第九話〜⑪
「『あの男』がどちらを指しているかは解りかねますが、貴方が何もしなくても伯爵夫妻殺害の罪は貴方が負う事になる。公爵閣下が法務省に強い影響力がある事を忘れてもらっては困ります。
伯爵さえいなくなれば、幾らでも好き勝手に、気に入らない者を裁ける力を手に入れられる。シュトルーヴェ派の者達は一網打尽でしょう。貴方の友人の次期伯爵も、ただでは済まない。
国王陛下に進言出来る者が、公爵しかいなくなるのだから」
「……何故、それを俺に報せた」
くすくすと、再び笑い声が響いた。
同時に、階段をさらに上階に進む足音が聞こえた。
ローフォークは廊下を回り込み、階段を慎重に昇った。
「私が、個人的に貴方がどう行動するのか、見てみたかったのです。ローフォーク子爵」
「……」
「家族の、仇の末路を、この目で」
ぎくりとした。
それはカナートが、これまでローフォークが手に掛けてきた者達の身内であるという告白だ。
「ここに辿り着くのに随分と掛かりました。ですが、私はまだ幸運だった。残った家族も離散せずに済んだ。まとめて面倒を見てくれる御方が現れましたから。
今は、残った家族もその方の下で働いています。ちなみにカナートという名は、その方が用意してくれた偽名です。本名ではこの役目は果たせませんので」
階段を昇り切ったのか、カナートの足音が変わった。
「さて、貴方はどうしますか? ここでこのまま、私の言葉を無視し、伯爵夫妻を見殺しにするのでしょうか。それとも、禁を破り助けに行きますか?
助けに行っても間に合わなければ、貴方は殺人の現行犯で逮捕されるでしょう。助けに行かなくても、すぐに公爵閣下の手の者が貴方を容疑者として逮捕する。伯爵亡き後の貴方の言葉は、全て封殺される。
ですが、伯爵夫妻が無事であれば、きっと全力で貴方と母君を護ってくれるでしょう」
ローフォークは苦渋に顔を歪めた。
「貴方に与えられた選択肢は、多くはありませんよ」
カナートの声が楽しそうに響いた。
ギィッと、上階で何処かの扉が開いた音がした。
我に返ったローフォークは、階段を駆け上がる。
最上階の三階に辿り着くと、昇り切った先の、廊下奥の部屋の扉が開きっ放しになっていた。
そこは、ローフォークの私室だ。
部屋の窓の一つが開放されていて、冬の冷たい風が流れ込んできていた。
部屋の中にカナートの姿は無かった。
窓下の通りにも何処にもいない事を確かめると、ローフォークはすぐに地下へと駆け降りた。
地下の食糧庫に、手足を縛られて猿轡をされた家令が横たわっていた。
「だ、旦那様……!」
拘束を解いた家令の声は震えていた。
「マルシャン、怖い思いをした直後に済まないが、ドンフォンの家に避難してくれ。あいつの家は分かるな? ドンフォンに会ったら、伯爵の暗殺計画があることを伝えて欲しい。そして、この事をフランツへ知らせるよう頼んで欲しいんだ。フランツは大運河沿いの夜会に出席しているはずだ。武器職人のサーンスの自宅と言えば、すぐに分かる。頼んだぞ」
「旦那様はどうされるので⁉︎」
「王宮庭園に行く」
家令は青褪めて息を飲んだ。
「そ、そんな、奥様の件が収まったばかりだというのに」
「収まった?」
ローフォークは失笑した。
「いない事にされただけだ。俺達ローフォーク家を、王家はもはや存在しないものとしている。ならば、何をしようと、いっそこちらの自由だ」
そう言って立ち上がったローフォークは、拳銃を帯に戻し裏庭へと走り出た。
裏庭には、馬具を掛けたままの愛馬が、興奮気味に鼻を鳴らして足踏みしていた。ローフォークを見付けて走り寄り、長い顔を擦り寄せた。
ローフォークは愛馬に寄り添い顔を撫でると、
裏庭の低い木戸を飛び越え、王宮庭園を目指して馬腹を蹴った。
* *
王宮庭園の出入り口は、通常、宮廷のそれにも劣らない巨大な鉄門扉によって閉ざされていた。
だが、社交の季節は馬車の出入りが激しく、開放されている事が多い。
その分、王宮庭園を預かる第一連隊の検問は厳しくなるが、王侯貴族の家紋入りの馬車に対しては例外だ。
運良く、庭園の外へ出ようとする馬車が一台停まっていた。
深夜帯なので遠目に詳しく見定める事は出来ないが、王都の最上富裕層の馬車なのだろう。比較的、簡単な身分確認で通してもらえたようだ。
ローフォークは門を抜ける馬車に向かい、全力で馬を走らせた。
迫り来る騎馬に気付いたのか、御者が何かを叫んで慌てて馬車を停車させた。
第一連隊の門兵が槍兵を前衛に、銃兵を後衛に列を組み、不審者の侵入を阻もうと構える。
腰から拳銃を抜き、馬車に向かって撃った。
弾は客車の高い位置に当たり、御者台から御者が、客車からは着飾った男女が悲鳴をあげて転がり出て、銃兵達の射撃の邪魔をする。
ローフォークは馬に合図を送った。
主人の意図を良く汲んだ馬は、高く跳ねて混乱する男女を飛び越えた。さらに止まらず数歩駆け、突き出された槍を蹄で蹴り上げながら、門兵達を下方に見下ろし王宮庭園内に飛び込んだ。
「フィービー、良くやった。このまま真っ直ぐ走れ!」
ローフォークの声に愛馬は高く嘶きをあげた。
十二年振りの王宮庭園は、何もかもが以前のままだ。
門扉の真後ろにある中隊の詰所を越えると、広く整備された一本道が延びている。
しばらく走れば、視界の左手奥に葉の落ちた落葉樹の林が、鬱蒼と広がっているのが見えた。手前に広場があり、そこから林の中へと散策できる遊歩道がある。広場を過ぎた先に数キロに及ぶポプラ並木があり、途中の十字路を右に曲がった。
この辺りから左右の夜の闇の中に、貴族達の邸宅がちらほら見え始めた。
人工的に引き込まれた小川を跨ぐ橋を越えると、視界が開け小高い丘が眼前に迫った。
丘の上には数本の楡の樹が並び、家畜の放牧場が何処までも広がっていた。そこからは、晴れた昼間には遥か遠くに王宮を望む事ができたものだった。
長閑な田舎を模した風景は、友人達と泥だらけになって遊んだ子供の頃のままだ。
不意に、先刻の小川で食べた菓子の所為で痛い目にあったと思い出し、場にそぐわない笑みが浮かんだ。
丘を登りきった時、銃声と嘶きを聞いた。
なだらかな坂道の先は、比較的平坦な道が続いていた。その道の途中で、一台の馬車が横転している。
馬車灯が落ちて割れたのか、地面の一部に火が上がっていた。
その決して大きくない火に照らされて、馬車の周りを多くの人影が入れ替わり立ち替わり交差しているのが見えた。
どれだけの数がいるのか、少なくとも三十以上の人影が見える。
その一塊の少し先に、生まれ育ったローフォーク子爵家の屋敷が、黒々とした巨大な闇の塊となって聳えていた。
賊は馬車の行手を遮るように、道を塞いでいた。
金属のぶつかり合う音が絶えず一帯に響き渡り、その音に興奮する馬を宥め、ローフォークはサーベルを抜いた。
今一度、馬の腹を蹴り、猛烈な勢いで坂道を駆け下った。
駆け抜け様に、一人の背中を斬った。
絶叫が響く中、道の先で馬首を回らし舞い戻ると、ローフォークは布で顔を隠した男達を容赦なく次々と斬り捨てた。
シュトルーヴェ家の私兵は突然の乱入者に唖然としていたが、敵では無いと悟ると応戦に徹した。
倒れた馬車の車体の、白十字に金の隼の紋章は、間違いなくシュトルーヴェ家の家紋だ。
前輪の車軸が折れ、車輪が片方外れている。馬車馬も一頭が首から血を流して絶命していた。これが横転の原因だろう。巻き込まれたもう一頭は、車体の横転に引き摺られて横倒しになり、混乱して暴れていた。
私兵が乗っていたと思われる馬も、二頭が怪我を負い動けずにいる。
シュトルーヴェ家の私兵は四人。敵は三十人近い。
この圧倒的な数の差でここまで持ち堪えた事に、いっその事ローフォークは感嘆した。
「伯爵夫妻は御無事か⁉︎」
車体に取り縋り拳銃を手に震える従僕と御者に、ローフォークは問い掛けた。
御者は横転の際に怪我をしたのか、肩を押さえて蹲っていた。従僕が頷くと、ローフォークは客車に飛び移り扉を開く。
「伯爵! マルティーヌ様!」
「ま、まあ、カレル!」
驚きの声を上げたのは伯爵夫人マルティーヌだ。
彼女は侍女と共に、客車の底で真っ青になって身を伏せていた。その膝に、額から血を流す夫を抱き締めている。
夫人と侍女が怪我をしていないところから察するに、横転から彼女達を庇ったは良いが、自分の受け身を取り損ねたのだろう。
命を狙われている当人がこの状況で動けないのであれば、やる事は一つだ。
殲滅。
ローフォークは客車から降り、壁を作るシュトルーヴェ家の私兵を割って、前線に躍り出た。
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