第十話〜⑦

 砲音の余韻が晴れ渡る空に散り消えぬうちに、一斉に動き出す一団があった。


 彼等は全員が深緑色の野戦服に身を包み、襟や腕には所属と地位を示す階級章を着用している。

 王都郊外を管轄区に持つ第三、第四連隊を中心に、他師団の精鋭の混成部隊が、春の木漏れ日の差す森の中を疾走する。

 やがて、下草や低木の枝葉の間に、目標とする害獣の群れを発見した。

 兵士達の気配に気付いた害獣等は、血相を変えて八方へ駆け出す。

 命令が下され、複数の銃声が森の中に響き渡った。


 害獣達が下草に倒れ込む。

 これを組み敷いて、鉤爪代わりの刃物を取り上げ、咆哮代わりの拳銃をその手から叩き落とした。

 被弾を免れた少数が、森を林道方向へと逃げる。

 直ちに兵士の一団がその後を追った。


 一人が手筒に火を点けて空へ向けて放つ。獣共の頭上を、尾を引いた白煙の塊が越えて行った。

 森のあちこちから、銃声と怒声がこだまする。


 狩る者と狩られる者。


 本来ならば狩る者であったはずの獣は、土塊つちくれに顔を押し付けられてなお、抵抗を試みる。

 脚を抑えられ、両腕を背中で縛られた獣──レステンクール人の残党達は、計画の失敗を知り、激情に任せて雄叫びをあげたのだった。



     *   *



 レステンクール人が動き始めた。

 その報告は、各国に放った間諜を通じて、年明けには齎されていた。


 王太子の結婚の祝いの振る舞いを目当てにした、外国からの観光客急増の報告も国境から届いており、それらの人々の中に国籍を偽った報復者が紛れ込んでいる可能性は大きかった。

 レステンクール人の目的は、容易に想像がつく。

 アン王女の殺害だ。

 亡失の報復者達は、王太子シャルルの婚礼の儀を失敗させることにより、コルキスタ王国との間に軋轢を引き起こそうとしているのだ。


 シャルルとアン王女との婚姻は、長きに亘って敵対していた二国間の外交方針を大きく転換させる。それだけでなく、コルキスタと締結される『不可侵条約』は、『聖コルヴィヌス大帝国』の対外政策にも大変革をもたらすものだ。

 例え、アン王女に万が一の事態が起こっても、条約締結を成したい政治的な理由が双方にある以上、身代わりの姫を送ってくることで互いに手打ちにするだろう。


 だが、間違いなく確執は残り、再び王太子妃を失う事になったグルンステイン王国は、同盟諸国からの信頼を失う。

 そのような状況下で結ばれた条約は、果たしてどれほどの拘束力を発揮するのだろうか。

 小国が乱立していた時代、条約破りは茶飯事だった。

 国家間の約束事は、書面の内容以上に国家君主の誠実さが試されるのだ。


 過去、グルンステインでは前王太子夫妻が、その命を奪われている。

 望まれて輿入れするアン王女がグルンステインの地で命を落とせば、統治者としてのフィリップ十四世の名声は失墜する。

 特に、十二年前に皇妹を失っているカラマン帝国は、不快感を隠さないだろう。やがて王位を受け継ぐシャルルも、大きな枠組みの中で不当な立場に置かれかねない。

 何より、アン王女の出迎えにはシャルルが同行している。

 アン王女を狙う彼等は、当然のごとくシャルルの命をも狙ってくる。

 十二年前の悪夢の再現を、許してはならないのだ。


 国王フィリップ十四世は、治安維持軍のみならず、国軍総軍をもっての厳戒態勢命令を軍務省に下した。

 軍務大臣の命を受け、治安維持軍では他軍協力の下、沿道警備の強化のみならず、外国からの旅行者の所在地の把握を徹底した。


 ここに至るまで、幾つもの襲撃に適した地点はあった。

 だが、いずれも厳戒態勢の警備の網を掻い潜り、車列に接近することは叶わなかった。


 すでに数人のレステンクール人が逮捕されている。その情報に、治安維持軍は意図して規制をかけなかった。追い詰められていることを、報復者達に知らしめる為だ。

 襲撃に残された場所は、やがて絞り込まれる。

 王都近郊から王宮庭園までの道のりがそうだ。

 その中でも、王宮庭園間近の森の林道には、警備の展開に限度のある区間が存在する。道幅の都合で、警備の層を一時的に薄くせざるを得ないのだ。

 そこに、奴等は集結する。


 否、そこに追い詰めるのだ。


 軍務大臣シュトルーヴェ伯爵は、治安維持軍の第三、第四連隊の精鋭部隊を森の奥に配置した。

 他師団の部隊も展開し、包囲を徐々に狭めて、文字通り一網打尽にする作戦だ。この作戦には第二連隊の優秀な狙撃手達が、包囲作戦の補佐に投入されている。

 作戦は、御披露目の車列が王都に入ったと同時に開始され、最初の馬車が王都を出て林道に差し掛かる前には完了させねばならない。

「奴等に二度は許さない。我々は、今度こそ我々の象徴を護り抜く」

 軍務大臣の言葉は、作戦に関わる全ての兵士達を奮わせた。


 湿気を帯びた冷えた空気の中、所々ぬかるんだ地面に足を取られつつ、凶刃を握る男達は追い立てられて走る。

 散じて追手を分散させようと試みるも、各所に配置された小銃部隊の正確な狙撃がそれを阻んだ。


 この作戦には、一年前に発見されたアンデラの密輸銃が導入されていた。

 サーンス等、グルンステインの武器職人達の手によって改良を加えられた新銃は、より安定した軌道で弾丸を射出し、この原型を持ち込んだレステンクール人達の退路を断つという、皮肉を生んだのである。


「シェースラー! 十一時の方向に一人いる。樫の樹の根元だ!」

 ビッテルス大尉の誘導に、ジェズは即座に銃を構えて引き金を引いた。

 放たれた弾丸が、正確にレステンクール人の大腿部を撃ち抜いた。素早く次弾を装填し再び放った弾丸は、樫の樹の死角を利用して逃げ切ろうとしたもう一人の肩を穿つ。

「トレビアン!」

 降り注ぐ賛辞にむず痒い思いをしながらも、ジェズはけっして気を緩めることは無い。

 追い込む予定の林道には、沿道警備の第三連隊の兵士がいる。ほんの僅かな油断が、味方に被害を与えかねないのだ。


 作戦が開始されて三時間が過ぎた頃、林道を目掛けての虱潰しの総当たり作戦は終盤を迎えようとしていた。

 後背に取り逃がした場合も想定して、包囲陣は三重に敷いてある。

 この作戦に投入された兵士の数は、とてつもなく膨大だった。

 

 低木の陰に潜んでいた男を撃ち、それが最後の一人となった。

 林道に用意された格子付きの護送馬車には、負傷した叛逆者達が詰め込まれた。ジェズ達が受け持った区域だけでも、十人以上のレステンクール人が捕まっていた。

 他の区域も合わせれば、用意した護送馬車だけは足りないかもしれない。


 先刻、王都の方角から、再度、一定の間隔を空けて六発の砲音が聞こえた。

 車列が王都の東正門を出た合図だ。

 三十分後には、シャルル王太子とアン王女を乗せた儀装馬車が林道に差し掛かる。

 王都市内では御披露目の為に速度を落としていた馬車も、門を出れば足を速めての移動となる。

 早急に護送馬車を撤退させる必要があった。


 全ての部隊が林道に到達したのち、今度は林道から森に向かっての掃討作戦となる。

 一部の部隊は、身を隠しながら馬車列に並走しての警備行動に移行する。

 ジェズは掃討作戦に加わる予定だった。


「何をしている、シェースラー!」

 ジェズが属する班はすでに森に足を踏み込んでいる。

 班から離れて、いつまでも護送馬車の周囲をぐるぐる回っているジェズに、班長の叱責が飛んだ。

「……居ないんです」

「なに?」

 不安気に答えるジェズに、班長は怪訝に眉を寄せた。


「マートンがいない。一番油断しちゃいけない奴だ! アイツが居ないんです!」

 その時、ジェズの訴えに応じるかの様に、護送馬車の中から失笑が聞こえた。

 振り返ると、レステンクール人の一人が肩を震わせて笑っている。

 何処かで見た記憶がある。

 トビアス師団の本部で、マートンと共にエリザベスを取り調べた記録官だ。

「お前、何か知ってるな⁉︎」


 鉄格子にしがみ付き、ジェズは元記録官の猿轡を乱暴に毟り取った。

「答えろ! アイツもレステンクール人だろ! アイツは何処にいるんだ!」

「ここにいるわけが無いだろう、オリヴィエだぞ? 我々とは考え方が違う」

「ちゃんと答えろっ」


「アイツは糞野郎ってことだ。気付けば、居なくなっていた。奴に祖国への忠誠心などない。最初からこの国のことも祖国のことも興味は無いんだよ。後ろ盾を得られた状態で殺しを愉しむ。場を混乱させて、愉悦に浸る。

 奴の忠誠心は、常に自分の好奇心にのみ注がれるのだ。我々同胞でさえ、その欲求を満たす為に利用する。その後ろ盾さえ、苦しめられる機会があれば悦んで痛めつける。奴の背後にいるのは、一人や二人では無いんだよ。

 誰の背中に隠れるか、その場、その時の気分で変える。オリヴィエ・マートンとはそういう奴だ!」


 今頃、何処にいて、どんな愉しいことをしているのだろうな。

 最後に、そう囁いて笑った元記録官の目は濁っていた。

 その姿に、悪寒が走る。


 ジェズは周囲に視線を走らせ、一頭の馬を見付けた。沿道警備を行うにあたって、相互連絡の為に用意されていた馬だ。

 繋がれていた手綱を樹の幹から解き、ジェズは馬に跨った。

 班長の制止を振り切って馬を走らせる。

 脳裏に過ぎっていたのは、昨年の初夏の惨劇だ。


 ジェズは両目をきつく瞑った。

 同じ目には遭わせない!

 絶対に、絶対に、今度こそエリザベスを守るんだ!

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