第十話

第十話〜①

 シュトルーヴェ伯爵夫妻襲撃の噂は、瞬く間に王宮庭園全体に知れ渡った。


 自らが主催した夜会の翌朝、不躾に押しかけたかつての部下達によって、家族や多くの使用人、さらに泊り客の目の前で、寝間着姿の侯爵家当主が連行されるという出来事は、あまりにも衝撃的だった。


 連行された、前・治安維持軍団長ベルニエ侯爵は無関係を主張したが、すでに逮捕・拘禁された襲撃犯達の証言や、家宅捜索で伯爵の死後に出世を約束したベルニエの署名入りの確約書が出てきた事で疑惑は確定となり、十時過ぎに正式な逮捕と相成った。


 現行犯逮捕された約三十人余りの実行犯は、ベルニエの軍部での失脚に伴い、賄賂の授受や不正捜査が明るみとなって連座で責任を問われた士官や兵士で、残りはそれらの家々の使用人や私兵だった。

 そこに、ベルニエの脅迫を超えた明確な殺意を見てとった現在の軍団長デュバリーは、さらなる捜査の継続を推し進める旨をフィリップ十四世に宣言した。


「ベルニエ侯爵は、まだ何かしでかしていると申すのか」

 度重なる不祥事や国家的事件の数々に、国王はうんざりと表情を歪めた。


 国王達がいるのは、王宮の離宮の一つだ。

 散策の途中の一休みと称して立ち寄った館で、事前に示し合わせて待っていたデュバリーから事件の追加報告を受けていた。

 室内には国王の他、王太子シャルルと近衛連隊長、治安維持軍団長デュバリーの四人がいるのみだ。

 デュバリーたっての、極秘の面会であった。


「ベルニエ侯爵を背後で煽った者がおります。その者が真の黒幕でございます」

「何故、そう言い切れる」

「侯爵が元部下達に、軍部での出世を約束しているからでございます」


 そもそも、ベルニエ侯爵は夏の大運河の摘発に絡んだ不正で、半ば強制的に退役させられている。

 侯爵という立場上、王宮庭園での暮らしは保証されてはいるものの、軍部への影響力は断絶されていた。そのベルニエが、実行犯達に軍部内での出世を約束し、それをかつての部下達が真に受けて襲撃事件を起こすには、ベルニエ自身が軍籍に確実に戻ることを前提としていなければならない。


 ベルニエの軍部への復帰を助ける事ができる者、それも以前と同等かそれ以上の地位を約束できる者が背後に控えていなければ、ベルニエの実行犯達への約束も果たされる事はない。

 そしてその場合、半端な地位を持つ者では、一度失態を犯して失脚したベルニエを軍部に復帰にさせる事など、到底無理な話なのだ。


 ベルニエが元部下達に送った確約書の存在は、閣僚やそれに準ずる役職へ口を出せる権利を持つ者、もしくはそれが可能な立場の者に強い影響力を与えられる者が、襲撃に関与している事を証明する物だった。


 フィリップ十四世は、額を抑えて悲嘆の溜息を吐いた。

「見当は付いている、ということか」

「物的証拠は御座いません。しかし、ベルニエ侯爵は、はっきりとその御方の名を挙げておられます」


「……その者の名は?」

 僅かな逡巡ののちに問うた国王に、デュバリーは数歩進んで、国王の耳元でその名を告げた。

 フィリップ十四世は項垂れ、横に首を振った。

 デュバリーが告げた名は国王の予想の範疇にあったが、同時にそうであって欲しくないと願った名でもあった。


「襲撃は旧ローフォーク子爵邸の門前で行われました。実行犯は空き家となっていた子爵邸に潜み、帰宅途中の伯爵夫妻を狙いました。黒幕は、ローフォーク子爵に伯爵暗殺の罪を被せるつもりでいたようです。その旨の計画があった事も、ベルニエ侯爵は白状致しました」

「それはベルニエの独断か」

「いいえ。ベルニエ侯爵の軍部復帰後、ローフォーク子爵を逮捕するように、その御方から指示を受けたとのこと。抵抗があれば、その場で殺害しても構わない、とも」

 デュバリーの返答に、フィリップ十四世はかぶりを振った。


「何故、その様な事が起こるのだ。彼は子爵が成人するまでの後見人だったはずだ」

「それは、陛下が直にお尋ねになるしかありません」

 事件は王宮庭園内で起こり、被害者と加害者は共に類を見ない名家の当主だ。政治の要職に就き、両者共に王国の安定には欠かせない、重要な人物であった。

 そのどちらか一方を、国益を鑑みて取捨しなければならなくなった。

 その裁きを下すのは、法務省の判事ではなく、国王フィリップ十四世の役目であった。


「シュトルーヴェ伯爵が姿を見せぬのは、油断させる為か」

「軍務大臣閣下は負傷しておられます」

「白々しいことだ」

 つい先程、伯爵夫妻は無事だと報告したのはデュバリー自身ではなかったか。


 伯爵夫妻の襲撃が報告された時、夫妻と使用人が負わされた怪我の程度も、フィリップ十四世の耳には届いている。伯爵夫人マルティーヌは無傷、伯爵自身は頭部と肩を打ったものの、日常にも職務にも差し支えない程度だと聞き及んでいた。

 だが、夜が明けて午後に入った今となっても、伯爵家からの報告は無い。

 伯爵家での変化と言えば、昼前になって嫡男が急ぎ馬車で屋敷を飛び出した事くらいか。


 庭園貴族の間では、伯爵は深手を負い、明日をもしれない容態なのでは、との噂が広がっているという。

 屋敷にお抱えの医者が入って行ったのを見ただの、娘の嫁ぎ先に見舞いに行ったスティックニー侯爵夫妻が神妙な面持ちで帰宅しただの、たった半日の間に多様な噂が宮廷内に飛び交っている。


 フィリップ十四世は肩を落とした。

 何かを企んでいるのは間違いない。

 ルイ・フランシスという男も、なんと遣り難い相手か。


「道理で父親と相容れぬ訳だ。ギュスターヴは軍略に長けてはおったが、政治的な小細工が得意ではなかった。だが、二人とも、決意を堅めたのちは己にも容赦がない」

 だからこそ、この様な事になってしまったのであろうか。

 小さな呟きに、王太子シャルルの視線が僅かに動いた。


 今更、嘆いたところで詮無きことだ。

 気を取り直し、国王はデュバリーに向き直って言った。

「彼の取り調べは余が直々に行う。其方は公平公正を以て、事件の捜査を継続せよ。余罪が有れば、逐次報告するように」

「はっ」

 デュバリーは片膝を着き、恭しく頭を下げた。


 そして、国王は傍らに立つ近衛連隊長に命じた。

「グラッブベルグ公爵を召喚せよ」



     *   *



「誰か、水をくれ!」

 家族の居間に現れるなり、フランツはエリザベス達の目の前で長椅子に倒れ込んだ。


 ジェズが急いで、水差しの水を硝子のゴブレットに移して差し出す。

「フランツ様、お帰りなさい。ローフォーク少佐はどうでしたか? ヴヌーは?」

「ふふ……。案ずるな」

 フランツは疲労を滲ませた顔に不敵な笑みを浮かべ、ジェズに向かって親指を立てる。

 エリザベスとジェズは顔を見合わせて安堵の息を吐いた。


 昨晩の救出劇の大騒動は、当然の事ながらローフォークと伯爵の和解を以て、めでたしめでたしという訳にはいかなかった。

 ローフォークの王宮庭園への強引な侵入は、多くの第一連隊の隊員達に目撃されていたのだ。

 

 追跡部隊を整えた第一連隊は、姿を見失ったローフォークの捜索に乗り出した。その最中に銃声を聞き、やってきた路上で発見した横転した馬車と倒れる無数の男達は、いかにもまともな身恰好ではなかったのだろう。

 馬が死んで横転していた馬車にはシュトルーヴェ家の家紋が徴されており、明らかな襲撃の痕跡に、第一連隊は覆面達を拘束し、事実確認の為にシュトルーヴェ家へ兵士を数人、向かわせたのだ。


 第一連隊の訪問を察知したエリザベス達は、大慌てでローフォークを屋敷奥へと隠した。

「私を助けてくれたのは、我が家の私兵と息子達だ。ローフォーク子爵など、見ていない」


 ローフォークを襲撃犯に仕立てあげようとしていた犯人達は、別の事を言ったに違いない。

 知らぬ存ぜぬを貫き通したシュトルーヴェ伯爵に小隊長は不満な表情を見せたが、軍務大臣に断言された以上は引き下がるを得ない。

 被害状況の簡単な確認ののち、喰い下がることなく屋敷を後にした。


 それから間も無く、デュバリーとフーシェが伯爵邸へと駆け付けた。

 報告を受けて、取るものも取り敢えず大急ぎで馬を走らせたのだろう。二人は寝る準備に入っていたのか、着崩した夜会服だったり、シャツに外套を羽織っただけの姿だったりした。


 伯爵は、事のあらましを二人には正直に打ち明けた。

 かつて、ローフォークの父アンリの救出計画を立てて、共に投獄されたこの二人に隠し事は必要無い。屋敷奥で埃や返り血で草臥れた恰好のローフォークに引き合わされた二人は、伯爵と同じように年甲斐もなく泣き出し、ローフォークを困惑させたのだった。


 斯くして、ローフォークの王宮庭園への侵入は、徹底的に隠し通されることになった。

 ローフォークを目撃したという第一連隊の隊員には箝口令を敷き、デュバリーは国王フィリップ十四世にローフォークの事だけを話さなかった。


 後で明るみになった時に、大変なことになるのではないかと心配するエリザベス達には、

「なあに、陛下は御自身でローフォーク夫人の件を無かったことにされたのだ。その息子が緊急事態で庭園に侵入を果たしたとしても、気にも留められまい。何より、陛下はローフォーク家が話題に上ることすら好まれないのだから、わざわざこちらから陛下の御機嫌を損ねに行く必要も無かろう」

 と、デュバリー達はカラカラ笑って返した。

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