第十一話〜③
妹可愛さのあまり、カラマン皇帝は帝国における権利の全てを保有させたまま、妹をグルンステインに嫁がせていた。
「サウスゼンのコンスタンス女王も然り。貴女方は我々を舐め過ぎだ。いや、それこそがカラマン皇族の有り様とでも言うべきか」
思惑の悉くを簡単にひっくり返された上で、不敬を越えて侮辱にもとれる発言の数々に、マリーは真っ青な顔で戦慄いていた。
怒りとも絶望ともとれる複雑な様相で、それでも気丈に口を引き結んで伯爵を睨む。
伯爵はそれが面白くて仕方ないといったように、変わらず満面に薄い笑顔を貼り付けていた。
フィリップ十四世は大袈裟に溜息を吐いた。
「伯爵、それくらいにせぬか。見ていて不憫だ。我が孫娘をあまり揶揄うでない。身重なのだぞ」
国王の窘めを受けて、伯爵はようやく表情を引き締める。
マリーに謝罪の言葉を述べるが、カラマンの第二皇子妃は強張ったまま伯爵を睨み続けていた。
フィリップ十四世は何度目かの溜息を吐き出し、椅子の背凭れに身を沈めて瞼を閉じた。
「マリー」
ゆっくりと瞼を開くと、マリーに語りかける。
「マリー。本当の気持ちを素直に晒しなさい。ここはそなたの生まれた場所だ。敵など居ようものか。確かに、このように性格に難のある家臣もおるが、ここにいる者達は、皆、そなたを守るためにすでに心を一つにしておる」
マリーは、吊り上げていた眉尻を下げて祖父王を見た。
フィリップ十四世は一つ頷き、両目を細める。
「よく無事で戻ってきてくれた。心細く、恐怖に駆られた旅路を、子を守り、よく耐えた」
マリーの手が、もういつ生まれてもおかしくない大きな腹に添えられた。
身を潜める暮らしを始めてから、夫にも触れてもらえなくなった我が子がいる腹だ。
横を向くと、実兄シャルルも深い青い瞳を優しく細めている。
「おかえり、マリー。もう、大丈夫だよ」
変哲もなく、奇を衒ってもいない朴訥な言葉が、
頬に涙が伝っていると気付いたマリーは、押し込めていた感情が破裂したかのように、声をあげて泣き出した。
抱き締め合う兄妹の姿に、フィリップ十四世は目頭を押さえる。
室内では、閣僚達もまた、幼くして人質に出され、苦難の日々を送っていたマリーへの想いで涙を滲ませていた。
そんな人々の中で、シュトルーヴェ伯爵はグラッブベルグ公爵を見ていた。
指先で涙を拭う国王に、労りの言葉をかけながらハンカチを差し出す公爵は、実に優しく穏やかに、マリーが戻ってきた喜びを分かち合っていた。彼こそ、実の娘を誘拐された親だというのに、そのような素振りなど微塵も見せない。
だが、渡したハンカチで国王が涙を拭く僅かな瞬間、マリーを睨み付ける公爵の険しい眼光を、伯爵は見逃さなかった。
* *
閣僚達による御前会議の結果、グルンステイン王国は、マリーの身の
勿論、第二皇子には無事を伝えるつもりだが、同時に『マリーはグルンステインに辿り着けなかった』という情報も流し、皇妃陣営はもとより、周辺国のカラマンへの動向とカラマン国内における第一皇子陣営の動きも見定める必要もあるので、その時期も慎重に計らなければならない。
マリーは、アン王女と共に王宮の離宮で匿われることになった。
アン王女に下賜された離宮に身を潜める理由は、至極単純だ。
離宮はすでに充分な警備体制が整っていること。最高位の高貴な身分であるアン王女がいることで、多くの世話係の貴婦人達もまたそこで起居していたことだ。
木を隠すには森の中に。
貴婦人を隠すには貴婦人の中に。
これを快諾し、マリーを受け入れてくれたアン王女には、感謝をするばかりである。
問題だったのは、潜伏期間中の侍女官の補充だった。
アン王女に付けられた侍女官は勿論、マリーの世話係達も当然ながら口の堅い忠誠心の厚い人材が求められた。そこで国王が、閣僚の娘達の中から歳の近い令嬢を数名推薦したのだ。
その中にはシュトルーヴェ伯爵の娘であるアリシアと、スティックニー侯爵の娘であるブロンシュも含まれていた。
ところが、マリーはそっぽを向いた。
マリーのシュトルーヴェ伯爵への印象は最悪だったのである。
シャルルとフィリップ十四世が説得をするも、頑として首を縦に振らなかった。
アリシアの人格に信頼をおくフィリップ十四世としては、軍務大臣の娘である彼女こそ、マリーの傍に置きたかった。王太子妃付き侍女官長であるマルティーヌとも、連携が取り易くなるからだ。
兄と祖父は困り果て、伯爵は恐縮した。
そんな時、アン王女がマリーに耳打ちをした。
『男装の令嬢に興味はないか?』と、マリーに囁いたのだ。
きょとんと目を丸めるマリーに向かい、アン王女は続ける。
その男装の令嬢は、栗の実色の髪、栗の実色の瞳のとてもとても可愛らしい少女だ。現在、伯爵家にて引き取られているが、訳あって軍隊で働いていると言う。噂によると、王都の軍施設で大隊長の従卒を務め、軍服を身に纏い、日々、鞠のようにてんてんと施設を駆け回っているのだそうだ。
実は、自分も王都を通った際に少女を見掛け、とても驚いた。
本当は離宮に招待してお話をしてみたいが、平民という事でなかなか切っ掛けが作れなかった。少女はシュトルーヴェ伯爵令嬢と、嫡男夫人に大変懐いているらしい。
もし、マリー様がその少女に興味がおありなら、ここは一つ、伯爵に取引きを持ち掛けましょう。
『エリザベス嬢が一緒であれば、伯爵令嬢と嫡男夫人が仕えるのを赦しましょう』と。
そうして微笑むアン王女の背後には、澄ました顔の侍女官長マルティーヌが立っていた。
「つまり、お父様は足元を見られたワケね?」
愛娘から非難の眼差しを向けられた伯爵は、小さく肩を窄めた。
王宮の離宮の廊下を歩きながら、エリザベスはブロンシュと目を合わせて、戸惑いの表情を浮かべた。
少女をここまで連れて来てくれたフランツも呆れていて、父親を庇う気配は無い。
「大変な思いをして祖国に助けを求めてきた殿下に、私達と同じように人試しなんてするから嫌われてしまうのよ。お父様に悪意は無くても、嫌な気持ちにさせられた相手が心を閉ざすのは当然だわ。お父様ったら、もうアン王女様にもマリー皇女様にも頭が上がらないわね」
「全くだ。どなたかのお陰で、我が娘もとばっちりを受けた。貴方の所為で、ブロンシュが正当な評価を得られなかったらどうしてくれる」
伯爵の隣で、ブロンシュの父スティックニー財務大臣も、冷たい目で伯爵を見下している。
「侯爵様、お義姉様なら心配は要りませんわ。マリー様は必ずお義姉様に御心を御許しになりますわ。私達もお義姉様とお話をしていると、気持ちが穏やかになるもの。むしろ、問題は私よ……。きっとお父様の所為で私の印象も最悪だわ」
うーん、とアリシアは考え込んだ。
「大丈夫よ、アリシア。貴女の優しさはきっと皇女殿下の強張った御心を解かすわ。ねえ、リリー」
「はい! アリシア様もブロンシュ様も、私、大好きです!」
素直に受け応えるエリザベスに、伯爵とフランツは「そうだとも」と、にっこり微笑み、スティックニー侯爵は複雑な顔になった。
「君は一番に迷惑を被っている被害者なのだが、その認識は無いのかね」
そう問い掛けられるが、憧れのアン王女に会えることが嬉しいエリザベスは、全く気にも留めていなかった。
そうこうしている間に、エリザベス達はマリーとアン王女が待つ部屋の前に到着していた。フランツと伯爵はここまでだ。スティックニー侯爵が退室するまで、廊下で待機することになる。
フランツは、しばしの間、離れて暮らすブロンシュを優しく抱き締めた。
室内にはすでに他の閣僚達と令嬢達が居た。
彼女達はマリーとアン王女への挨拶を先に済ませていたようで、アン王女の侍女官達と対を成すように、マリーの背後に立ち並んでいた。内務大臣の娘であるウジェニーが、エリザベス達に小さく手を振っている。
「財務大臣ユルバン・スティックニー侯爵で御座います。我が娘ブロンシュとシュトルーヴェ伯爵令嬢アレクシア嬢、そして伯爵家の被後見人エリザベス・コールを連れて参りました」
スティックニー侯爵が深く一礼するのに合わせて、アリシアとブロンシュは屈膝礼を、軍服のエリザベスはペチコートの代わりに上衣の裾を掴んで膝を屈めた。
顔を上げると、貴婦人が二人、長椅子に座っていた。
向かって右側の女性がアン王女だ。御披露目で拝見した蜂蜜色の髪に明るい青い瞳をちゃんと覚えている。
そして、左側の女性がマリー皇女なのだろう。傍らのフィリップ十四世、シャルル王太子と同じ、くすんだ金髪と深い青い瞳が、それを証明している。
姫君二人は顔の下半分を扇子で隠し、品定めをするように三人の娘達を見ている。だが、二色の青い双眸は、好奇心に満ち満ちていて、勘違いではなく視線の主な先はエリザベスに向いていた。
きっと隠された口元は、うずうずしているに違いなかった。
ここに来て、エリザベスはやっと自分に求められている役回りを察した。
それに怖気付くと同時に、ちょっとくらい文句を言っても良いかしら、とエリザベスは今更ながら、伯爵に腹を立てたのだった。
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