ルイ・フランシス ⑤

   五


 冬を越えて、四月。

 レステンクールの王子と王女が揃って、アデレードの見舞いにグルンステインへやってきた。

 本来であれば、この四月に二人の婚礼が行われる予定であった。


 婚約者を見舞うのは、敗戦国であるレステンクールとしては当然のことだ。グルンステインに媚びを売らねばならない。王女を伴って来たのは別の思惑があるのだろうが、見舞いが建前である以上、グルンステインは二人を丁重に迎え入れた。

 小康を得たアデレードと対面した王女は顔色一つ変えずに兄の婚約者に労りの言葉を掛けたが、王子の方は婚約者の顔を見るなり目を逸らし形式的な言葉をかけただけで無言になった。

 まるでその場の空気すら吸いたくないといった無礼な態度を家臣達は誤魔化したようだが、見舞いを終えて招かれた宴席で、酒の入った王子は憚らず本音を吐露してしまった。


「私はなんと不憫な男なのだろう。父も祖父も美しい女性を妃に迎えているというのに。見たか、アレを。まるで霜柱が立った地面のような顔じゃないか。きっと踏めば音を立てて砕けるぞ。パリパリと表面から剥がれて崩れるに違いない」


 自分が何処にいて、誰の目の前でそのような発言をしているのか……。


 慌てて止めに入る家臣と妹姫を押し退けた王子は、怒りで戦慄くフィリップ十四世の隣に立つ王妃にふらふらと近付き跪いたかと思うと、あろうことか王妃の手を取り指先に口付けた。

「貴女はなんて美しいのだろう。私がもっと大人なら、貴女をこの蛮族の王国から救い出し幸せにして差し上げますのに。あの蛙のようなみっともない死に損ないの醜女より、貴女と一夜の逢瀬を願いたい。なに、多少の皺など宵の寝所では気にする必要はありません」


 ニッタリと笑う隣国の王子を、王妃ヴィクトリーヌは恐怖の眼差しで見た。

 それをどう捉えたのか、再び指先に口付けを落とそうとした王子の手を振り払い、王妃は手袋を外して床に叩き付けた。

 縋ろうとした王子は、近衛兵に行手を遮られ声を荒げる。

 侍女官長のシャイエ公爵夫人が振り上げた手は、近衛連隊長であるアンリの父オスカーに止められ、母と姉への傍若無人な振る舞いに剣を抜きかけたエドゥアール王太子もまた、アンリによってその手を制された。

 王妃は耐え切れずに宴席から逃げ出し、シャイエ公爵夫人はその後を追った。


 それだけの騒ぎの中、近衛兵によって床に押し付けられた王子は、酔いが回りきったのか、胡乱な目付きで口端から垂らした涎で己の顔を汚している。

 宴席は、醜態を晒すレステンクール人と、彼等を怒り震えて、はたまた冷ややかに見下すグルンステイン人とで、異様な光景を生み出していた。


 ドンッと、大きな音が響き渡る。

 フィリップ十四世が手近の卓を儀礼用の剣で叩き割った音だ。料理が載った皿が落ち、耳障りな破砕音にレステンクールの王子がびくりと身を起こした。

 参列者の視線の中、フィリップ十四世は酔った赤い顔でぼんやり床に座り込む隣国の王子達を睥睨する。


「良かろう。そなたの望み通り、この結婚は無しだ。そなたは、そなたの身の丈に似合う女子おなごを妻に迎えるが良い。そなたの妻になりたい物好きがいるのならばな」

 レステンクール側の随従者等は慌てふためいた。レステンクールにとって、この結婚こそが両国の真の和睦に必要な事案だったからだ。


 フィリップ十四世はレステンクール人等に剣の切っ先を向けた。

「一ヶ月の猶予をやろう。国に帰り、そなた等の王に伝えよ! 和平は決裂だ。先の戦闘の賠償金はまからん。占領地は貰う。我が娘をコレにやるなど以ての外だ。その馬鹿を連れてとっとと失せよ! さもなくば、今すぐその肉ブヨの首を斬り落とす!」

 こうして、後世に『グルンステイン継承戦争』と呼ばれる戦争の、最後の戦いの引き金が引かれた。


     *   *


「では、行ってくる。マティルダ、お母様の言うことを聞いて良い子でいるんだ。分かったね」

 ルイはそう言って、不思議そうに自分を見上げる娘の頬をつついた。

 自分の腕の中でマティルダはふにゃりと笑い、亜麻色の髪を揺らした。三歳のマティルダは、瞳の色こそルイと同じ翠色だが、顔立ちは愛しい妻マルティーヌにそっくりだ。妻の幼少もこのように愛らしかったのだろうかと思うと、相好が崩れて戻らない。

 もう一度抱き締めると、可愛い一人娘はキャッキャッと笑ってルイを抱き締め返してくれた。マルティーヌは、くすくす笑って両手を差し出す。マルティーヌにマティルダを預け、ルイは二人をまとめて抱き締め頬にキスをした。


 周囲では、同様に家族と抱擁を交わす兵士が数多いる。

 これからルイは、レステンクールとの国境にある東部要塞へと向かうのだ。


 先月の王宮でのレステンクール王子の大醜態は、二ヵ国の間に決定的な亀裂を生んだ。

 宴席は当然のこと中断され、青褪めたレステンクール側は王女が泣きながら縋り、家臣がフィリップ十四世に平伏し謝罪したが、最早あとの祭りだ。フィリップ十四世の振り抜いた剣が呆けた顔を斜めに奔り、病で生き残った娘への侮辱を吐き散らし、汚辱に塗れた言葉を連ね王妃に触れた口を斬り裂いた。

 レステンクールの家臣達は、醜く泣き喚く王子を抱えて転がるように帰国した。


 負け犬が負けを自覚せず、勝者の温情に気付きもせず、国父の宝を傷付けた一件は、たちまちグルンステイン王国中に知れ渡った。

 そこでレステンクール王が謝罪をすれば、また何か変わったのかも知れない。

 だが、愚かな王子を育てた国家は、輪をかけて愚かだった。

 レステンクールは、グルンステインに和平交渉の決裂の原因を押し付けてきたのだ。


 結婚話を駄目にしたのは、そちらの王女が病に罹ったからだ。

 変容した王女をそれでも見舞い、本当のことを言った王子は何も間違っていない。その優しい王子を斬りつけたフィリップ十四世は狭量極まり、グルンステインの王に相応しくない。一連の出来事をグルンステインは謝罪し、その誠意の証明として我が国の王女を王太子妃として受け入れよ。賠償金は持参金と合わせ、そちらからの結納金と同額として相殺せよ。


 そんな言い分がまかり通ると、本気で思っているのだろうか。

 アンリや王都近郊で勤務する友人達から次々届く宮廷の情報は、ルイの口を開きっぱなしにしてくれた。


 今や、ルイが所属する北部要塞のみならず、各地の部隊が怒りを孕んで東部要塞へと向かう準備を進めている。

「我々の象徴を侮辱した馬鹿共を、二度と立ち上がれないようにしてくれる」

 アデレードの侍女官だった妻に、ルイは頼もしく言った。だが、心の中にある想いは、それだけではない。


 マティルダを出産後、体調を崩していたマルティーヌはアデレードの侍女官を辞することになってしまった。

 ルイは、むしろ今の暮らしを続けられるので満足していたが、最近になって、長いこと次の子を身籠れないでいるマルティーヌに、ロザリーヌが執拗に嫌がらせの手紙を送っていたことを知った。

 その中身は、これが自分の母なのかと、ルイを悲しませる罵詈雑言の嵐だった。同時に、これらのことに気付けずにいた自分の鈍感さに恥ずかしい思いをした。


 マティルダも、あと四ヶ月で四歳になる。人形遊びに興味を持ち始めた娘の為に、今から職人に人形用のドレスや小物を山のように注文している。プレゼントの箱を開けた時の、驚き喜ぶ顔が見たい。

 この子の誕生日までに、この戦争を終わらせなくては。


「必ず、生きて帰る」

 愛する妻と娘を守れるのは、自分だけなのだ。

 ルイは再度二人を抱き締めた。


     *   *


 五月。

 ロレーヌ川を超えた新領地から侵攻を開始したグルンステイン軍は、補給線を確保しながら、着々とレステンクール王国の要衝を墜としていった。

 その行軍の最中、度々レステンクールの国民の働く姿を遠目に見た。

 レステンクールの田舎は検地が行われたことが無いのか、行く先々の道の脇に丁度良い平地があればそこに小さな畑を作っているという感じだ。農器具も前時代的な鋤や鍬を使用しており、道具の状態も良いとは言えない。

 人々は点在する畑と畑の間に家を持ち農作業に従事しているが、作業の効率も悪ければ、それはそのまま収穫率にも響きそうだ。


「農民に活気が無い。今は畑に蒔いた作物の種が芽吹き始める頃だろう。グルンステインでは人々はもっと生き生きとしていた」

 レステンクールの農民を見て、エドゥアールは言った。

 十六歳となったエドゥアールは、これが初陣となる。顔立ちそのものは母親譲りの繊細な造形だが、高い身長と鍛えた体躯、太い眉と凛々しく煌めく深い青い瞳が、彼が男であることを疑わせない。その整った眉が厳しく寄っていた。

「こんなにも畑が点在していては管理が大変だ。獣の害も多かろう。この国は農民の為に国費で開墾し、畑を整えようとは思わないのか?」


「そのような賢さがあれば、我々は先代の御代にとっくに友好を結べていたことでしょう」

 そう返したアンリの言葉に、惰性で動いているだけの農民に視線を向けて、暗い顔になる。

「つくづく、お祖父様は素晴らしい御方だったのだと感じ入る。私も武芸にばかりかまけていないで、何が国民の幸せかを考えられる王にならねば」

 そう呟くように誓うエドゥアールに、アンリは濃紺の瞳を細めて首肯した。


 進軍が始まって約一ヶ月、グルンステイン軍は敵国の防衛の主要拠点の一つであるレオンス高原で、レステンクール軍と激突した。

 見渡しの良いなだらかな平原で、両軍は隊列を組む。

 グルンステインは敵軍に対して鋒矢ほうしを敷いた。敵陣にその切先を向けた矢印型の陣だ。鋭角の先頭は突撃に特化している。左右に下がってゆく形は兵数が多く見え、怒涛となって迫り来る軍勢は敵兵に威圧感を与える。

 鋒矢の両側面には砲兵部隊を横隊に配置し、突撃時の援護をする。

 対して、レステンクール軍はレオンス要塞を背に、二重の横隊を敷き、中陣がやや突出していた。


 戦闘の開始は砲撃の応酬から始まった。

 砲兵による一斉砲撃が互いの砲台を破壊する。レステンクールも兵器の開発に力を入れてはいるが、優秀な知識層の底上げに余念が無いグルンステインの砲撃は、飛距離も練度も段違いに優れている。戦闘が開始されて三十分余りの応酬で、味方の軍の砲台が二台、敵軍はその三倍の数を減らした。


 両軍が突撃する。

 砲撃の雨の中を、有効射程に入った小銃兵が順次、斉射を行った。間を置かず小銃兵の背後から軽装騎兵が敵陣に突っ込み、騎兵が乱した敵隊列に軽歩兵と銃剣を構えた小銃兵がさらに突撃した。グルンステインは軽歩兵と小銃兵の混成部隊が鋒矢のやじりの先端を担った。

 鋭い鏃が敵軍を押し退け、そこに矢柄を担っていた軽装騎兵と軽歩兵がさらに突っ込んだ。

 横隊を敷いていたレステンクール軍は左右に分断される。


 相手の陣形を崩した鋒矢の陣は、そのまま相手に対して横隊へと変化した。そのグルンステイン軍に対して、レステンクール軍は横隊が縦隊へと変わる。進撃を敵陣の中央に集中させていたグルンステインは、挟撃されることになった。


 今度、グルンステイン軍が前後に分断された。

 グルンステインは矢柄の縦隊前部に機動力の優れた歩兵と騎兵を配置した反面、後部には砲兵隊を中心とした足の遅い部隊を配置していた。そこを衝いたレステンクール軍はグルンステインの前衛を反転包囲する。

 グルンステインは前衛部隊を後背から襲撃される形となったが、歩兵と小銃兵が敵軍の攻撃を決死で押し留めた。その間に騎兵が乱戦状態から抜け出し、敵左陣を大きく回り込んだ。

 騎馬の中で、特に煌びやかな装具を付けた馬に跨った騎士が、馬上に立ち剣を掲げた。

「レステンクールの蛮人共、グルンステインの王太子エドゥアールがここにいるぞ! 武功を挙げたい者は挑んで来い!」

 その一声で、敵左陣が一斉に目の色を変える。


「本当に来たぞ、アンリ!」

 エドゥアールは迫り来る軍勢に興奮して叫んだ。

「誘き餌に殿下が効果的だとしても、些か目立ち過ぎます」

 アンリは渋い顔で苦言を呈する。

「良いではないか! レステンクールの軍人共は粗食を食わされていると聞く。たまには豪華な物を食したいだろう。ただし、私の首は癖が強い。独りで食い尽くそうとすれば腹を壊すぞ!」

 笑って、エドゥアールは馬首を回らした。


 エドゥアールを先頭に、軽騎兵の一団は敵左陣の一部を引き連れて戦場を遁走する。

「頃合いだ!」

 エドゥアールの号令に、敵兵と付かず離れずの距離を保っていた軽装騎兵の一群は一気に速度をあげた。たちまち、敵歩兵は距離を取られ、置き去りにされてしまった。

 そこに、砲弾の雨が降り注ぐ。

 その砲は進撃に遅れをとっていたグルンステインの砲兵隊と重歩兵によるものだ。エドゥアールを追いかけている内に、レステンクールの敵左陣の陣形は長く伸び、その側面をグルンステインの砲兵隊に晒すことになっていたのだ。


 左陣の一部は砲撃の格好の餌食となり、たちどころに崩壊する。これによって包囲されていたグルンステインの小銃兵と軽歩兵は、レステンクールの右陣に兵を集中させることが可能になった。


 左陣の一部を壊滅せしめた砲兵隊の攻撃は、左陣の残りと中陣に向けられた。

 右陣に攻勢をかけるグルンステイン歩兵に対応していた左陣の残隊が、それを阻止すべく砲兵隊へ突撃した。しかし、それは砲兵隊にとっては、敵が味方から離れてくれて、尚且つ自ら砲撃の的になりにくるようなものだ。

 格好の標的となった彼等もまた砲弾の餌食となった。


 残りは、右陣と敵将が控える敵砲兵部隊。そしてレオンス要塞の攻略だ。

 エドゥアールの軽装騎兵が大きく自軍の砲兵部隊の外を回り込み、混成部隊と戦闘を行っていた敵右陣の横を通り抜け、敵砲兵部隊を強襲しようとした瞬間だった。

 白旗が、レステンクールの本営から上げられた。



                       五、終わり。

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