第十話〜⑤
「強いて言うなら、敵の敵は味方ってところかしら。基本的に公爵家の方々って『あの御方』が好きじゃないわよね? だから、昨今の事情もあって、お父様に貸しを作っておこうって腹積りなのだと思うわ。それにカノヴァス公爵って、我が家と親戚よ? お父様と従兄弟同士なの。お祖母様はカノヴァス公爵家から我が家に嫁いで来たのよ。ついでに言うと、スティックニー侯爵の奥様はカノヴァス公爵夫人と姉妹なのよ。世間って狭いわよね」
アリシアは貴族社会の閉鎖性をしみじみと語った。
さらに、スティックニー侯爵家は商人肌の大貴族だ。
歴史的な離宮を借り上げ、そこで大きな宴を催す事が出来れば、自身の権威を高められもする。
支払いの殆どが新郎側のシュトルーヴェ家ならば、尚のことだ。
そういった諸々の事情も含めて、思いの外、すんなりと離宮を借り上げることが出来たのだった。
ふと、エリザベスはあることに気付いた。
「あの、アリシア様」
「なあに?」
「もしかして、伯爵様って、王位継承権を持っていたりするのですか?」
エリザベスの問いに、周囲はハッと息を飲んだ。
カノヴァス公爵位は、オーベール一世の異母弟が賜った爵位だ。
オーベール一世とファブリス女王の結婚から数年後に、初代カノヴァス公爵は女王の妹姫と結婚している。
元々、シュトルーヴェ家は二代前がオーベール一世の妹を妻にしており、王家との血縁関係がある。
降嫁に際して王族の権利を放棄している為、息子である先代伯爵に王位継承権は無いのだが、その先代伯爵が王家の傍系である公爵家から妻を貰っていたとすると話は変わってくる。
先代伯爵の妻、つまり現当主ルイ・フランシスの母親が王族公爵の一員としての権利の放棄を行っていなかったのだとしたら、伯爵とフランツは王位継承権を保有している、という事になるのではないか。
「……ふふ。うふふ」
「ア、アリシア様⁉︎」
不気味に笑い出したアリシアに、エリザベスは慄いた。
「無いわよ」
「え?」
「王位継承権なんて保有してはいないわ。継承権の放棄は、お祖母様が我が家に嫁いで来る際に、我が家が出した絶対条件ですもの」
ただでさえ、古くからの有力な名門貴族として名を馳せているシュトルーヴェ家は、様々な政争に介入せざるを得なかった。
この上、王位を継げる権利などを保有しては、良からぬ連中に担ぎ上げられるかもしれないのだ。力が強く能力に優れた人材が多いだけに、真っ先に謀略の矢面に立たされるだろう。
とにかく、必要以上の面倒ごとに巻き込まれるのは御免だ。
「嫉妬もあるからな。余計な物は持たない方が身軽で良い」
ローフォークの言葉にトゥールムーシュが頷いた。
「だが、有り得る話で、儂はちょっとビビったぞ」
普段は鷹揚な彼が胸を撫で下ろす姿に、エリザベス達は声を上げて笑った。
「ところで、その『あの御方』とやらは、今日は招待していないのか? 姿が見えないが」
唐突に、ボナリーが突っ込んだ質問をした。
エリザベスとアリシアは顔を見合わせた。
「公爵様は欠席です。招待状はお送りしたのですが、家族と旅行を予定しているという事で、今日はお出でにはなりません」
「取ってつけたような理由だな。だが、そんなものか」
ボナリーが鼻を鳴らした。
ここ最近、グラッブベルグ公爵は極めて大人しい。
度重なる事件のおおよそに公爵の名前が見え隠れしている事に、国王は不快感を示して厳しく叱責したとの噂があった。
圧倒的な見えない力でシュトルーヴェ家を捻じ伏せ、エリザベスの心を打ちのめした『権力』は、グラッブベルグ公爵をも抑え込んだのだ。
一国の王として、国内の均衡を保とうということなのだろうか。
今では襲撃事件の直後に湧き立っていた宰相派達も、とんと静まり返っていた。
「大人しくしてくれるなら、こちらにとっては有り難い事だ。我々も我々の職務に集中出来る」
「その反動が恐ろしくもあるがな」
ティエリの言葉に、トゥールムーシュがそう返した。
全員が、肩を竦めて苦笑いを浮かべた。
だが、
「そうなったら、その時だ。我々は、全力で陛下と殿下を佞臣から御護りするのみ。そうだろう!」
ボナリーが迷い無く言い切った。
「先ずは、アン王女と王太子殿下を、無事に陛下の元へお届けする事だ」
いよいよ半月後には、アン王女がグルンステインへとやって来る。
冬の間、荒れ狂っていたサン=セゴレーヌ海峡は、春の訪れに合わせて穏やかさを取り戻す。
王国西部の海軍最大の軍港から戦艦を出し、かつての海戦に於いて大敗し、その後、奪取に成功したグルンステイン側の領島の上で、アン王女の引き渡しの儀が執り行われる。
その儀典に王太子シャルルも参加する事になっていた。
この披露宴後、伯爵夫人マルティーヌはすぐに王都を発つ。
女官長として、引き渡しの瞬間からアン王女に傅くことになるのだ。
花嫁行列の道程も決まった。
沿道警備の詳細は、重要機密として箝口令が敷かれている。
だが、最後には必ず、この王都リリベットを経由して王宮庭園へ入園することになっていた。
「本物のアン王女様ってどんな御方なのでしょう。すごくドキドキします」
市井は、海を渡って来る異国からの花嫁の話題で、浮き足立っている。
初めて肖像画を目にした時から、エリザベスもずっとアン王女がグルンステインにやってくるのを、楽しみにしていたのだ。
「コール、分かっているのか。お前は留守番だぞ」
うんざり顔でローフォークが釘を刺してきた。
「分かっています。いくら公爵様の動向が沈静化しているといっても、まだ何が起こるか分かりません。アン王女様のお迎えを完璧に遂行するには、私のことにまで気を回している場合じゃありませんもの」
聞き分けの良い返事のわりには、その表情は不服そのものだ。
本心では、沿道警備を行うローフォークの補佐くらいしたかったのだ。
そして、自分も民衆と同じように、アン王女の間近で声援を送りたかった。
「遊びじゃないんだぞ」
「……私だって訓練を受けているんですから、悪漢の一人や二人、投げ飛ばせるのに」
「一度も俺を転ばせることさえ出来やしないのにか?」
エリザベスは頬を膨らませて憤った。
そんな少女の姿に、軍人達は笑い声をあげる。
いよいよ赤くなって怒るエリザベスを、ローフォークが呆れ顔で眺め、アリシアが宥めた。
「ほら、リリー。お兄様とお義姉様がいらしたわ。いつもの笑顔を見せてちょうだい」
膨らんだ頬を突ついたアリシアの指が、披露宴会場の上座を指した。
アリシアが指し示す先には、人の輪からようやく解放されて、こちらへと向かって来る新郎新婦の姿があった。
手を繋ぐ二人は、本当に幸せそうだ。
ローフォークを見上げると、彼もまた嬉しそうに微笑んでいた。
不意に視線が合い、ローフォークは少し目を見開いて驚いた表情になる。視線はすぐに外されてしまったが、エリザベスは特に傷付きはしなかった。
むしろ、意趣返しの好機と睨んで、にこにこしてローフォークを見上げた。
顔を背けたローフォークが舌打ちをしたので、エリザベスは咄嗟に自分の口を両手で隠した。
指の隙間から笑い声がじわりと溢れる。
笑顔を見られたくらいで、そんなにも悔しいのだろうか。
「……何が可笑しい」
唸るように呟いたのは、トドメの科白だ。
エリザベスは頑張っていたが、頑張り切れなかった。
声を出して笑う少女に、フランツ達は何事かと視線を向ける。
ローフォークはさらに悔しそうに、鼻の頭に皺を寄せて少女を睨んだ。それでも、その瞳に悪感情は込められていない。
ただの照れ隠しだからだ。
なんて可愛い人だろう。
エリザベスは少しだけ、ローフォークの内面に触れることが出来たような気がして、嬉しかった。
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