ルイ・フランシス ⑧

     八


 男爵領に戻ってから、ルイは人を使い母の動向を調べさせた。

 その結果、父ギュスターヴが警告していたような、結婚相手捜しは行われてはいないことが分かった。

 代わって発覚したのは、より悪質だ。


 ロザリーヌが画策していたのは、マティルダの養子縁組だったのだ。

 現段階で、すでに幾つかの養子先の候補が分かっている。

 王都の富裕層の家庭。妻を早くに亡くした地方貴族。最後は、新たにグルンステイン領となったグリュオの商人だ。このグリュオの商人が、最有力の養子先だ。


 グリュオの商人は、職業の斡旋事業を行っていた。

 レステンクールの貴族と繋がりが強く、かなり裕福な家柄だ。グルンステインが領地割譲を行うにあたって支店を建てて、地元の浮浪者や畑を失った農民などを新たな街づくりの労働力として、仕事を斡旋していた。

 だが、調べを進めて明るみになったのは、子供の売買と娼館の経営の実態だ。

 この商人は職業の斡旋にかこつけて女子供達を騙し、娼館で働かせたり、レステンクールの貴族達に売り払っていたのだ。

 特に、女児が好まれて売り買いされていたようだ。


 調査を依頼した知人は、『今はグルンステインの令嬢が求められている。良い娘はいないか。特に身分が高いとより好まれる』と声をかけられて吐き気をもよおしたと、手紙に記していた。

 グルンステインに対する業腹を、力のない女子供を甚振ることで晴らしたいのだそうだ。

 ロザリーヌは、養子縁組を表向きにマティルダを売り飛ばそうとしていたのだ。

 頭が沸騰しそうになった。そこまで、マティルダを嫌うのか。

 ルイは知人に折り返し手紙を送り、そこにグルンステインの貴族が絡んでいないかの調査を依頼した。


 また、ルイは行政官である義父のラピエール伯爵に、いかにしてロザリーヌからの干渉を排除出来るかを相談した。

 ラピエール伯爵は、父親であるルイがロザリーヌよりも先に娘の結婚話を纏めることが手っ取り早いと答えた。しかし、マティルダはまだ四歳になったばかりだ。これに関しては、ルイが顰め面で横に首を振った。

 では、と、今度は養子縁組を提案された。

 マティルダを手放したくなくて相談しているのに、なんて事を言うのだ! と愕然としたが、ラピエール伯爵が提案したのは書類上の縁組であり、実際の養育は両親のもとですれば良いのだと言った。


 法の下で正式な書類を作成し、マティルダの親権者を別の誰かに移すことで、ロザリーヌには他家の子をどうこうする権利が無くなる。それは勿論、ルイ達も同じだが、親権者がルイ達に養育を一任すると言えば、親子は一緒に過ごせるのだ。

 だが、義父は、そんな都合の良い家が、まず見付かるかどうかを懸念していた。それならば、早々に婚約者を捜しておいた方がよほど世間体も良いし、マティルダにとっても健全なのでは、と助言された。


 確かに、そうかもしれない。

 書類のみの養子縁組も、先の条件を飲んでくれる家がなければ、実現しないのだ。

 その時、真っ先に頭に浮かんだのは、アンリの息子クレールの顔だった。

 クレールはこの年で九歳になる。代々、近衛の長を務めることを認められた家で育ったクレールは、私欲の少ない清廉な少年に成長しつつあった。先日に王宮庭園のローフォーク家へ訪れた際には、幼子の遊びに根気強く付き合ってくれたものだ。

 マティルダは優しいクレールを気に入っていた。ルイも、遊んでいる二人を眺めながら、夢のような将来を脳裏に思い描いた。


 思い切って、アンリに手紙を書こうとした。

 だが、すぐに手にしたペンを置き、額を抑えて溜息を吐いた。

 シュトルーヴェ家の揉め事にアンリ達を巻き込んでしまうことになる。

 ルイは、明るい金髪を掻き回し、机に突っ伏した。


     *   *

 

 結局、休暇の間に答えは出なかった。

 母ロザリーヌの兄であるカノヴァス公爵は、シュトルーヴェ家をやっかんでいる。フィリップ十三世を追い落として自らが王位に就きたかった先代公爵と同様に、現公爵もその思惑に乗らなかったギュスターヴを嫌気しているからだ。


 カノヴァス公爵家は、オーベール一世の異母弟から始まった、歴史の浅い公爵家だ。正直、王家から分家したという以外に、突出した功績がない。初代も、現当主も、ただの一度も戦場に出たことが無かった。

 それでも、王族公爵だ。

 ファブリス王国との結び付きを強化する為に、妻にはファブリス女王エリザの妹を迎えていた。その血筋は尊く、その権威はシュトルーヴェ伯爵家よりも遥かに高い。彼等が裏で手を回せば、迷惑を被る人々が多く出るだろう。

 それに加えて、新たな悩みも増えた。


 強い味方が欲しい。


 そう思っていた時だった。

 北部要塞に、予期せぬ人物の訪問があった。

 

     *   *


 応接室の戸口に私服の少年が立っていた。

 立ち姿で軍人としての訓練を受けたことが分かる。士官学校を卒業して間もないくらいだろうか。ルイを見て、鳶色の瞳を瞠った。ただでさえ緊張していた表情をさらに強張らせつつ、しっかりと一礼をしてルイを応接室に通した。

 一礼の際、敬礼をしようとして、慌てて上着の前身頃を軽く抑えた形に直した様子に、今回の面会人があまり公に出来ない事案で訪れたのだと、察することが出来た。


 室内に入ったルイは、驚きに声を上げそうになった。

 ローフォーク家のアンリと、従兄のユリスがいたからだ。

 ユリスは母方の従兄にあたる。つまり、件のカノヴァス公爵の跡取りだ。彼はアンリと同じく王宮近衛連隊に所属し、アンリと同じ白群色びゃくぐんいろの軍服に袖を通している。正直、ルイはそれが羨ましいと思っていた。


 従兄ユリスとルイの関係は決して悪くはない。

 ユリスは合理的な思考をする男だ。信奉者とまではいかないが、フィリップ十三世の大改革を肯定的に評価している。改革の結果を、軍人としても高位貴族としても享受しているのだから、当然だろう。

 つまり、彼は父親との折り合いが悪い。

 その彼がアンリと共に私服で、この北部要塞までわざわざ出向いて来たことには、深く重大な意味があるはずだった。


 再会の抱擁は無く、握手のみの挨拶の後、アンリは着席したルイの前に紙束を差し出す。

「これを読んで欲しい」

 ルイは、その紙束を手に取り、無言でページを捲る。読み始めてすぐに、眉間に皺を寄せることになった。

 それは、グリュオにおける人身売買の実態を記した報告書だったのだ。

 王宮近衛連隊のアンリとカノヴァス公爵家の嫡男がこの報告書を見せた意味に、ルイは額を押さえて溜息を吐いた。


「おためごかしは無しだ。単刀直入に聞く。ルイ、お前は何故グリュオの人身売買業者を調べていた。国王陛下は、シュトルーヴェ家がカノヴァス公爵家を陥れようと画策しているのではないかと、疑念を抱かれている」

 そう思われるのは仕方のないことだった。

 シュトルーヴェ家とカノヴァス家は親戚だが、お世辞にも良好な関係と言い難い。それ故に、人身売買の調査を行っていた知人が顧客名簿に載ったカノヴァス公爵家の名を見て、只事ではないと上に報告したのだろう。

 調査を依頼したのがシュトルーヴェ家の人間なら、カノヴァス家を失墜させようと目論んでいるのでは、と疑念を抱くのも無理はない。

 案の定の問いに、しかし、ルイは横に首を振った。


「マティルダの為だ」

 この上は、正直に全てを話すしかない。


「母ロザリーヌが、娘を養子に出そうとしていた。俺には何一つ相談の無い話だった。だから、養子先の候補がどのような家なのかを調べた。そうしたら、グリュオの職業斡旋業者に行き当たった。報告書にカノヴァス家の名が入っているのは、この養子縁組の間に立っていたのが公爵だったからだ。俺は娘を守りたかっただけだ」

「カノヴァス公爵を陥れるつもりではないのか」

「無い」

 ルイは断言した。そして、肩を落とす。

「何もかも分かった上で俺に会いに来たんだろう? 兄さん、ユリス」


 二人は顔を見合わせて肩を竦めた。

「さすがに勘が良いな。陛下は今回の事件をかなり不快に思っておられる。マティルダのことは初耳だが、実は複数名の富裕層の令嬢が誘拐や行方不明になる事件が各地で起こっているんだ。未遂も含めて、相当な件数にのぼっている。女性方の名誉に関わる事件なだけに、極秘中の極秘で捜査が行われている」

 事件は、王宮庭園内でも起こった。

 その令嬢は辛うじて屋敷の私兵によって難を逃れたが、心の傷が深く、父親や兄弟でさえ、近寄れない状態になってしまったのだと言う。

「つまり、王宮近衛連隊は最初から別件で動いていたということか」


「そうだ。そうしたらグリュオの人身売買の名簿の話が出てきた。お前が何の為に調査を依頼したのか、数々の誘拐事件とグリュオの人身売買に繋がりがあるのか、聞き出す為に我々はここに来たんだ」

「で? 疑いは?」

「まあ、晴れたと言っても良いだろう」

「曖昧だなぁ」

 ルイの胡乱な視線にアンリは眉尻を下げた。

「お前の証言を元に、改めて調べを進める必要があるからな」

 ユリスが皮肉混じりに言った。

 その『調べ』とは、カノヴァス公爵のことだろう。


「結論を出すのは我々ではない。真実、事実を元に、陛下がお裁きになられる事案だ」

 事は、貴族の世界である王宮庭園でも起こった。

 王族公爵が養子縁組を隠れ蓑に貴族令嬢を売り払おうなどと、歴史に残る醜聞だ。関与した者は、公共の法ではなく、国王フィリップ十四世の裁量によって裁かれる。カノヴァス公爵家は、度々、王家に対して反抗的な態度を示し、フィリップ十四世を不機嫌にすることがあった。

 オーベール一世やフィリップ十三世は、かなり寛大だったのだ。


 ルイは従兄のユリスが肩を寄せるのを見た。

「私のことは気にしなくて良い。実はすでに話は着いている。カノヴァス家は潰れない。なに、可愛い孫の為だ。父も喜んで楽隠居を選んでくれるさ」

 彼は、家の存続の為に父親を切り捨てる選択をしたのだ。

「全く。年寄りの見栄の張り合いに付き合わされるのは御免だよ。私は、妻と子供達を守らなければ。ルイ、君もそうだろう」

 ユリスの言葉に、ルイは最愛の妻子の顔を思い起こした。


 帰り際、アンリはルイと向かい合う。

「マティルダのこと、一人で抱え込まないでくれ。私達は兄弟のようなものじゃないか」

 そう言ってくれたのが、心から嬉しい。

「ローフォーク家を揉め事に巻き込みたくなかったんだ」

「何を今更。お前がマルティーヌ嬢と結婚した時の騒動を思い起こせば、なんのことはない」

「まだ、それを言うのか。悪かったよ。兄さんはシャイエ公爵夫人にかなりどやされたものな」

「まあな。で、こっちに向かう前に、その公爵夫人に声を掛けられてな。あの方は今でも期待の侍女官をお前に盗られたと、腹を立てておられる。おかしな事に妻子を巻き込むなら、シャイエ家で二人を引き取ると息巻いていらっしゃった」

 ルイは思わず噴き出した。


 マルティーヌと結婚するにあたって、ルイは妻の主人であるアデレード王女と王妃、そして、マルティーヌの才能を見出して姪の侍女官に任じたシャイエ公爵夫人に挨拶をした。

 王妃と王女は祝福してくれたが、シャイエ公爵夫人だけは噛み付きそうな迫力でルイを睨んでいたのだ。

「確かに、シャイエ家に匿われれば誰も手出しは出来ないな」

 カノヴァス家でさえ無理だろう。国王陛下フィリップ十四世が頭の上がらない相手なのだから。


「戻ったら、公爵夫人に伝えてくれるか?」

「なんだ?」

「マルティーヌも子供達も必ず守る。だから、もう少しお手柔らかにお願いしたい、って」

「『子供達』?」

 ルイの言葉に含みを感じたのだろう。アンリはユリスと顔を見合わせた。

「二人目が出来たんだ。七月頃に生まれる予定だよ」

 途端に、幼馴染みと従兄は破顔した。


 休暇が明けて間もなく、マルティーヌの妊娠が分かったのだ。

 本来なら喜ばしいはずの妻の妊娠が、ルイを苦悩させた。

 グリュオの商人のことはどうにか出来たとしても、嫌がらせはきっと続く。子供が出来る度に、一つ一つ対策を打ってゆくのは限界があるように思えたからだ。だが、今日、それらの悩みは一掃された。

 味方は、始めから沢山いたのだ。


 再会時には出来なかった抱擁を交わし、ルイは笑顔で二人の帰路を見送った。





                         八、終わり

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