ルイ・フランシス ④

     四


 一ヶ月後、三月の穏やかな日に、ルイとマルティーヌは結婚した。

 腹部が目立つ前に行われた式も披露宴も身内のみで行われ、大貴族シュトルーヴェ伯爵家の跡継ぎに不似合いな質素なものとなった。それ故に宮廷の其処彼処そこかしこで面白半分の心無い噂が広がったが、二人を引き合わせたアンリとオーレリーが都度、根拠のない醜聞を訂正してくれた。


 アデレード王女も自身の侍女官を信じ、ラピエール伯爵家の才媛の話を聞きマルティーヌを取り立てたシャイエ公爵夫人も味方についた。息子には厳しい父も身重のマルティーヌには、口数少なく無骨ながらも丁寧に対応した。


 だからこそ、なのだろうか。

 母ロザリーヌだけはマルティーヌを認めなかった。

 母は母で、友人の娘を息子の妻に、と考えて行動していたのだ。

 相手の両親もすっかりその気になっていて、あとは両家の当主で結納金や持参金の話し合いをするところまで進んでいたのだと聞いて、ルイは愕然とした。


 息子が田舎の娘を身籠らせた上に、早々と両家で結婚の日取りまで決めてきたと知って、ロザリーヌは狂ったように怒鳴り散らした。

 よくも私に恥をかかせたな!

 友人に何と詫びれば良いのか!

 二人揃ってそこまで私が嫌いなのか!

 髪を振り乱し泣き叫ぶロザリーヌは、ギュスターヴを罵り、初めてルイの頬を叩いた。


 ロザリーヌは、絶対にマルティーヌと生まれる子を許さないと、出産を控えてシュトルーヴェ家の屋敷に入ったマルティーヌを、使用人を使ってまで虐め始めた。

 客人の前で侮蔑的な言葉を投げつけるだけでなく、わざとぶつかって転ばせることもあった。そういった行為を行った使用人にはギュスターヴが厳しい処分を下したが、それが返ってロザリーヌの神経を逆撫でした。

 妻の出産に合わせて休暇を取っていたルイの前でも繰り返される行為に、片時も妻から離れることが出来なかった。

 そんなある日、ルイはギュスターヴの執務室に呼び出された。そこで、シュトルーヴェ家が保有する領地の一つの管理を命じられた。


 ギュスターヴがルイに管理を命じた土地は、祖父アルセーヌが祖母ソフィと結婚した際に祝いの品としてオーベール一世から贈られた男爵領だ。

 王国の北東部に位置し、ルイが所属する北部要塞からは単騎で走れば一日で着く距離にある。

 そこにマルティーヌを移し、当面の間は帰ってくるな、と言うのだ。

「このままでは、マルティーヌは子供ごと殺される。ロザリーヌにそこまでの気は無くとも、いつ間違いが起こらないとも限らん。ロザリーヌには頭を冷やす時間が必要なのだ」


「母上は納得するでしょうか」

「する、しないの問題ではない。ラピエール伯爵に大事にすると約束したのだ。母の事など置いておけ。お前はまず自分の妻と子供を一番に考えろ。領地管理の勉強も忘れるな。家族だけでなく領民の暮らしを守るのも領主の務めだ」

 それだけ言うと、ギュスターヴは書斎の出口を指差した。

 さっさと行動しろ、ということらしい。

 ルイは男爵領に関する書類の一式を手に、ギュスターヴに一礼して踵を返した。


 男爵領では、ギュスターヴが手配した使用人と、娘の初めての出産を助けるために準備を行っていたラピエール伯爵夫人が二人を出迎えてくれた。

 ラピエール伯爵家にまで連絡が行っていたとは思わず、何もかもをギュスターヴに先回りされた気がして悔しい思いがしたが、今は一番にマルティーヌを大事にすることが優先された。


 それから数日が経ち、夜半にルイは領館の書斎で手紙を書いていた。

 昨日の朝、にわかに産気づいたマルティーヌが、長い長い闘いののちに、この日の夕刻になって出産したのだ。

 妻マルティーヌに似た、可愛い可愛い女の子だ。それを報せるべき人々がいた。


 手紙の宛先は、マルティーヌの実家のラピエール伯爵家。ルイとマルティーヌを引き合わせてくれたアンリ夫婦。二人の恋路を助けてくれた友人達。そして、ルイの実家のシュトルーヴェ伯爵家だ。


 手紙を書きながら、ルイはふと気がついた。

 父に手紙を送るのは、生まれて初めてのことだ。

 幼少期、父は地方の城塞に常駐していて、まめに帰って来ていたが、会えば叩かれてばかりいた。だから、遠くで任務に着く父に、手紙を書いてまで報告することなど無かったのだ。そういったことは、全てルイの従僕を通して執事が行っていた。


 ルイは、マルティーヌが出産したこと。産まれたのは娘で、名前をマティルダと決めたこと。子は健康に産まれたが、長い産みの苦しみと出血が多かった為に、マルティーヌは当分床をあげられそうにないことを書いて、手を止めた。

 手紙の前で腕を組み、しばし考えた。

 それからもう一度、インクを含み直してペンを走らせる。

 父に手紙を書くのも初めてならば、こんな言葉を向けるのも初めてだと思った。


 ルイは、形式的な報告の手紙の最後に、一言だけ『ありがとう』と書き添えた。


     *   *


 グルンステイン歴二七〇年。

 フィリップ十三世が崩御した。

 フィリップ十三世ことフィリップ・エルネストは、父王オーベール一世が早逝し、十九歳の若さでグルンステインの国王となった。四年後には母エリザ=リベット一世からファブリス王領を引き継いで、一人の王の下に二カ国は正式に一つの国となった。


 即位から四四年の治世は長い。

 在位中、二度の『サン=セゴレーヌ海戦』『北部要塞防衛戦』などの戦争も経験したが、極力、外交で争いの火種を抑えてきた。その執政の手腕が、間違いなくグルンステインを同盟国の中で、最も豊かで最も強豪な軍隊を持つ偉大な国家へと成長させた。

 フィリップ十三世亡き後、今や華やかに咲き誇るグルンステイン王国を継承したのは、王太子フィリップ・フェルディナンだ。

 三六歳の王太子は、宮殿の大聖堂で戴冠式を行い、フィリップ十四世として即位した。


 豊穣なるグルンステイン。

 重厚な国政の基盤の下に、王国を新たに率いるのは勇猛で名を馳せたフィリップ十四世だ。新王の治世の下、グルンステインは今度こそ更なる国土の拡大を期待された。

 そして、その機会は思いの外、早く訪れた。

 隣国レステンクール王国の王が、グルンステインの継承権を主張したのである。


 レステンクールの王はフィリップ十四世と従兄弟の関係にある。先代フィリップ十三世の妹の一人がレステンクール王の生母なのだ。

 隣国の王に妹を嫁がせたのは、不要な戦争を回避するためのフィリップ十三世の政策だ。だが、嫁ぎ先の宮廷では夫の愛人とその取り巻きがのさばり、外国からやってきた花嫁は王子を一人産むと、さっさと宮殿の離れに追い遣られてしまったのである。

 唯一の王子は愛人に可愛がられたが、碌な教養を受けなかったようだ。

 やがて王になったその者は、父王が愛人との間にもうけた腹違いの兄弟達にいい様にもてはやされ、豊かなグルンステインの王位を欲するようになった。

 どんなに母が継承権は無いのだと諌めても、成人前にはすでに酒と女に飲まれていた王には、残念ながらそれを理解する賢さと分別は無かったのだ。


 東部の国境線での小競り合いが本格的な激突に発展したのは、二七一年の秋だ。

 国境河川のロワール川を越えて、レステンクール軍がグルンステイン領へと侵攻を開始した。『ロワール川・秋の戦い』だ。

 これは相手がどこまで本気だったのか分からない。レステンクール軍は川を越えたところで迎え討たれ、東部要塞に一発の銃痕を付けることも出来ないまま撤退していった。

 冬が過ぎて春。再び敵軍はロワール川を越えた。


 今度は三倍はあろうかという軍勢を率いての大衝突だ。だが、先の戦闘から入念に準備を行ってきたのはこちらも同じだ。

 敵国は王が自ら軍を率いる親征だった。

 自信があったのかもしれないが、いざ戦闘が開始されて間もなく、本営の目と鼻の先まで黒煙が立ち昇るのを目撃した王は逃げ出した。


 王の軍旗がたちまち遠ざかるのを見て、失望しない兵はいない。

 レステンクール軍は一部の将が善戦を見せたが、結局は瓦解を回避出来ずに敗走することになった。この戦闘でグルンステインはロワール川を渡り、東部要塞に程近い一帯を占領するに至った。

 これが『ロワール川・春の戦い』だ。


 春の衝突で、軍事ではグルンステインに敵わないと悟ったのか、レステンクール王は和睦を申し入れてきた。

 それに対してフィリップ十四世が出した条件は、次のような内容だ。

 一方的に戦争を仕掛けてきた賠償金として、大金貨一万枚。現在、グルンステインが占領している一帯の分割。フィリップ十四世の叔母である先代王妃の待遇の大幅な改善。そして、十六歳になったアデレード王女を、次のレステンクール王の王妃とすることだ。


 ここから先のことは、ルイにとって理解し難いことばかりだった。

 レステンクール王は、賠償金の減額か分割払いを求めてきた。グルンステインのような経済基盤のない国であることから、それだけの金額を一括で払うことがどうしても出来ないのだ。領地の割譲も渋った。その上で、アデレード王女を迎え入れる代わりに、自分の娘をエドゥアール王太子の妃にするように要求してきたのだ。

 どうやら、領土を獲られた上に賠償金の支払いを迫られたことで、充分に戦後の賠償を果たした気になっていたようだ。

 レステンクール王の中では、王女同士の交換は別の政治的戦略なのだろう。


 グルンステインの王位を狙っている国家の姫を、誰が受け入れるというのか。

 当然、フィリップ十四世は突っ撥ねた。

 最終的にグルンステインは賠償金の減額を受け入れた。これはレステンクール王の生母である王太后が、自ら交渉の場に出た結果だ。外国で苦労している叔母へのフィリップ十四世の配慮でもあった。

 ただ、レステンクール側はこれを屈辱と受け取ったようだ。王太后は田舎の城に追いやられて半幽閉状態となってしまった。

 いずれにしても、和睦は結ばれたかに思えた。


 ところが、婚礼の準備の最中、冷える冬のある日、アデレード王女が天然痘に罹患した。

 病は二人の妹姫も襲い、その幼い二つの命を苦しみののちに奪ってしまった。成人し体力のあったアデレード王女だけが、生きながらえたのだ。

 ただし、その代償は大きかった。

 命を取り留めたアデレード王女の全身には、天然痘による痘痕がはっきりと残ってしまったのだ。

 そして、それがグルンステインとレステンクールの決定的な決裂を生むきっかけとなった。




                         四、終わり。

 


 

 

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