰相グラッブベルグ公爵を介し、国王へと渡る。

 フィリップ十四世は、その手紙を広げてすぐに、両目を見開いてマリーを凝視した。


「これは、皇帝陛下の意志ではあるまい。皇帝陛下がこれを許すわけがない」

「はい。私と夫、そして、兄君夫婦の四人で充分に考えた結果、出した答えです」

「皇帝陛下が意識を取り戻された時、これを知ったらどう思うか。カラマンのグルンステインへの影響力を下げることになる」

「カラマン帝国の次代皇帝陛下がグルンステインに望むのは、善き同盟国としての関係の維持です」

 マリーは背筋を張り、毅然とした眼差しで祖父王を見返した。


「私がここへやってきたのは、グルンステインがカラマンへ侵攻しないように交渉するためだけではありません。第一皇子ジュール殿下は、私に、グルンステインでの王族としての権利を放棄するよう求められました」

 室内が一斉にどよめいた。


 カラマンの大使でさえ想定外だったのか、驚愕を浮かべてマリーを見ていた。

 騒めきが止まぬ中、マリーは話を続ける。

「グルンステインでは、王族の娘はその権利、特に王位継承の権利を放棄してから外国に嫁ぐのが慣例でした。ですが、私の時にはやむを得ぬ事情があった。その結果、カラマンは私が産んだカラマン皇族の男子を、グルンステインの王に据える権利を得たのです。

 現カラマン皇帝は、我が兄シャルルとアン王女殿下の結婚を認めはしましたが、その本心では二人の間に男児が産まれることを望んでいません。求めるのは女児のみ。その女児に私の産んだ男児を婿入りさせ、グルンステインを傀儡化し、ゆくゆくは吸収してしまおうと目論んでいました」


 平和的に、武力を用いず、グルンステイン王国をカラマンで侵蝕してゆこうとしていたのだ。


「ですが、王子が産まれるか王女が産まれるかなど、神にしか判りませぬ」

「ええ、その通りです。ですから、実際にはどちらが産まれても構わないのです。私が産んだ子がいるのならば」

 マリーの産んだ子が女児ならば嫁がせ、男児ならばシャルルの子を排し、玉座に座らせれば良い。男児であれば、よりやりやすい、と言うだけの話なのだ。

「いっそのこと、出産を理由に母子共にその場で亡き者にすることさえ、皇帝陛下は御考えでした」


 コルキスタとの間に『不可侵条約』さえ結んでしまえば、グルンステインの後継者を産むであろうアン王女は、カラマンにとって不要な存在だ。何処かで死んでもらう必要がある。

 だが、結婚してすぐではあまりにも不自然で、違和感がある。死因にも目を向けられるだろう。

 アン王女の不審死に嫌疑を掛けられるのが、嫁ぎ先のグルンステインであっても、後々に面倒ごとを引き起こすような死に方は避けたい。


 誰もが納得し、簡単に追求を諦めるのが、出産が絡んだ死なのだ。

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