第十話〜②

 彼等の腹の据わり具合に感心するのと同時に、思いの外、忠誠心の薄い高職の貴族達の姿に、「この国は果たして大丈夫なのかしら」と、若干の不安を抱いたことは否定出来なかった。


 ただ、彼等は今でもローフォークの父を慕っていて、友人の息子を助け出す為に絶え間ない努力と研鑽を重ねてきたのだ。

 その努力が、ようやく一雫だけ、報われた気持ちになったのだろう。

 もはや、怖いものなどないのだ。


 兎にも角にも、襲撃され怪我を負った伯爵には休息が必要だった。

 細かな聴取は陽が昇ってから改めて、という事になり、伯爵達もローフォーク達も、泥のような眠りについた。

 が、

 夜が明けて、もうじき太陽が中天に差し掛かろうとする時刻。

 フランツの絶叫が邸に響き渡った。


 慌てて駆け付けたエリザベス達が見たのは、血相を変えながらボロボロになった夜会服を脱ぎ、従僕に指示を出すフランツの下穿き姿だった。

 アリシアが、素早くエリザベスの両目を手で覆った。


「軍服だ、軍服を持って来てくれ。それと馬車の用意! ええと、座席下に荷物を入れられる馬車があっただろう? あれを用意してくれ! カレル、カレル。ジョルジュも起きろ!」

 足元に転がっていたローフォークとドンフォンを蹴飛ばし、フランツは急いで身支度を整える。

 フランツとローフォーク、ドンフォン、そしてジェズの四人は、寝台のある部屋に移動する気力も無く、毛布だけ受け取って居間の床に寝ていたのだ。


「フランツ様、どうなさったんですか?」

 寝ぼけ眼でジェズが問うと、フランツは再度叫んだ。

「ヴヌーだよ! 奴との約束を忘れてた!」


 その叫びに、ジェズがハッと身を正して四つん這いで床を這い、上着の上に放られたフランツの懐中時計を覗き込む。

 たちまち青褪めて立ち上がるが、何をどうして良いのか判断出来ずに、ジェズは右往左往していた。


「約束? 何のことだ」

 蹴られた脇腹をさすりつつローフォークが問い、ジェズがようやく目覚めたドンフォンにも、武器職人サーンス邸での遣り取りを話して聞かせた。


「ヴヌーが退役願いを出したところに、偶然を装って駐屯所に訪問するつもりだったんだ。そこで俺が直接退役願いを取り上げて、受理する計画だったんだよ。その為に、ヴヌーに時間の指定までしたのに!」

「随分と雑な計画だな」


「こんな事になるなんて思わないだろ! おい、カレル。お前も行くんだぞ。王宮庭園を脱出するなら早い方が良い。ジョルジュ、お前も一緒だ。一旦、家に帰ってマルシャンの様子を見てきてくれ」

「待って下さい。脱出って、どうするつもりなんですか? てっきり夜を待ってから行動するのだとばかり……」

 ドンフォンの戸惑いにローフォークが頷く。


 白い長ズボンを履きながら、フランツはこう返した。

「だから、馬車で行くんだろう?」

 何を言っているんだ? と不思議そうに首を傾げるフランツに、察したローフォークは心底嫌そうな顔をした。


 結局、シュトルーヴェ家の馬車の荷物入れに、ローフォークは押し込められることとなった。

 猛烈な速度で走り抜いた馬車が連隊庁舎へ到着した直後、全身に打ち身を負ったローフォークがフランツを投げ飛ばした話はするまでもない。


 ヴヌーの件も、どうにか巧く行ったようだ。

 襲撃の噂はすでに部隊内にも拡散していた。それが幸いしてか、フランツから事情を聞いたボナリーがラ=カン大尉を伴って第十駐屯所に赴いた時、ヴヌーは所内が騒然とする中で退役願いを出す事を躊躇っていた。


 ボナリーは、小隊長室の前にいたヴヌーから退役願いを奪い取り、そのまま小隊長室で執務中だったファルーイ中尉に「さっきそこでヴヌー少尉に会ったぞ。退役願いを持ってウロウロしていたから、俺が受け取っておいた。問題が多く、やる気も無い者はいらん! ついでに駐屯所の外に放り出しておいたからな! スッキリしただろう!」と言い放った。


 ファルーイ中尉は唖然としたが、大隊長に抗議など出来るはずもなく、

「お前もこれで煩わされずに済むな!」

 と快活に笑う上官の姿に、何とも言えない顔で言葉を飲み込んだ。

 ボナリーは、

「私の管轄下の部下達です。憎まれ役は私が引き受けるのは当然」

 と、フランツに向かってラ=カンと共に笑っていたそうだ。


「ヴヌーはサーンスの下で職人としての修行を始めるそうだ。年齢的には少し遅いかもしれないが、元々は真面目な奴だ。きっと良い職人になるだろう」

 ゴブレットの水を飲み干して、フランツはそう言った。


「ヴヌーをちゃんと見送りたかったな」

 少しばかり残念そうにジェズは呟いた。

 フランツはニッと笑みを湛える。

「昨夜、銃を使った時の使用感や違和感なんかの、気付いた点を紙に起こしておけ。後日、それを持ってサーンスの屋敷に行く。その時、会えるように手配しておこう。サーンスも実際に使った者の言葉を聞きたいだろうからな」

「ほ、本当ですか⁉︎ ありがとうございます!」

 ジェズの輝いた顔を見て、フランツは嬉しそうだった。


「さて、俺はもう少し横になるかな。その前に、もう一杯くれるか?」

 そう言ってフランツが大きな欠伸をした時、執事のドーミエが家族の居間に現れた。

「若様、王宮より使者の方がお見えです。昨夜の出来事に関して、伯爵様の身動きが取れないのであれば、代わって嫡男が説明をするよう陛下が求めておられるとの事です。また、エリザベス様をお連れするようにと」

 なみなみと注がれたゴブレットを呷っていたフランツは、口の中の水を噴き出した。


 エリザベスは栗の実色の瞳を大きく見開き、困惑に立ち尽くしてしまった。



     *   *



 王宮の一室でその時を待つ間、震える手をジェズとアリシアが握ってくれた。


 突然の国王からの呼び出しは、誰もが予期し得ぬものだった。

 平民の商人の娘を国王の名で召喚するなど、あった試しは無い。まして、昨夜の伯爵襲撃にエリザベスが関係するところなどあっただろうか。

 フランツも伯爵も、詳しい捜査の進展を確認出来てはいないが、踏み込んだ何かしらの報告が国王の元へ上がったと見ていた。


 伯爵は「自分が行こう」と主張したのだが、軽い打ち身と思われていた肩や腰は一夜明けて痛みを増しており、当初より立ち歩くのに苦労していたのもあって、大事をとってもらった。

 急いで身形を整えて、宮廷が用意した馬車に乗り込んだ四人は、伯爵とマルティーヌ、そして心配する多くの使用人達に見送られて屋敷を後にした。


 宮廷では丁重なもてなしを受けた。

 案内された部屋は控えの間の一つで、豪華だが華美ではない、落ち着いた色合いの部屋だ。

 壁には驚くほど美しい女性の肖像画が飾られており、国王フィリップ十四世の亡くなった王妃だと、アリシアが教えてくれた。

 エドゥアール前王太子は、この王妃にそっくりの美貌だったそうだ。


 控えの間に案内されて間もなく、扉が澄んだ音で叩かれた。

 フランツの返事を待って現れた宮廷侍従の背後に、近衛兵によって警護される国王フィリップ十四世の姿があった。

 エリザベス達は一斉に立ち上がり、辞儀をした。

 国王は軽く手を上げる。辞儀を解くようにとの無言の指示だ。


「騒ぎが収まらぬ中、呼び立てて済まぬな。伯爵の具合はどうか」

 国王の問いに、フランツは答えた。

「はい。昨晩の段階では程度は軽いと思われた怪我ですが、今朝から痛みが増して、少々立ち歩くのに支障が出ております。緊張が解けた為でしょう。陛下には、報告が遅れました事を重ねてお詫び申し上げます」

 改めて詫びるフランツに倣って、エリザベス達も頭を下げた。


「よい。そなたも疲れていたのであろう。まずは伯爵と夫人が無事で何よりだ。そなたとシェースラーが伯爵達を救出したと聞いた。手柄であったな」

「畏れ多い御言葉に御座います」


 国王は備えられていた椅子に腰を下ろし、エリザベス達にも着席を勧めた。

 国王フィリップ十四世から向かって左の長椅子にフランツとジェズが座り、右の長椅子にはエリザベス、アリシアの順で座った。


「さて。今日、そなた等を呼んだのは他でもない。昨夜の伯爵襲撃に関わる事だ。つい先程、王宮近衛連隊の連隊長が第一連隊の本部から戻って来た」

 国王が手を出すと、傍らに控えた侍従が携えていた書類を差し出した。

 それを受け取った国王は、僅かに書類に目を落としてからフランツに視線を移した。


「この書類には、襲撃犯の証言として、ローフォーク子爵が現場にいたとされている。心当たりはあるか?」

「いいえ。私もシェースラーも、子爵の姿は見ておりません」

 フランツが答えると、ジェズも慌ててそう答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る