ルイ・フランシス ⑥
六
負傷者と戦死者を回収後、レステンクール軍は撤退して行った。
陽の落ちた高原で、ルイも設けられた幕舎の中で怪我の手当てを行う。
この後、士官達はエドゥアールの幕舎に集合することになっていた。今回の会戦でグルンステインでも兵士や指揮官を失っている。部隊の再編成において新たに部隊長として昇格させた者もおり、指揮系統の再確認の必要があった。
幕舎の幕があがり、アンリが姿を現した。軽装備は解かずにいる。
アンリはルイが軽傷で済んだと知って、安堵の表情を浮かべた。
「少し良いか、ルイ」
「殿下の護衛は?」
「問題ない。殿下は食事中に食べながら眠ってしまわれた。さすがに疲れたらしい。仮寝所にお運びしたよ。寝顔は相変わらず子供だ」
アンリは苦笑いだが、その表情の中には恵愛の情が込められていた。
「初陣でありながら、ここまで軍を率いて来られただけでも大したものだ。お前は十六歳の時に何をしていた?」
簡易椅子に腰を下ろしたアンリは、揶揄うようにルイを見遣った。
「それは言わないでくれ。今はマルティーヌ一筋なんだ!」
顔を真っ赤にして慌てるルイに、アンリは声をあげて笑った。
ふと、アンリは表情を静めて腕を組んだ。
「なあ、今日の戦闘をどう思った?」
「唐突だな」
「まあな。それで、ルイはどう思った?」
改めて促されて、ルイは数刻前の出来事を思い出した。
「危うかった、というのが正直なところだ。向こうが横陣を布いたのであれば、広い高原ではこちらも横陣か、斜傾横陣が適していたと思う。鋒矢の陣も悪くは無かったが、矢柄の後衛に砲兵を中心とした重兵達を配置したのは、本来なら好ましい策では無いな。そこを突かせるつもりで敢えて配置したのだろうが、これが成功したのは兵士自体の技量の差だろう」
「殿下もそう仰っていた」
「もしや、殿下はそれを分かったうえで、あの陣を敷いたのか? 参謀役の陸軍大将は何も言わなかったのか?」
「どちらかというと、参謀殿が積極的だったな。あの陣形を試したがっていた。相手に勝てることを前提として、殿下に多様な戦況を経験させたいみたいだ」
「そんな危うい真似、父なら絶対に許さないぞ。舐めると痛い目を見るのはこっちだ。敵軍の動きは決して悪くはなかった」
今や軍務大臣となっているギュスターヴの顔を思い出し、ルイは渋い顔を作った。
アンリも肩を竦める。
「昨年のロレーヌ川での戦いもそうだが、レステンクールには我々のような常備軍はいないのだろうかと疑うほど、軍隊の質が低いな」
「それは、仕方がないんじゃないか? 常備軍を維持するには莫大な金がかかる。我々は先代の政策が成功したからこそ、今がある。グルンステインだって、百年前までは戦争が起こるたびに傭兵を雇い、国民を徴兵していただろう?」
「だが、その先頭に立っていたのは、我々貴族だ」
ルイは、アンリが何を言いたかったのかを察した。
敵軍の指揮を執っていたのは、近在の地方領主達と彼等が掻き集めた領兵と領民達だ。
彼等は良く兵を動かし、戦術を展開させたが、その動きはグルンステイン軍とは到底比較にはならない。その現実を、レステンクールの王と国政の中核を担う門閥貴族達は、理解出来ていない。ここまで外国に侵攻されて尚、彼等は真っ当な正規軍を寄越しては来ないのだ。
「主力となる連中が、戦場に出る事を嫌がっているのだろうよ」
エドゥアールの前に引き立てられた敵将達は、皆、顔色が悪かった。
時代遅れの甲冑姿は身体に合っておらず、鎧に着られている状態だ。それくらい、領主であるはずの彼等は皆痩せていた。
「今日、戦った彼等はきっと良心的な領主だ。だからこそ、この国の中枢から追いやられ、領民と共に搾取され、戦場に立たされたのだろう」
そう思うと、ますますレステンクールの王族達に吐き気を覚える。
「これまで、どうやって国家を運営してきたんだ?」
「まあ、地方でそれぞれ頑張ってきたんだろう。それでいて地方が力を持てないのは、反旗を翻せないように酷い税の取り立てをしているからだろうな」
「古代の国家じゃあるまいし!」
アンリの言葉に、ルイは吐き捨てるように言った。
父から領地の一つを預けられ、運営に携わるようになって、自分達がどれほど贅沢な暮らしをし、それがいかに領民の多大な労力の上に実現しているかを思い知った。その上で、レステンクールの国民の暮らしぶりを見れば、どれほど彼等が理不尽に搾取されているのかが分かる。
国民を守るのは王侯貴族の義務のはずだ。
その義務を果たしてこそ、贅沢な暮らしが許されるのだ。
「殿下はこの国が欲しいんだそうだ」
ルイは目を丸めた。
「この国の民に、今よりマシな暮らしをさせてやる、と仰られた」
その言葉に、ルイはにんまりと口の端を引き上げる。
「では、愚王を縊り殺して全て奪ってしまおうか」
ルイの返しに、アンリも同様に悪巧みの笑みを浮かべた。
その悪い笑みがフッと穏やかに弛む。
「殿下は賢い
十六年前に生まれた唯一の王子は、立派な若者に成長していた。
その過程を傍で見守り続けたアンリは、誇らしげに言う。
「私は殿下にお仕えすることが出来て、幸せ者だよ」
アンリの笑顔に、ルイも笑って頷いた。
* *
初夏を越えて本格的な夏になった。
グルンステイン軍は慎重に、且つ、レステンクール王国の西部一帯を確実に占領して行った。
占領地からは、王侯貴族と組んで贅沢を貪っていた領主や富豪を追放し、新たにグルンステインから商人や役人、学者を招き、土地の整備を開始した。領主達から奪った城塞は補修し、グルンステインの最新の技術で防壁も建築する。
軍はレステンクールの王都を目指して最短距離を進んでいるが、夏の強烈な陽射しにさすがに体力の消耗は激しい。兵站は充分に確保出来てはいたが、道中の住民達の餓えを目の当たりにすると、これ以上の行軍はある意味で危険なように思われた。
グリュオに築いた拠点地に、一旦、戻るべきか否かを議論していたある日、斥候に出していた兵士の一人が戻り、レステンクールの使者の訪問を告げた。
エドゥアールが使者は誰かを問い用件を訊ねると、返ってきた名と訪問の理由に、眉を跳ね上げて叫んだ。
「あの、卑怯者共め! 不始末の尻拭いさえ自分でする気もないのか!」
「殿下、如何致しましょう。会わずに追い返すべきと考えますが」
参謀役の陸軍大将が進言すると、エドゥアールは横に首を振った。
「いや、会う。通せ」
果たして、エドゥアール達の幕舎に現れたのは、面識のある少女と少女に付き従う女性達だ。
少女は旅行着に頭から頬を包むようにスカーフを巻いていた。簡素な旅行着の裾を摘み、辞儀をする。それに対してエドゥアールは返答の礼をしなかった。少女の侍女達がわずかに目を尖らせたが、エドゥアールは気に留めたりはしなかった。
幕舎の椅子に座り、うら若い使者に無言で着席を勧めた。
「レステンクールの男は腰抜けしか居ないと見える。今まさに国土を蹂躙している外国軍の只中に寄越した使者が、よもや貴女だとは」
長卓を挟んでエドゥアールの正面に座る少女は、困ったように眉尻を下げた。
「兄はフィリップ十四世陛下に斬られた傷が痛み、まだ上手く会話をすることが出来ません。父は、その看病に」
使者の少女──レステンクールの王女ルイーズは、やっと聞き取れるほどの小さな声で言った。
「そちらには宰相も、それに準じる者もいないのか?」
「……彼等は内政に集中しておりまして……」
「責任の押し付け合いに忙しいだけだろうっ!」
怒声にルイーズはびくりと身を竦めた。
その姿にエドゥアールは口を噤む。怒りを抑える為に、大きく息を吸って吐き出した。
「そちらの要望を訊ねる。何をしに来たのか」
「……グ、グルンステイン軍の、撤退を求めます」
「見返りは?」
「王子を斬りつけたことを許す、と」
背後で側近達が不快に騒めいた。エドゥアールは手を挙げてそれを鎮める。
「そも、戦を仕掛けてきたのはそちらだという事を忘れて、被害者面か。つくづく愚昧極まる」
深い青い瞳がルイーズを見返した。
「今回の我々の進軍は、レステンクールの不誠実な対応が原因だ。レステンクールは我が姉へ有り得ない暴言を吐き、母に穢れた手で触れた。謝罪もなく、和睦交渉の決裂の原因を押し付けたばかりか、大叔母上のとりなしでおおまけにまけてやった先の戦争の賠償金も未払いだ。果たして然るべき義務も果たさず、言葉による誠意もなければ、この国に残された物など土地しかあるまい。だから、奪うのだ」
「ですから、陛下はアデレード王女を我が国の王太子妃に迎えても良いと……!」
「侍女風情が口を挟むな!」
甲高い声で非難をあげた侍女に、エドゥアールの叱責が飛んだ。
侍女は青褪めた顔でルイーズの後ろに下がった。
「この後に及んで、上からの物言い。実に不愉快だ。我が姉との結婚を拒絶したのは貴女方の王子だということすら忘れたか。フィリップ十四世陛下は、王女アデレードをこの国に嫁がせる事に、もはや、意義を見出していない。まして、愛娘を最悪な形で侮辱した男のもとになど、誰がやろうものか! あの時、私があの男をこの手で斬り殺しても良かったのだ!」
両者の間に据えられた長卓に、拳が激しく叩き付けられた。
侍女達の悲鳴があがり、卓上に置かれた茶器が撥ねてひっくり返った。零れた茶が長卓の端に達して落ち、渇いた土に暗い染みを作った。
「どうしても、お国に帰っては下さらないのでしょうか」
「くどい!」
「色良い返事が頂けなければ、私達が折檻を受けると申しても」
「ならば、そなたの父と兄の首を獲る。それで全てが解決する」
揺れる声で乞い願うルイーズに、エドゥアールは退かなかった。
ルイーズは俯き、胸の前で祈るように手を組んだ。その時、ルイーズの頭を覆っていたスカーフが浮きあがった。エドゥアールはわずかに目を瞠り、すぐに険しく変化する。
「わ、私は、どうしたら……」
「王と王を傀儡とする佞臣共のもとへ帰り、こう告げよ。『ロレーヌ、グリュオ、アンソン、レオンスの割譲を認めよ』と」
「そうすれば、これ以上の侵攻はお止めになって下さるのでしょうか」
「そなた等の王しだいだ」
「殿下」
エドゥアールの発言に側近達は顔を見合わせた。だが、エドゥアールは構わずに続ける。
「矜持があるのなら、停戦交渉の場には王が出よ。他者に責任を押し付け、不都合なものを自己の都合よく改竄出来ぬように、己の目で書面を読み、己れの手でその名を刻むのだ。期限は十五日後。ここからレオンス要塞の手前の街、グリュオにて待つ。良いな」
エドゥアールの宣言に、ルイーズは頷いた。
ルイーズ達を宿営地から送り返してすぐ、側近の一人がエドゥアールに諌言した。参謀役の陸軍大将だ。
「殿下、何故あのようなことを。陛下のお怒りに触れたらどうなさいます」
「我々の王は、何処ぞ馬鹿とは違う。決断したのは私だ。そなた等は案ずる必要はない。それより、グリュオに戻るよう全軍に通達せよ。誰か、いないか!」
参謀はまだ何か言いたそうではあったが、敬礼をして幕舎を出て行った。
代わって入ってきたのは、エドゥアールの身の回りの世話を焼く侍従だ。軍人ではない彼は戦場に出ることはないが、宿営地では軽装備姿だ。
「父上に手紙を書く。書き物の用意を」
侍従は直ちにエドゥアールの仮寝所に走って行った。
幕舎の中には、エドゥアールと身辺警護の近衛兵が数人だけとなった。
フッと、簡易椅子の背凭れに寄り掛かり、エドゥアールは短い溜息を吐いた。
「アンリ。そなたの位置からルイーズ殿の顔は見えたか?」
「いえ。何か変わったことでも御座いましたか」
「痣が見えた。姉上の見舞いの際には無かったものだ。色も紫で、まだ新しい」
「……レステンクールは、女性の地位が著しく低いと聞きますが……。王女に対しても、とは……」
レステンクールの王女が怯えて震える姿を思い出し、アンリは痛ましい思いで渋面になった。
「こんな国、滅ぼしてしまうべきだ」
だが、グルンステインの王子として、先にすべきことがある。
「地盤をしっかりと固める。四つの地域は、その最初の足掛かりとなる」
レステンクールからの承諾の返事は間もなく届いた。
母国の父王に送った手紙の返事も十二日後には届き、フィリップ十四世は正式にエドゥアールを自分の名代として認めた。
予定通り、グリュオの町の粗末な宿屋の一室で、領土割譲と編入の正式な書類に署名をした。
武装を認められなかったレステンクールの王は、たくさんの自国の護衛に囲まれて帰って行った。
帰り際に悪態を吐いたのは、グルンステインの進軍を押し止められなかった家臣に対しての暴言を叱責されたことが悔しかったからなのか。
遠退くレステンクール王家の、場違いなほど豪奢な馬車列を見送りながら、改めてエドゥアールはこの国に対して不快感を抱いた。
八月末、『グルンステイン継承戦争』は終結した。
* *
数日後、グルンステイン国王フィリップ十四世の名において、レステンクール王国の国土の一部が編入されたことが正式に発表された。
先の戦争で獲得したロレーヌの他、グリュオ、レオンス、アンソンが新たに追加された形だ。
グルンステインでは、直ちに治安維持軍が再編成されて第十二師団が新設された。また、陸上守備軍でも旅団一個がレオンス要塞に置かれ、かつて両国を隔てていたロレーヌ川には大きな橋が建設されて、グルンステインのあらゆる技術者達が、先住者等と共に土地の開拓と町の整備を開始した。
「町一つ、畑一枚、新たに造り上げるのに、何年かかるんだろう」
夏の暑い陽射しの中で、懸命に働く人々を眺めてルイはぼんやりと思った。
治安維持軍と陸軍が新領土に入り、随分と経った気がする。
アンリはエドゥアールと共にすでに帰国しており、親しい同僚はいるものの、なんとなく映える心地がしない。
「マルティーヌとマティルダに会いたい」
ルイは目の端に滲んだものを拭い、呟いた。
六、終わり。
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