第十話〜⑧

     *   *



 二度目の六つの砲が鳴り終わり、御披露目の車列が王都を発ったことを知った。

 エリザベスは庁舎正門の内側で、ローフォークとドンフォンが警備任務を終えて戻ってくるのを待っていた。


 つい一時間程前、アン王女を乗せた馬車が広場を通過するのに合わせて、エリザベスはフランツと共に第二連隊庁舎の正門の前に並んだ。

 エリザベス達の最敬礼と多くの市民の熱烈な歓声を受けて、車列は広場をゆっくりと進んで行った。

 先頭に立つのは、軍務大臣直属の騎馬隊だ。

 最前列では軽装騎兵が行列を先導し、次列に両国の国旗を掲揚した騎兵が続く。


 馬車群の先頭は、コルキスタ王国の大使と宰相グラッブベルグ公爵を乗せた馬車だ。その後ろに、王太子妃付き侍女官長マルティーヌと主要な侍女官数名を乗せた馬車が続き、王宮近衛連隊の親衛隊を挟んで、八頭立て六頭曳きの一際豪奢な馬車が続いた。

 王太子シャルルとアン王女を乗せた馬車は、車箱が船底型の流麗な形状だ。

 屋根が無い代わりに幌が備えられているが、天候が好いこともあって畳まれていて、馬車に乗った二人の姿を間近で拝見することが出来た。


 卵型の骨格を包んだ艶のある蜂蜜色の髪。長い睫毛の下の大きな青い瞳は今日の空と同じ明るい輝きを放ち、髪と同色の眉は優しい弧を描いている。鼻立ちは高くも低くもないが、ツンと整い美しい。

 昨年の秋口から出回り始めた肖像画を遥かに上回る美しさに、エリザベスは思わず惚けてしまった。


 ゆっくりと目の前を通り過ぎる王女をぼんやり眺めていると、シャルルが王女に話しかけ、それに応えるようにアン王女がこちらに目を向けた。

 とても吃驚した。

 ちょっとだけ驚いた顔をしてフワリと微笑んだ王女は、間違いなくエリザベスに笑いかけたのだ。

 その事をローフォーク達に伝えたかった。

 きっと、ローフォークは呆れた顔をするのだろうが。


 絶対に門外に出てはいけない、という堅い約束をフランツと交わして、一人残ることを許されたエリザベスは、アン王女の微笑みを思い出してうっとりとしていた。

「いたたたっ」

 不意に、門の外から皺がれた悲鳴が聞こえた。


 顔だけ出して門外を覗き見ると、規制線が外された広場では多くの市民が酒を持ち込んで歌ったり踊ったりと、とても賑やかだ。

 もう少し門外に身を乗り出せば、連隊庁舎前で老人が腰を押さえて蹲っているのが見えた。どうやら、沢山のはしゃぐ通行人達とぶつかって転んでしまった様子だ。老人は人混みに向かって、拳を振り上げて怒っていた。

 老人の傍には、グルンステインとコルキスタの紋章が描かれたシャツが落ちている。屋上から見た一際はしゃいでいた老人だと気付いて、エリザベスは咄嗟に声を掛けていた。

「お爺さん、大丈夫ですか?」


 エリザベスの問い掛けに老人が振り返る。

 痛めたのか、ずっと路上に座り込んだまま、腰をさすっていた。

「大丈夫なものか! 全く、最近の若い連中は、祝い事に夢中になるにしても節度ってものを弁えておらん! 年寄りにこんな真似をして、知らんぷりだ!」

 憤慨した老人は、エリザベスに向かって手を突き出した。

 その意味を咄嗟に理解出来ずに戸惑うエリザベスに対し、老人はさらに腹を立てて声を荒げた。


「手を貸さんか、小娘!」

 それを見ていた門兵が、鼻の上に皺を寄せて近付いて言った。

「おい、爺さん。いくらなんでも横柄だ。あんたが転んだのは、あの子の所為か? 違うだろう」

「違わんっ。貴様等がしっかり取り締まらんから、あんな無礼な馬鹿が巷に溢れるのだ。そこの小娘も軍人なら連帯責任だ。ほら、さっさと手を貸せっ」

「しょうがないな。ほら」

「お前では無い!」

 老人は門兵の手を強く払い除けた。


 いよいよ堪忍袋の緒が切れた門兵は、老人の腕を掴み強引に立たせようとした。老人は大袈裟に痛がり、その声に広場の人々の視線が集まった。

 エリザベスは慌てて門の内から飛び出し、門兵が掴む腕とは反対側に立った。

 自分の肩に老人の腕を回して、立ち上がるのを助ける。老人は満足気にへらへら笑って、エリザベスに凭れ掛かった。


 立ち上がった老人の身体は細かったが、身長は高く、体重を掛けられたエリザベスは、倒れてしまわないように顔を赤くして踏ん張った。

 門兵から振り解いた老人の手が、老人を支えるために腰に添えた小振りな手に乗せられ、すりすりと撫で回された。

 たちまち総毛立ち、転びそうになった。


 門兵は呆れて返って言った。

「コール准尉、分かっただろう。この爺さんは何処も痛めてなんかいない。ただの助平ジジイなんだよ。ほら、ジジイ。いい加減にしろ。終いにゃ彼女のファン共に袋叩きに遭うぞ。あいつ等、怖いんだからな」

「黙っとけ、小僧が!」

「糞ジジイ……」

「あの、あの! 大丈夫です。私、大丈夫ですから!」


 状況はしだいに剣呑になってくる。

 めでたい日に騒ぎを起こしたくなく、困っている老人を放っておくことも出来ない。

 エリザベスが睨み合っている門兵と老人の間で困惑していると、いい加減見ていられなくなったのか、もう一人の門兵が声を掛けてきた。

「何をやってるんだよ」

「ああ、聞いてくれよ。この爺さんがコール准尉を……」

 そう言って門兵が背後を振り返った時だ。


 突如、背後から伸びた手がエリザベスの肩を強く掴んだ。

 あっと言う間もなく後ろに引っ張られ、誰かに抱き止められる。

 驚いて視線を転じると、そこにはローフォークの姿があった。

 一方の手でエリザベスを支え、もう一方の手で老人の襟足を掴み、二人を引き離していた。

「私の部下が何か粗相をしましたか、御老人」

 口調は穏やかだが、怒気を醸し出す低い声は、老人だけでなく門兵とエリザベスまでも震え上がらせた。


「い、いや、何もしとらんよ。何もしとらん。ちょっと転んだら、そこのお嬢ちゃんが助け起こしてくれただけだ。本当だ!」

「そうですか。部下がお役に立てたようで良かった」

 ローフォークは、にっこりと微笑んで襟足を離した。

 老人はローフォークを見上げて引き攣った悲鳴を上げると、エリザベスに礼を言い残して転がるように走り去ってしまった。


「なんだよ、あの爺さん! やっぱり何処も怪我なんてしてねえじゃねえか、なあ?」

「ああ! 全く、とんでもない爺さんだ。ハハッ」

 門兵達は笑い合い、チラリとローフォークを見た。

 ローフォークは無言で両目を眇め、門兵達を見返している。

 一つ咳払いをした門兵達は小銃を担ぎ直し、いそいそと門前の定位置に戻った。


「行くぞ、コール」

「は、はい」

 門兵達の敬礼を受けて、エリザベスはローフォークとドンフォンの後に続く。

「あの、助けて下さって、ありがとうございます」

 大股で歩くローフォークにエリザベスは懸命について歩いた。


 先刻の礼を言うと、ローフォークはエリザベスを一瞥して鼻の上に皺を寄せた。

「何故、門の外に出た。あれほど、フランツに言い含められていたのに、理解出来ていなかったのか」

「お爺さんが怪我をしたと思って。すぐそばに門兵の方々もいらっしゃるから、危ないことは何もないだろうと……」

「だが、あった」


 もし、あの老人がグラッブベルグ公爵の手先だったら?

 婦女を拐かす人売りの一味だったら?

 きっと、小柄で軽いエリザベスはホイホイと簡単に拐われたことだろう。

 人混みに紛れて、すぐに行方不明になり、第一師団は総出で捜索活動に奔走することになる。

 ジェズなど、泣きべそをかきながら王都中を走り回るに違いない。フランツはアリシアに平手打ちを喰らうことになるだろう。


 全てが有り得る話で、エリザベスはしょんぼりと項垂れた。

「申し訳ありません」

「……以降は気をつけろ」

「はい」

 そんな二人のやりとりを、一歩後ろを歩くドンフォンが笑いを堪えながら聞いていた。振り返ったローフォークに、ドンフォンは表情を引き締めて背筋を伸ばした。


「ところで、あんな場所で何をしていた。シェースラーを待っていたのか」

 ローフォークの問いに、エリザベスはハッと顔をあげて瞳を輝かせた。

「いいえ、少佐と中尉を待っていました。お話ししたいことがあるのです。私、アン王女様と目が合いました!」

「は?」

 上官二人はきょとんと両目を丸めた。


「偶然だろう」

「いいえ、偶然なんかではありません! だって、私を見てちょっと驚いた御顔をなさいましたもの。フランツ様は、きっと王太子殿下が私のことをアン王女様にお伝えしたのだろうと、仰っていました」

「ああ、そういうことか」

 男装の少女が軍隊に身を置いているなど、そうそう転がっている話ではない。恐らく、王太子シャルルはエリザベスを覚えていたのだ。


「王女様はとってもお綺麗でした。コルキスタでは男の人でも色白な方が多いと聞いていましたが、アン王女様は雪の妖精のような素晴らしく美しい御方でした。私、とっても感動しました!」

「良かったね、コール准尉」

「ふん、くだらん」

 ドンフォンが優しく共感してくれるのに対し、ローフォークの返事はつれなかった。

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