第九話〜⑫
* *
柱頭の
少なくとも、目の前で繰り広げられている厄介事に、これ以上巻き込んでくれるなと辟易しているかもしれない。
ローフォークはフッと笑い、次の瞬間には瞳を鋭く光らせた。
突き出した剣先を、相手の柄に届く前に手首を翻して軌道を変えた。半円形の
落ちた相手の剣をすかさず拾い上げると、その柄の拵えに一瞬顔を顰めつつ、馬車に切迫する背中を目掛けて投擲した。
短い悲鳴と共に倒れる覆面を見届けることもせず、背後に迫った一人の腹部に蹴りを入れ、さらにもう一人の顎に
「貴様、ローフォーク……! 懲りもせず、また私の邪魔立てをするか。この犯罪者の息子が!」
息を荒げた一人が呻いた。
ローフォークはニッと笑う。
「顔を見て俺が誰か分かるとは、やはり軍人か。しかも、口調と芸の無い嫌味から察するに、うだつの上がらない士官階級の貴族だ。違うか?」
罵りに怯むどころか嘲笑を含めて言い返され、覆面は息を止めて眼光に怒りを灯した。すぐさま懐から拳銃を取り出し、銃口を向ける。
「そうだとも! 忠誠心の高さゆえに、此処に住まうことを許された庭園貴族だ! 陛下を裏切り、かつての王太子御夫妻をむざむざ死なせたローフォーク家とは、家格が違うのだ!」
「忠誠心の高い庭園貴族が、成り上がりのグラッブベルグの捨て駒か。嗤えるな!」
「貴様ぁ!」
覆面の憤怒の叫びと、撃鉄が下りるのは同時だった。
赤い火花と白煙が散った直後、突然、拳銃が弾かれたように宙を飛んだ。
あっと思う間も無く、宙に放り出された拳銃は地面に向かって弾丸を吐き出した。
そのまま、拳銃は発砲の反動で空中を回転しながら持ち主の元へ舞い戻り、頭部に激突して地面に落ちた。
ギャッと耳障りな悲鳴を上げて、覆面は尻餅を着いた。
呆気に取られたローフォークだが、すぐさま覆面の顔面を蹴り飛ばし昏倒させた。
パンッと乾いた音が聞こえたと思った瞬間、ローフォークの左にいた男が倒れた。
乾いた音はさらに続き、私兵の隙を突いて馬車によじ登った男が、踵を撃たれてもんどりうって落下した。音が鳴るたびに、覆面の男達が倒れて行く。
神業のような狙撃だ。
こんな事が出来るのは一人しかいない。
ローフォークは、馬車を背に防戦に徹する私兵達に声を荒げた。
「味方が近くまで来ている! 伯爵達を屋敷へお連れしろ!」
その声に真っ先に動いたのは、震えていた従僕だ。
車体から落ちた覆面の男を、御者と共に必死の形相でタコ殴りしていた従僕は、後部の補助席を足掛かりに客車によじ登った。
「フィービー!」
ローフォークの呼び声に愛馬が反応して駆け寄った。
従僕と私兵の一人が、車内から伯爵と夫人、侍女を引っ張り上げる。
伯爵は意識が朦朧としているのか、拙い足取りだが、どうにか自分の足で立ち、助けられながら地面に降り立った。
伯爵と、寄り添う夫人の前にフィービーが立ち、膝を折って座った。
「乗れ!」
「カ、カレル」
「さっさとしろ!」
何かを言い掛けた伯爵は、私兵に促されてマルティーヌと共にフィービーに跨った。
四人の私兵の内、一人が怪我をした御者を自分の馬の前に座らせ、もう一頭に従僕と侍女を乗せて手綱を握った。先に駆け出したフィービーの後を、一人で二頭の馬を操りながら追う。
「逃すか!」
覆面の一人が拳銃を構えた。
その直後、
「人様の親に銃を向けるんじゃない!」
馬上から振り抜かれた小銃の銃床が、覆面の後頭部を強打した。
白眼を剥いて膝から崩れ落ちた覆面の向こうに、待ち望んでいた顔を見付けて思わず笑顔が溢れる。
「フランツ!」
フランツもまた、口端をニッと上げた。
フランツは下馬してローフォークの隣に立つと、小銃を構えた。
その構えは、利き足を引き、軸足を前に出す射撃のそれに似ているが、小銃の位置は腰の高さにあり、地面に平行している。
「ここは俺達が引き受ける。俺の馬に乗って父上達に続け。取り逃した奴だけ相手にするんだ!」
「ですが、若様」
「シュトルーヴェのボンボンだ。コイツも殺せ!」
伯爵を取り逃した覆面達は、一斉にフランツに襲い掛かった。
フランツは素早く踏み込み、銃身の先端で敵の剣先を弾く。
さらに踏み込み間合いを詰めると、無防備となった顔面に銃床を叩き付けた。
地面に沈んだ覆面の背後から現れた新たな覆面には、持ち手を切り替えた小銃を木こり斧のように振り下ろし、鎖骨に重い強力な一撃をお見舞いした。
次の相手には腹に刺突を入れ、身体を折り曲げた瞬間に顔面に膝蹴りを喰らわせた。
ものの数秒で三人を地べたに這わせたフランツに、覆面達は慄いて後退る。
そこに乾いた発砲音と同時に覆面が一人倒れたのを見て、私兵達は意を決した。
動けない自分達の馬の代わりに、生き残った馬車馬の装備を外して落ち着かせると騎乗する。
「これを持って行け」
そう言ってフランツが投げ渡したのは、先程、三人の覆面を叩きのめした小銃だ。さらに小袋も放り投げる。
「横の突起を音がするまで手前に引き、固定しろ。袋の中の弾薬を引き金の真上に空いた穴に詰め、固定された突起を元の位置に戻して穴を塞げ。後は引き金を引くだけだ。これだけ言えば分かるな? 行け!」
叫びながら、フランツは首からクラヴァットを外し利き手に巻いた。
正中線の構えから、突撃してくる敵の突きを左手甲でいなし、顎に拳を打ち込んだ。
背後で、遠退く馬蹄の音を確認し、フランツは一旦、敵から身を引くと細く長い息を吐いて呼吸を整えた。
「おい、さっきの銃は例の試作品か?」
「ああ。サーンスの奴、勿体ぶってやがった。ちゃんと用意してた癖に!」
「? では、この射撃はやはりシェースラーか。ジョルジュはどうした」
「ジェズの補佐と護衛だ」
サーンス邸で何があったか知らないローフォークが、フランツの憤りに訝しみながらも、最も知りたかった事実を確認した。
「この狙撃の成果を見る限り、銃の出来は良好のようだな」
「ジェズの才能を存分に活かせる銃だ!」
フランツにとって、この射撃の結果はあくまでもジェズありきらしい。ローフォークは何処までも少年を贔屓目で見る友人に苦笑を溢した。
「コイツ等、軍人だな。足運びがただの不成者とは違う」
一人を投げ飛ばし、フランツが言った。こちらも一人を斬り倒したローフォークが答える。
「ああ。それも士官級が混ざっている。だが、戦闘技術はうちの新兵以下だな。恐らくコールの方がまだマシに動くぞ」
「そうか、そりゃ楽勝だな!」
朗らかな笑顔で言い切ったフランツに激昂したのか、一人が剣を振るって挑んできた。
すかさず、ローフォークが割り込み、剣を握っていた親指を殴り付けて、握りが弱くなったところでそれを奪った。すでに斬れなくなっていた自分の得物を捨て、強奪した剣で脇腹を斬る。
フランツが目敏く上着裏の拳銃を見付け手に取り、自分達の横を擦り抜けようとした覆面を撃った。
「執念深い連中だな! あと何人だ?」
二人を立て続けに殴り飛ばし、流石に拳が痛み始めたフランツが愚痴を溢した。同じく、全身で呼吸を繰り返すローフォークは、ジェズの狙撃が止んでいる事に気付いた。
弾丸が飛んできていた丘から、馬が二頭、ジェズとドンフォンを乗せて怒涛の勢いで迫って来ている。その丘の頂上に間も置かず、複数の角灯の灯りが現れて揺らめいた。
馬の嘶きと鼻を鳴らす音が聞こえる。
王宮庭園を管轄する第一連隊だ。
「フランツ!」
「ああ!」
ジェズとドンフォン、それぞれが乗った馬が覆面を蹴散らし、二人に肉薄する。
伸ばされた手を掴み、次の瞬間には二人は馬上の人となっていた。
背後で覆面達の喚き声がしたが、そんなものはお構いなしに馬を走らせた。
* *
騒然とするシュトルーヴェ家の門を潜り、邸玄関に足を踏み入れた直後、ローフォークは仰向けに倒れた。
隣で床に座り込んだフランツも似たようなもので、二人は揃って天井を見上げて荒い呼吸を繰り返した。
私兵から下級使用人、上級使用人まで駆け回る騒々しさのなか、満身創痍でぐったりしていたローフォークは、視線を感じて頭を動かした。
そこには、額に包帯を巻き上着の肩や襟口に血を付けたシュトルーヴェ伯爵が立っていた。
少し、離れたホールの奥には、寝間着にガウンを羽織ったエリザベスと、同じような格好をしたアリシアがいた。
傍らのマルティーヌの無事を見て、無意識のうちに安堵の息を吐いた。
「カレル」
名を呼ばれ、ローフォークはどうにか身を起こして立ち上がった。
歩み寄った伯爵の、自分よりも少し高い位置にある翠の瞳と向き合い、ローフォークは眉根を寄せ、唇を噛んだ。
「カレ……」
伯爵が口を開きかけた次の瞬間、ローフォークは拳を伯爵の腹にめり込ませていた。
その場の全員の誰もがアッと声に出し、蹲る伯爵にマルティーヌが駆け寄った。
「カレル、何を……!」
慌てて止めに入ったフランツの腕を振り払い、ローフォークは身体の底から怒鳴った。
「なんで何も言わなかった!」
驚いて目を見開く伯爵の、血で汚れた襟首を乱暴に掴み上げる。
「なんでずっと黙ってた! なんで何も教えてくれなかったんだ! 言ってくれたら、知っていたら、俺はあの男の手を取ったりはしなかった。あんたを信じて待つ事が出来たんだ! そうしたら、俺はきっと誰の命も奪わずに済んだ。脅迫に屈して、こんなに苦しむことにはならなかったんだ! なのに、なんで、何も言ってくれなかったんだ!」
ローフォークは口をへの字に曲げて伯爵を睨み下ろした。
いつも、どんな時でも、鼻持ちならない程の自信に満ちた翠の瞳が、この時ばかりは怯えた色を湛えていた。
鳩尾の辺りから込み上げた形の無い塊が、気道を塞いで喉に強い痛みをもたらす。
それを飲み下し、ローフォークは上着の襟から手を離した。
洟を啜って、目元を手で覆った。
床に蹲る伯爵の前に崩れるように座り込み、激しく肩を震わせた。
「何も知らずにあんたを憎んで、藻搔いていた俺は、ただの間抜けじゃないか……!」
伯爵の顔が悲痛に歪んだのを、俯くローフォークが見ることはなかった。
同じように床に座り込む人影が、身体を震わせて嗚咽をあげたのが分かった。
「すまなかった、カレル。すまなかった……」
揺れる声に、濃紺の瞳から涙が溢れた。
もっと早く知りたかった。そうすれば、自分の人生はきっと違っていた。もっと早く教えてくれれば……!
今でも、伯爵に対する不満は燻っている。「もう赦せるだろう?」と問われても、頷く事など出来そうにない。
だが、それでも、自分の目の前で子供のように咽び泣く父の友人だった男を見て、抱いた想いが素直に口をついて出ていた。
「……貴方が無事で、良かった……!」
シュトルーヴェ伯爵の歳を経た手を握り、ローフォークもまた、肩を震わせて泣いた。
第九話 終わり
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