ルイ・フランシス ③

   三


 グルンステイン歴二六八年。

 秋の遅い日の出に紛れて、シュテインゲン軍が北部要塞を攻撃した。

 これまでの様子見の小規模な攻撃ではなく、西海岸で起こったコルキスタとの海戦に便乗しての、本格的なものだった。


 シュテインゲン軍の攻撃は激しく、ありったけの火薬を投入しているのか、砲撃は要塞を破壊し、幾人もの同僚が崩れた瓦礫の下敷きになった。北部要塞の司令官は近在の治安維持軍にも招聘をかけて応戦し、激しい攻防は昼夜問わず、数日にわたって繰り広げられた。


 転機が訪れたのは、攻撃が始まって十日目のことだ。

 コルキスタ海軍を撃破したグルンステインの艦隊が、北部海岸を回り込み海上からの援護射撃を開始したのだ。

 艦隊が攻撃を行った場所はルイがいた内陸の要塞とは離れていたが、だからこそ敵軍は意表を突かれ対応は後手に回った。

 シュテインゲンが艦隊を整えて出航した時には、グルンステイン海軍は火力の殆どを撃ち尽くしていたにも拘らず、囮となって海上の奥に敵艦隊を誘き出した。

 さらに、艦隊が囮役を演じ敵兵の一部を誘き寄せている間に、岩陰に隠れて上陸したグルンステイン騎兵が、要塞を攻撃する敵軍に背後から奇襲を掛けた。


 この奇襲部隊を率いていたのは、王太子フェルディナン──未来のフィリップ十四世だ。

 王太子の軍勢は僅か百騎ばかりだったが、機動力を活かした突撃と撤退を繰り返し、シュテインゲン軍を後方から混乱させることに成功した。その間に陸軍はようやく北部要塞に集結した各地の部隊を編成し直し、要塞を出ての攻勢へと転じた。


 兵と火力の出し惜しみはしない。兵站は後方から絶え間なく届けられる。統一された戦術は、遠方からの部隊との連携を容易にさせた。

 現王が即位してから三八年、ここまでの大規模な陸戦は初めてのことだった。

 何人もの同僚が、敵の砲弾に吹き飛ばされて死んだのを目の当たりにした。怯んでいなかったと言えば嘘になる。だが、海軍の援護攻撃以降、不思議と怯えは何処かに消えていた。

 誰がどう動き、何をすれば戦況がどのように変化するか。手に取るように分かる。

『これが、フィリップ十三世陛下の改革の成果か!』

 配下に抱えた一個大隊に突撃の指揮を下し、ルイは全身が粟立つのを感じた。


 優勢だったはずの敵軍が目の前で瓦解し、雪崩れをうって逃走に転じる。その時にはすでにフェルディナン王太子の騎兵は別働隊の艦隊によって回収されており、シュテインゲン軍は、何処までも何処までも、北に向かって敗走を続けた。

 逃走する敵軍を追いかけ、このままシュテインゲン南部を制圧すべきとの声も上がったが、コルキスタとの海戦と同時に起こった多面戦争の直後だ。それを可能にするだけの充分な余力があったとは言えなかった。

 いずれにしても、国土と国民を守ることは出来た。

 グルンステインは勝った。海戦、陸戦、共に勝利したのだ。


 この戦闘で、ルイは負傷をしつつも功績を挙げた。

 階級は大尉から少佐へと昇進し、勲章を戴くことになった。

 授与式は秋の収穫祭期間中に行われることになり、秋晴れの高い青空の下、ルイは国王フィリップ十三世より軍功労勲章を賜った。さらにシュテインゲン軍を撃退した要塞の司令官はグランエーグル勲章を授与され、麾下の軍人には金色の飾緒フラジェールが与えられた。

 ルイがその人に出会ったのは、授与式の後に催された宴の席でのことだ。


     *   *

 

 授賞式後の園遊会は、陸戦と海戦で活躍した将兵達の真朱と青藍色の軍服で溢れていた。その中で、ルイは今回の北部要塞での激突で応援に駆け付けてくれた、他部隊の士官と談笑をしていた。

 サリム・トゥールムーシュと名乗ったその士官は、ルイより一回りほど年配でありながら、階級は今回の戦闘でやっと大尉になったのだという。彼は一介の下級歩兵から、軍功を重ねに重ねて出世を遂げた平民だったのだ。

 平時は東部要塞でレステンクール王国と対峙しているのだと教えてくれた。


 彼と今回の戦闘について議論を交わしていると、アンリに声を掛けられた。傍らには彼の妻オーレリーと、四歳になったばかりの一人息子クレールもいた。

 ルイがしゃがんで両手を広げると、クレールは腕の中に飛び込んだ。

「大きくなったな!」

 高々と掲げられたクレールは、アンリと同じ濃紺の瞳を細めて声をあげて笑った。その笑顔にルイも破顔する。

 幼子との再会は夏期の長期休暇以来だが、僅か二ヶ月ばかり会わなかっただけで随分と重くなった。


「二人揃って休みなのか」

 クレールをぎゅうっと抱き締めてからアンリに問う。今日、アンリは近衛部隊の軍服ではなく、一貴族としての礼装だった。

「ああ。ルイの晴れの舞台を祝ってやれ、と父が。それにクレールもお前に会いたがってな」

 そういうことなら母親も一緒の方が良いと、オスカーが宮廷長官に掛け合ってくれたのだ。

「今日の私はローフォーク子爵代理だ」


 ルイはアンリ親子とトゥールムーシュを互いに紹介した。

 アンリはトゥールムーシュのことを知っていたようで、笑顔で握手を交わした。

「今回の北部要塞での戦闘は凄まじかったと聞いた。ルイの立案した戦術が見事にハマったそうだな」

「いいや。決定的な転機は、王太子殿下と海軍の陽動と攪乱だ。あれがあったればこそ、巧く機能した戦術だ。王太子殿下にも麾下の騎兵隊にも、最も危険な役割を担っていただいた。殿下の勇敢さには感服せざるを得ないよ。コルキスタとの海戦の直後だというのに、殿下を運んで下さった上に囮になってくれたシラク元帥にも頭が下がる」

「さすがは史上最高の海軍総司令官だ」

「同行した騎兵隊は気が気じゃなかった様だがな」

「だが、あの御二人の指揮下にあって、敗北こそ想像出来やしないのではないかね」

 ルイとアンリの会話にトゥールムーシュが加わり、二人は顔を見合わせて「確かに」と、頷き笑った。


「あなた」

 不意に、オーレリーがアンリの腕に手を添え、会場の端を指した。

 アンリはそこに目をやると、忘れ物を思い出したかのようにアッと声を出す。

「オーレリー、頼む」

 アンリがそう言うと、彼女は軽く一礼して中座した。


「実は、今日はルイに紹介したい人がいるんだ」

「紹介?」

「おや、お見合いですか?」

 トゥールムーシュがそんな事を言い出すので、ルイは慌ててアンリを見た。

「まあ、似たようなものです」

「アンリ兄さん、そんな真似はしないでくれ! 俺の結婚相手はどうせあの堅物が決めるんだ!」


「まあまあ。向こうはこれが見合いだなんて思っていない。休みをいただいたのなら、一緒に宴席を周ろうと約束しただけだ。お前も気に入らなければ、ただ挨拶するだけで良いんだよ」

「面白そうですな。見物しても?」

「ええ、構いません」

「兄さん……」

 興味津々のトゥールムーシュへ応じたアンリに、ルイはうんざりした顔で項垂れた。

 腕に抱いたままのクレールが、こちらに戻ってくるオーレリーに向かって手を振る。

 嫌なら無かったことに出来ると言うのなら、まあ、適当に話を合わせれば良いか、と顔をあげた。そして、ルイは目を瞠る。


「紹介しますね。こちらはマルティーヌ。三年前からアデレード様の侍女官として一緒に働いているの。マルティーヌ、こちらはシュトルーヴェ伯爵家の御嫡男ルイ・フランシス様。夫と兄弟のように育った幼馴染みよ。そして、こちらがサリム・トゥールムーシュ大尉。今回の北部戦線で東部要塞から救援に駆け付けた部隊の隊長補佐官の方です」

「初めまして。シュトルーヴェ伯爵様、トゥールムーシュ大尉様。マルティーヌと申します。父はトマ・ラピエール伯爵で西部の地方行政官を務めておりますの」

 オーレリーの横で、亜麻色の長い髪を揺らして女性は微笑んだ。


 気付くと、ルイはクレールを抱えたまま、手を差し出していた。

「初めまして、ラピエール伯爵令嬢。私はルイ・フランシスだ。ルイと呼んで欲しい」

「はい。ではルイ、私のことはマルティーヌと」

 マルティーヌはルイの手を取り、オリーブ色の瞳を細めた。

 濃く、落ち着いた色合いの瞳は知的で、ほっそりとした身体付きは抱き締めれば簡単に折れてしまいそうだ。


 ルイは急に腹が立った。

 トゥールムーシュと共に、にんまり薄ら笑うアンリに対してだ。

 だが、今はアンリにもトゥールムーシュにも、苦情を申し立てている暇は無い。

 何故なら、目の前の可愛らしい女性の仕草の全てを、見逃したくないのだから。

 

     *   *


 出会いから半年後、ルイはマルティーヌの実家があるラピエール伯爵領へと乗り込んだ。不本意だが、父ギュスターヴも一緒だ。


 事前に手紙は出していたが、王宮庭園に邸宅を構えるだけの影響力のない地方貴族であるラピエール伯爵は、突然の名門軍人家からの面会の申し出に青褪めた顔でルイ達を出迎えた。

 直前に、娘が体調を崩して暇をもらい、領地に帰って来ていたこともあって、訪問の理由は察していたようだ。


 娘に傷を付けられたラピエール伯爵は、例え相手が筆頭伯爵家であっても、出方次第では訴訟も辞さない心構えだったらしい。

 緊張で震えながら、それでも毅然した態度で出迎えた伯爵は、目の前に現れたルイの顔がすでに腫れ上がって変色していたことと、王家の血を引く陸軍上級大将がいきなり床に片膝を着き頭を下げたことで怒りは消散。むしろ、破格の条件で嫁入りを望まれて、逆に腰が引けてしまっていた。


 熱心にマルティーヌへの想いを説くルイに、伯爵の顔は頼りない地方貴族の善人のものから、徐々に一人の父親の力強いものへと変わっていった。

 ラピエール伯爵は、マルティーヌは大切な一人娘だと言った。

 片田舎の文字通り辺境の伯爵家に生まれて、お世辞にも裕福とは言えない。王都の富裕層の令嬢の方がよほど良いドレスを身に着けているだろう、と。

 だが、流行りのドレスを着せてやれなくても、どこに出しても恥ずかしくない教養は身に付けさせた。人を思い遣り気遣う、心のゆとりと謙虚さと貴族の矜持を失わないように言い聞かせて育て、そのように育ってくれた自慢の娘なのだ、と。


「娘は結婚は望んでいません。貴族としての国家での立ち位置が違い過ぎて、到底そんなことを望める相手ではないと思っていたようだ。父親はどこの誰だと聞いても、そのようにしか答えなかったので、弄ばれたのだとばかり。シュトルーヴェ伯爵家から手紙が来た時も、金か恫喝か、いずれにせよ揉み消そうとするのだと思っていました」

「私は本気です。マルティーヌは素晴らしい女性だ。彼女以外を私は妻に望まない。マルティーヌの中にいる子は私の子です。私は彼女が産んでくれる子に、堂々と父親だと名乗りたい。マルティーヌと彼女が産んでくれる子供達と幸せになりたいんだ!」


 ラピエール伯爵は困った顔でルイを眺めた。

 そして、ルイの隣のギュスターヴに視線を向ける。ギュスターヴは必死な息子とは正反対に、最初の謝罪と結婚の申し入れのあとは、終始、厳めしく口を引き結んで無言を貫いている。時折、ルイの発言に反応して膝に置いた手がピクリと動くものの、二人の会話に割って入ることはしなかった。

 だが、ラピエール伯爵の視線に、ギュスターヴは一つ頷いて口を開いた。


「ラピエール伯爵。我が息子はこの通り、感情が先に立ちがちの馬鹿者だ。だが、貴方の娘御が我が息子を正しく次期伯爵へと育ててくれるだろう。どうか、御令嬢を息子の妻にいただけないだろうか」

 翠色の瞳は、真っ直ぐにラピエール伯爵に向けられる。ルイを見ると、ルイもまた同じ色の瞳で伯爵を見詰め返していた。


 困惑を浮かべていた伯爵はやがて根負けして、傍らに控えていた執事にルイをマルティーヌの部屋へ案内するように言いつけた。

「本当ならば、娘と妻も同席するはずでした。ですが、今日は朝から調子が優れず休んでいます。妻はその看病に」

 言い終わる前に、ルイは案内役の執事を置き去りに部屋を飛び出していた。

 慌ててルイを追い掛ける執事の背中を眺め、ラピエール伯爵は嘆息した。


「貴方の御令息は娘と幸せになりたいと言われた。しかし、シュトルーヴェ家は本当の意味で娘を受け入れて下さるのですか?」

「アレは馬鹿だが、人を見る目は肥えている。私はマルティーヌ嬢は筆頭伯爵家の夫人として、その役目を立派に果たせる人物だと考えております。アレもマルティーヌ嬢も、端から見ていて善き味方は多いのだ」

 ギュスターヴの言い方は回りくどい。

 それでも、ラピエール伯爵は返ってきた答えに満足して微笑んだ。


 

 

                         三、終わり

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る