第十話〜④

「オットーよ」

 国王フィリップ十四世の瞳が眇められ、公爵の飴色の瞳を見据えた。


「伯爵を罷免するのであれば、余はそなたを宰相職から外さねばならぬ」

「は?」

 グラッブベルグ公爵はキョトンと国王を見返した。


「何故、余が何も知らぬと思うのか。伯爵の能力や責任に欠如があったと言うのならば、では、そなたはどうなのだ。余が、そなたがこれまで隠れて繰り返してきた悪意の所業を、何故知らぬと思い込んでいる。地位に対しての責任と言うのであれば、そなたこそ、その自覚が不足しているのではないのか?」


 一瞬で蒼白になった公爵に、国王の言葉がさらに容赦なく叩き付けられる。

「余がそなたにアデレードを降嫁させたのは、そなたがアデレードを大切にするだろうと思ったからだ。病の痕が残り心無い言葉に傷付けられた娘に、真心と女としての幸福を与えてくれると信じたからだ。余がそなたを法務大臣や宰相に任命したのは、そなたの政治的思想が我が父の理念を受け継ぐものだと考えたからだ。

 だから、過去の噂の数々に目を瞑った。そなたが理想とする国家に近付けるように、多くの貴族達を宥め、説得してきた。

 何故、シュトルーヴェ伯爵が、そなたのこれまでの行いに沈黙を保ってきたのか、分からぬか。それは伯爵の考えが余と同じであるからだ。元より、伯爵はそなた自身に関心は無い。

 そなたが以降、グルンステイン王国の貴族の一人として、その才能を遺憾無く発揮してくれれば、そなたの過去の所業を糾そうなどとも思わなかったであろう。

 彼は、そなたが正しくカレル・ヴィルヘルムを導きさえしていれば、例え自分が親友の息子に罵倒され謗られようとも、ただ黙ってそれを受け入れていたのだ」

 グラッブベルグ公爵は、唖然と国王を見上げた。

 

「オットー・グラッブベルグ公爵。つい先日、余は言ったはずだ。落胆させてくれるな、と。これ以上、余の不興を買いたくなければ、邪念の一切を捨て、ローフォーク子爵への干渉を止めることだ。一体、誰の助言のお陰でアデレードを妻に出来たと思っておる」

『助言?』

 思い掛けない言葉に、公爵は目を丸めた。


 だが、国王の深い青い瞳が、公爵を冷徹に見下す。

 公爵は知りようもないが、その視線は前日にエリザベスを見下した時よりも、さらに低い冷気を帯びていた。

 グラッブベルグ公爵は、凍てつくその瞳から、そろそろと目を逸らした。


「これまでのそなたの振る舞いの数々、余は誠に不快である」

 微かに震える声で、公爵は平伏した。

「国王陛下の……仰せのままに……」



     *   *



 三月の上旬。

 残雪の合間から気の早い草花が芽吹き始めた頃、フランツとブロンシュの結婚式が執り行われた。


 王都郊外のモンジュール教会で、婚姻宣言書に署名をし口付けを交わした二人は、司祭の宣言によって正式に夫婦と認められた。

 多くの参列者の祝福の中、若い夫婦は春の陽光に照らされて、幸福を湛えて微笑み合っていた。


 婚礼衣装に包まれたブロンシュは、うっとりするほど愛らしい。

 ドレスは古くからの伝統的なデザインだが、上質な絹地で仕立てられたそれには、衣装を手掛けたモード職人の工夫が織り込まれている。

 ペチコートとガウンの裾には金糸の刺繍がふんだんに縫い込まれ、肘はたっぷりとした三段の襞袖の中に、膨らみを持たせる目的でレースの重ね袖を覗かせる。

 背面は両肩の間に深く幾重にも折り畳まれたプリーツが通常よりも狭い間隔で縫われ、その分、下に向かうほどゆったりと幅広く広がっているように見える。

 長めに取られた引き裾が、花嫁衣装を一層、格式の高い物に見せていた。


 花嫁の頭を覆うヴェールは、ブロンシュの髪色を想起させる菜の花模様に編み上げられていた。

 よく目を凝らすと、ドレスの刺繍もまた、菜の花だ。

 菜の花の花言葉は「快活」「明るさ」そして「小さな幸せ」だと言う。

 いつか訪れるこの日の為に、娘達が産まれた時から職人に発注していたというヴェールには、両親であるスティックニー侯爵夫妻の娘への深い愛情が織り込められていた。


 フランツを見上げるたびに若草色の両目を細めて微笑む姿は、まさに春の木漏れ日に咲く花のようだ。愛されて育ったからこそ、愛しみの眼差しを惜しみなく向ける事が出来るのだろう。

 エリザベスは、この令嬢を好きになってしまったフランツの気持ちが、分かる気がした。


 一方、フランツは治安維持軍の鉄紺色の軍服に身を包んでいた。

 腰に儀礼用のサーベルを差し、胸に幾つも着けられた勲章や略章は、これまでに彼が挙げた功績の数々を証明する。飾緒しょくちょが右肩を飾り、明るい金髪の前髪を上げた姿は、とても凛々しかった。


 披露宴は、王都市内の王族所有の離宮を借りて催された。

 気負った形式ではない気軽い立食式の饗宴に招かれたのは、両家の親族の他、職場の同僚や友人、また職務上関わりのある商人達だ。


 武官家と文官家の結び付きは貴族同士には珍しい話ではないが、両家共に並の貴族ではなく、関わる商人達も大家が多い。

 招待された貴族は領地繁栄の為に、商人達は新たな商売の可能性を求めて、それぞれ積極的に人脈作りに励んでおり、会場となる離宮の中庭は賑やかだった。


 エリザベスは、アリシアと共に伯爵夫妻の挨拶回りに付いて歩いていた。

 ジェズは、いち早く見付けたシャテルと共に、武器商人サーンス夫妻に同行していたヴヌーのもとに走って行った。

 ジェズはすっかりサーンスに気に入られたらしい。三人が楽しそうに会話をしているのが遠目にも見えて、ヴヌーが軍隊での辛い経験を克服しつつあるのだと分かり、内心でホッとした。


 エリザベスは会場を見渡した。

 数ある宴卓の中の一つに、良く知った顔を見付ける。

 伯爵とマルティーヌに断りを入れて、エリザベスがアリシアと共に向かった先は、第二連隊の幹部の面々が談笑している卓だ。


 小走りで近寄って来る着飾った少女達に気付いて、トゥールムーシュがワイングラスを頭上に掲げた。

「御二人さん、今日はまた随分とめかし込んどるな。花嫁はお前さん達だったか?」

「まあ、中佐ったら」

「そういう揶揄いは、本日は受け付けておりません!」

「おお、そうか! こりゃ済まんな」

 エリザベスとアリシアが腰に手を当てて怒ると、老兵は声を上げて笑った。


 その横から、ティエリが進み出て恭しく御辞儀をする。

「シュトルーヴェ伯爵令嬢、エリザベス嬢。本日はお招きに預かり誠に光栄で御座います。この春の陽射しの如き柔らかな神の祝福が、新郎新婦と共に貴女方にも降り注ぎますよう」

「有り難う御座います、ティエリ中佐。兄達もきっと喜びますわ」

 アリシアがにこやかに軽く腰を落とし、エリザベスも倣って辞儀を返した。


 ティエリに続いてボナリーが挨拶をし、ロシェット達副官も丁寧な祝いの言葉を送った。

 そして、

「本日は、誠におめでとうございます」

 短く、堅苦しく、ローフォークが挨拶をした。


「ローフォーク少佐も、ようこそおいで下さいました」

「ああ」

 やや居心地が悪そうにローフォークは応えた。

 にこにこと満面の笑顔のエリザベスとは、正反対の表情だ。


「皆さんは、もうフランツ様とブロンシュ様にお会いになりましたか?」

「いや、まだだ。もう少し、人が掃けてからにしようと……」

 そう言って見遣った会場の上座では、フランツとブロンシュが多くの客人に取り囲まれていた。

 二人を中心に人の輪が一つ。それを取り囲んでさらに一回り、二回りと、幾重もの挨拶の順番待ちの輪が出来上がっていた。


 それに加えて、王宮庭園を追放された貴族を、好んで夜会や園遊会に招待する者もいなかった事から、ローフォークはこういった華やかな場所での事細かい礼儀作法に慣れていなかった。

「そんなざまで、あの中に入る度胸は無い」

「まあ、確かにねぇ」

 アリシアは苦笑いだった。


 だからこそ、フランツと伯爵は王宮庭園内の屋敷ではなく、市内の離宮を披露宴の会場に選んだのだ。

 商人達や平民出身の軍人達も多く招待していたのは、ローフォークが気負わずに済むようにという配慮だ。

 余計な気を、と招待状を渡された時、ローフォークは顔を顰めて見せたが、何処か嬉しそうでもあった。


「それにしても、よくこの離宮を借りることが出来たな」

 披露宴会場となる宮殿は、オーベール一世王妃でファブリス女王エリザ=リベットの妹が、晩年を過ごした宮殿だ。

 現在は孫のカノヴァス公爵が所有しているが、気に入らなければ相手が誰だろうと絶対にこの宮殿を使わせない御仁で有名だった。

「さすがに、シュトルーヴェ家とスティックニー家には敵わなかったか」

 ローフォークが感心して言うのに、アリシアは翠の両目をくるりと回した。

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