第十話〜③

「余が昼にデュバリーから受けた報告では、ベルニエ侯爵はシュトルーヴェ伯爵を襲うにあたり、ローフォーク子爵にその罪を着せるつもりであったようだ。この報告書でも、実行犯の大半がそう証言している。彼等の家の使用人達は、主人等から自分達の身代わりがいるから心配ないと言われ、襲撃に加担したようだ」


「では、そういう事なのでしょう。私もシェースラーも、ローフォーク子爵とは毎日のように顔を会わせています。例え、深夜の闇の中でも、その背格好や声色を間違えるはずはありません。昨夜、ローフォーク子爵は襲撃現場にはおりませんでした」


 フランツは、顔色一つ変えずに国王を相手に嘘を吐いた。

 エリザベスはその胆力に驚きつつも、ふと、翠の瞳が国王の手元に向けられて僅かに見開かれたのを見た。

 釣られて、エリザベスも国王が手にする書類に目を向ける。

 そして、気付いた。


 その書類は、第一連隊が作成した尋問調書だ。

 王宮近衛連隊が国王への報告の為に筆写した物ではなく、第一連隊が襲撃の実行犯達から得た証言を書き起こした、第一連隊長であるフーシェ少将の確認署名がなされている、原本そのものだ。


 ──どうして、そんな物がここに。


 国王陛下への報告に使用されるからだろうか。

 だとしても、大事な書類を貸し出す側の第一連隊の士官がいない。

 別の場所に控えているのだろうか。

 上手く言葉に出来ない恐怖が押し寄せてくる。


「実は、そなた等に先んじて、グラッブベルグ公爵への聴き取りを行った」

 ビクリと身が震えた。


「エリザベス嬢」

「……はい」

「五月の末、そなたの家が強盗に襲われた際、誘拐された先で犯人の顔を見たと証言したそうだな」

「はい……」

「その名を、ここで口にする事は可能か?」

「はい。グラッブベルグ公爵です」

 エリザベスは真っ直ぐに国王を見据えて答えた。


 国王フィリップ十四世は、あげられた名に特別驚きを示さなかった。

 それが、予感を肯定しているように思えて、余計に恐怖心を煽った。フランツも同じ予感がしたのだろう。眉を寄せ、口を引き結んでいた。


 エリザベスは無礼と分かっていながら、国王の深い青い瞳を凝視し、どうにかそこに希望を見出そうとした。

 だが、その願いが叶うことは無かった。

 国王は真剣な眼差しでエリザベスに言った。

「では、その名を忘れなさい」


 国王の手が尋問調書を引き裂いた。

 ジェズとアリシアが息を飲んで腰を浮かす。

 躊躇いもなく破り捨てられる音を聞きながら、エリザベスは唇を噛み締めて俯いた。


 淡い期待は完全に打ち砕かれた。

 国王フィリップ十四世は、何と言ったのか。

 忘れるとは、何の事をだろう。

 誰の顔を、名を、忘れなければならないのか。

 本心では、エリザベスだって忘れてしまいたい。

 今だって、あの日の事を夢に見て目覚める夜があるのだ。


 忘れられるものであるのならば。

 グラッブベルグ公爵を立派な領主だと信じていた頃に。母のお叱言や父の笑顔が当たり前にあった日々の中に。タラやオリガ、ヴァンがくるくると華麗に立ち働く姿が視界の隅にいつでもあった、あの頃に戻してくれると言うのなら!


「……陛下は、公爵様を罰しては下さらないのですか」

 やっと出た声は、国王を糾弾する言葉を紡いだ。


「何故、罰する必要がある」

「何故って……」

 国王の深い青い瞳は、冷ややかにエリザベスを見返していた。

 その目は、美しい花の葉裏にいた虫けらでも見付けたかのようだ。庭を喰い荒らす害虫を見るような目が、エリザベスに向けられていた。


「グラッブベルグ公爵の政治の才は、我が父フィリップ十三世に比肩する。善き政治指導者の一人を、何故、一平民の証拠無き証言によって罰せねばならぬのだ」

「証拠ならありますっ」

「はて、何処に」

 フィリップ十四世は両手を広げて見せた。

 先程、その手によって引き千切られた尋問調書は、原型を留めず国王の足元に散らかっていた。


「余が認めなければ、それは証拠に成り得ぬ小説だ」

 エリザベスは言葉を失い、悔しさで戦慄く身体をアリシアが抱き締めた。


「伯爵襲撃は、ベルニエ侯爵の一方的な恨みによるものだ。グラッブベルグ公爵は巻き込まれただけ。レステンクール人の讒言を利用し、責任を逃れようとしたに過ぎぬ」

 国王は一息吐いてから立ち上がった。

「フランツ・シュトルーヴェよ」

「はい」

 フランツは立ち上がり国王に向き合った。


「公爵家と伯爵家では格が違う。彼がただの一役人であれば、余は関与はしなかったであろう。だが、オットー・グラッブベルグは公爵であり、我が娘の伴侶であり、孫達の父、そして王国の宰相である。余は一国の王として、多くの民を愛し、その暮らしを守らねばならぬのだ。彼の政治は多くの国民を救う。たった一人の平民の為に、全ての国民を犠牲にする事は出来ぬのだ。それはそなたも理解しておろう」

「重々、承知しております」

「ならば」


 国王フィリップ十四世は、射抜く勢いで翠色の瞳を見返し、告げた。

「今後は余計な詮索はせぬ事だ。守りたい宝があるのならば、なお」

「……仰せの通りに致します。国王陛下……」

 フランツは、深く深く、頭を下げた。


 国王は、近侍と護衛を引き連れて扉へと歩き出した。

 その背後で、少女の嗚咽が聞こえても、足を止める事はなく。


 ころころと、事態は幾度も翻る。

 打ち拉がれる少女を嘲笑い、翻弄しながら。

 何度でも、何度でも。



     *   *



 ベルニエ侯爵はトロワ監獄への投獄が決まった。

 トロワ監獄は王都市街の南方に位置し、古い時代にはグルンステイン王国の南部の国境を護る要衝として活躍した。時代が進み、ファブリスとの併合を経て要塞としての役目は終えたが、堅牢な建物は犯罪を犯した貴族階級者の投獄先として使用されていた。

 ローフォークの父アンリが、一時的に収監されていた場所でもあった。


「……」

 口に手を当て、グラッブベルグ公爵は込み上げる笑いを抑えるのに、必死だった。

 まさか、あの状況下で国王が自分を選ぶとは。


 国王フィリップ十四世は、この自分の、これまでの悪意ある噂の数々を、ここぞとばかりに聞かされたに違いない。しかし、その上で国王は、真偽の定かではない噂ではなく、この自分の実績を信じた。


 何と素晴らしい王であろうか。

 今頃、シュトルーヴェ伯爵やその一派は、戦々恐々としているだろう。これで、この自分を今の地位から引き摺り下ろす輩は、実質的に皆無になったのだ。これまで散々、このグラッブベルグ公爵様を煩わせた報いを、奴等はこれから受ける事になる。

 堪えきれない笑い声が、口を抑える指の隙間から漏れ出てしまう。


 それもこれも、奴等自身の因果応報だ。

 たかが子爵位の小僧一人の為に、この素晴らしい政治の天才に楯突き、貶めようとしたのだから。全く、あの背信者の一族を今でも擁護する連中がいる事が信じられない。

 だが、それも今日までだ。

 明日にでもシュトルーヴェ伯爵を軍務省の大臣執務室から叩き出してやろう。


 翌日、そう意気込んで宮廷へと出向いた公爵に、だが、国王フィリップ十四世は「否」を突き付けた。

 国王の返事は公爵にとって予想外のものだった。


「な、何故で御座いますか、国王陛下」

 動揺しながらも、公爵は食い下がった。

「アンデラからの武器密輸。トビアスの爆発炎上事故。ベルニエ侯爵の賄賂を伴った不正捜査や容疑者逃亡の失態。そして、今回の殺人未遂。今、軍部は非常に堕落しております。

 不法入国を果たしたレステンクール人による、陛下と王太子殿下に対する不届き極まる謀略は、その最たるものです。シュトルーヴェ伯爵の軍務大臣としての能力の欠如が原因である事は、もはや明白で御座いましょう。

 伯爵を罷免し、より優秀な御仁を軍務大臣に据えるべきで御座います」


「彼であるからこそ、それらの数々の事件を最善へ導けたとは思えぬか」

「思えませぬ! 被後見人のコール家の密輸疑惑が良い例では御座いませぬか。あれだけの大事になったのは、レステンクール人共に突け入る隙を与えた大臣の怠慢で御座いましょう。

 歴史ある伯爵家として、軍務大臣としての責任感が失われているからこそ、あの様な事態になったので御座います。未だにあの事件は本当にレステンクール人のみの仕業だったのか、と疑っている者も多数いる事をお忘れで御座いますか⁉︎」


「エリザベス嬢の商会が密輸などしていない事は、レステンクール人の証言からも明らかではないか」

「治安維持軍団長のデュバリー侯爵は伯爵と入魂。第二連隊長は伯爵の実子なれば、証言の偽証など幾らでも可能」

「彼等が余に虚偽の報告を行ったと言うのか」

「有り得る話で御座います」

 呆れ果てた様子で国王は嘆息した。


「何故、そこまで伯爵を目の敵にするのだ」

「目の敵になど。私は宰相の立場で、相応しい能力を持った者がその地位に就くべきと申し上げているのです」

「ならば、シュトルーヴェ伯爵には、継続して軍務大臣の椅子に座ってもらう」

「陛下!」

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