第十一話〜②

 難産でもいい。産褥熱でも構わない。


 何年後かに、二、三人目の出産の際に、宮廷医師に金を握らせれば証拠も残さずに殺害出来る。

 すでに子供がいるのなら、後添いをもらう必要性もない。そして、邪魔になってきた頃に、その子にも死んでもらえば良いのだ。


『お前の子がグルンステインの王になるのだ。嬉しいだろう、マリー』

 皇帝は、青褪めるマリーや皇子達の前で、清々しい笑顔でそう言い放った。


「皇帝陛下はとても恐ろしい御方です。陛下は私を大変可愛がって下さいましたが、それは私が母アリンダに似ているからに他なりません。陛下は私とお会いするたびに、私の髪色と瞳の色が母と違うことを残念がっておりました。『せめて瞳の色が同じなら、お前はアリンダなのに』と」

 膝の上に重ねられていたマリーの手が握り込まれた。身体の震えを必死に抑え込もうとしているかのようだ。


 現皇帝の支配欲は、純粋なほどに兇猛だ。

 欲しいと一度でも思ったら異様な執着心を見せ、反面、興味を失えばその存在があったことすら忘れる無関心さ。

 二人の皇子はその無関心の犠牲者で、現皇妃に受けた虐待を訴えても対処されることはなく、実妹に似ていたマリーは執着心の犠牲者だった。

「私は、皇帝陛下に母の面影を見るのです」

 その一言だけで、カラマン帝国での日々を垣間見ることが出来た。


 気持ちを落ち着かせる為か、マリーは長く息を吐き出した。

「私達は幼き頃より同志でした。十年以上もの間、帝国の深淵からお互いを守り合ってきたのです」

 兄弟とマリーの絆は強い。

 兄である第一皇子は弟と弟の婚約者を守り、弟である第二皇子は皇妃の最大の攻撃対象となっていた兄を支え、婚約者であるマリーを庇い続けてくれた。

 そんな姿を見ていて、敬意を抱かないはずがない。


「我が夫である第二皇子レオナール殿下は臣籍降下をし、皇位の継承候補から完全に退きます。私と夫は家臣として、ジュール五世とその皇妃を誠心誠意お支えすることを決意しました。これは、カラマン帝国からこれ以上の継承問題を無くすことで、これ以降に起こり得る連邦国家内の内紛を排除する事が目的です。

 そして、兄君は自身が皇位に就いた暁には、改めてグルンステインを含めた各国との間に、時代に則した同盟協定を結び直したいと仰られました。特にグルンステインとは、十二年前の事件で生じた不和を正したいと御考えなのです。私のグルンステインでの権利の放棄は、その意思の証明の一つです」

 室内は静まり返った。


 マリーを通して宣言された、第一皇子の真の意図を探っているかのように、閣僚達は思考に耽っている。

 やがて、財務大臣スティックニー侯爵がマリーに問うた。

「不和を正したい、ということは、十二年前の事件の責任を金輪際問わない、と解釈しても宜しいか」

 マリーは確かに頷いた。


「そうすれば、グルンステインが長年に渡って過剰に払っていた連邦国家維持の為の加盟金も、減額ということで構いませんな?」

 それにカラマン大使が焦りの表情を浮かべてマリーを見た。

 マリーは再び頷き、

「兄君は加盟金は罰金ではない、と仰られました」

 これにスティックニー侯爵は口端を引き上げた。


 今度は別の大臣が手を挙げた。

「臣籍降下ということですが、それでは我等が王家の血筋が皇位に就くこともない、という事になり、引いては第一皇子妃の出身国であるサウスゼンの台頭を許すことに繋がる。サウスゼンが力を持てば、あらゆる面で我が国にとって不利益が生じませんか?」

「帝国内の混乱を鎮める事は、連邦国家全体の平和に結び付くと存じます。それにグルンステインは、サウスゼンが多少力を伸ばしたところで、簡単に揺らぐ国ではないと確信しています」


 また、アンデラとの海上交易の権益を争うサウスゼンにとって、グルンステインはアンデラの後背の脅威であってもらわなければならない。今のサウスゼンは、どちらかというと自国より東部へ勢力を伸ばすことを目標にしている。


「サウスゼンに向かった義姉妃が、それらの説得をして下さいます。義姉妃にとってサウスゼンは強力な後ろ盾ですが、いずれ皇妃となられる義姉妃は夫の権威を妨げる可能性のある国家を、特段優遇するつもりは御座いません」

 第一皇子の妃は、気が強い女性にょしょうのようだ。


「夫の継承権の放棄は、今後起こり得るグルンステインとサウスゼンの、帝国における権力争いを未然に防ぐことになります。それはこの国での、私の王族の権利の放棄によって訪れる平和と同じ意味を持ちます。

 あなた方は、この争いの中で、あわよくば兄君と第三皇子が共に滅ぶことを期待しているのでしょうが、兄君にもしものことがあってもなくても、我が夫は私と子供を守る為に皇位への継承権を放棄致します。そして、グルンステインもサウスゼンもエウヘニアもショワズールも、どの国とも繋がりのない皇族の誰かが皇帝位に就くことになるでしょう。

 ただ、兄君はこうも仰いました……」


 マリーは、グルンステインの閣僚達に深い青い瞳を向けた。

「実際に私の権利を放棄するか否かは、グルンステインの出方次第で、私の一存で決めて良い、と。何しろ、お祖父様が懸念しましたように、これは現皇帝陛下の意思では御座いませんから」

 そう言ってたおやかに微笑んだマリーに、閣僚達は鼻白んだ。


 ただ一人、シュトルーヴェ伯爵だけが、声をあげて笑い出した。

「何が可笑しいのです、シュトルーヴェ伯爵」

 カラマン大使が苛立ちを込めて叱責した。マリーも、眉間に皺を寄せて伯爵を見ていた。

 ただ、王太子シャルルはやがて得心したように頷くと、妹の手を取り寄り添う。

 フィリップ十四世は額に手をあてて長息した。

「ああ、これは失礼を」

 笑い過ぎて目尻に滲んだ涙を拭い、伯爵は息を整えてから答えた。


「貴女様は、すっかりカラマンの妃の一人となられたのですな。要請、見返り、脅迫。皇族としてのカラマン帝国の為の交渉、見事で御座いました。ですが、第一皇子殿下の望みを、貴女は達成させることは出来ますまい。第一皇子妃にしても然り。外国との交渉を行うにしては、貴女様も殿下方も、いまだ未熟で御座いますな」

 途端にマリーは顔を真っ赤にして眉を吊り上げた。

 それを、伯爵は歯牙にもかけない。


「まず、後継者が定まっていない内に、このような取引を独断で持ち掛けるということを、第一皇子殿下を支持するカラマンの諸侯方は御存知なのでしょうか」

 この問いに、マリーは答えられなかった。

 それだけで、誰にも伝えていないのだと分かる。

 第二皇子の継承権放棄も、マリーの王族の権利放棄も、本当にたったの四人だけで話し合い、決めたことなのだろう。


 第一皇子派には、実際には第一皇子ではなく第二皇子を推している者達も含まれているはずだ。第二皇子の臣籍降下は、そんな彼等の期待を蔑ろにする。

 マリーの件に関しては、特にカラマン帝国の長期的な政治戦略だ。

 勝手に覆されては困る。

 場合によっては、現皇帝への叛意と受け取る者もいるだろう。


 伯爵の質問に対するマリーの反応は、皇子達の志を相談できる信頼出来る家臣が少ない、という現実を知らしめるものであり、つまるところ、帝国内での第一皇子派の勢力が劣勢に立たされているという証左だった。


「恐らく、皇妃側はそれを見逃さないでしょう。そうすれば、グルンステインに影響力を持ちたいカラマン諸侯は、一斉に皇妃派に寝返る。第二皇子でさえ、皇位の放棄を宣言なさったところで、さて、皇妃陛下は御許しになられますかな。我々は今得たこの情報を、皇妃陛下に売ることも出来るのです」

 たちまち青褪めたマリーを見て、伯爵は薄く微笑んだ。


「さらに、何故貴女が交渉の場に出られたのか。確かに印象は強い。陛下や王太子殿下の御心を動かす事が出来るでしょう。ですが、この場にいるべきではなかった。

『貴女はグルンステインに辿り着けなかった』。

 そういう事にして、このまま貴女を軟禁し、我々は何も聞かなかったことにもできるのです。『交渉』という事に関してだけならば、貴女は大使に一任し、大使館にて身を潜めるべきでした。我々グルンステインとしては、カラマンの内戦は結構な事だ。十二年前に貴女の持参金の一部として割譲した旧レステンクールの土地を取り返す、絶好の機会が訪れるのです。そこにサウスゼンが参戦するのであれば、ついでに彼の国の土地の一部も頂きましょう。もしくは情報操作で参戦国各国を裏で煽り、共倒れを狙っても良い。

 お忘れかもしれませんが、シャルル殿下は貴女様と同じアリンダ殿下の御子。帝国の皇位継承権をお持ちなのです」


 グルンステインにとって、カラマンの皇位に就くのはマリーの子でなくとも良い。


 恐らく、誰もが失念していたことであろう。

 カラマンは皇位の優先順位は男子だが、女子の皇位継承も認めているのだ。過去に一人だけ、中継ぎではあるが女皇帝もいた。

 シャルル自身も、アッと小さな声をあげて驚いていた。

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