第九話〜⑩

「食堂でエッセン達に絡まれた時、どうして僕達が怒られて、エリザベスが罰則を受けなければならなかったのか、本気で分からなかったんです。軍隊だから、上官の命令は絶対だという事は理解しています。でも、あの時のエッセンはエリザベスに対して明らかに下心があった。

 あの時、周囲にいた上官の方々だって、僕達がエッセンを取り囲んでも助けなかったのは、みんなエッセンのやり方が良くない手段だと認識していたから、見て見ぬふりをしたんだと信じきっていました。

 それはフランツ様だって察していただろうに、どうしてエッセン達を庇うんだろうって、ずっと不満に思っていたんです。

 あの頃は、ローフォーク少佐がビウスの事件に関わっていると知ったばかりだったから、なおさら不信感を抱きました」

「……」


「でも、あの時フランツ様が僕達を止めてくれなかったら、僕達はあのままエッセン達に暴力を振るっていた。嫌な奴をやっつけた僕はきっといい気になって、シュトルーヴェ家の力を自分の力と錯覚して、横柄な態度で同期のみんなを引き連れて、踏ん反り返っていたかもしれない。

 そうして、いつしかエッセンみたいに嫌われて、誰かに怨みを買って、いつか任務に支障をきたす様な事になって……」

 ジェズは自分の右手の平を見詰めた。


 握り締めて、拳を作る。

 その握り拳は、国軍競技会で繰り返しエッセンを殴った拳だ。

「もしかしたら、今日のヴヌーは僕だったかもしれないんだ」


 そうならなかったのは、フランツが多くの人々の前で自分とエリザベスを叱責し、特別扱いをしないと明言したからだ。

 誰でも対等に扱う。

 そう、大勢の前で言ってくれたから、一見すると理不尽に叱られたように見えるジェズとエリザベスは、シュトルーヴェ家を後ろ盾に持っている妬みや嫉みを受けずに済んだ。


「あの時、僕達を諌めてくれて、有り難う御座います。僕達がこれまで上手くやってこれたのは、フランツ様のお陰です」

「もしかして、今日、やっと気付いたのか?」

 足を止めて振り返ったフランツは苦笑いを浮かべていて、先刻までの不機嫌は何処かに霧散していた。


「言っておくが、エリザベスはとっくに気付いていたぞ。その日の内に連隊長室に謝りに来た。まあ、周りの助言もあったみたいだがな。ジェズは、いくらなんでも鈍いな。俺はちょっと傷付いたぞ」

「え⁉︎」

 ジェズは顔面を真っ赤にして焦った。


「だが、俺が言いたかった事は、何かしら理解しているだろうとは思っていた。あれから、お前達はずっと努力を欠かさなかったからな。シャテルとヴヌーも理解していたようだ。分かっていなかったのは、エッセンだけだったな」

 フランツは残念そうに肩を落とした。


 汚名返上の機会は平等に与えたつもりだった。

 各大隊長を通して、評価は正当に行うように通達もした。気が合わない、気に入らないという理由で、若い部下達の秘められた能力を手折る事を、フランツは好まない。

 気が合わないのであれば、人を介してそれとなく指導する方法だってある。

 ヴヌーにもエッセンにでさえも、フランツは期待する部分があったのだ。


「それにしてもファルーイか。困ったな」

「僕はファルーイ中尉をあまり知りません。どんな方なのですか?」

「正義感の塊だな。その点はボナリーと似ていると言っても良い。だが、独善的だ。ボナリーのように自分を客観視出来ない。そして、熱血だ。ヴヌーの事も、本人は自分の指導が部下を精神的に追い込んでいるとは考えてもいないだろう。罰則の脅迫も、当人は間違いなく、ヴヌーを奮起させるつもりで言ったんだろうな」

「でも、それって……」


「そうだ。全くの逆効果だ。命令違反者に対して厳罰を課すどころか、ヴヌーに具体的な助言もせずに、ただ無為に非難したに過ぎない。それを見たヴヌーの部下達は、何をしても叱られるのは自分達ではなくヴヌーだと気付き、命令違反を繰り返す。そしてまたファルーイは、自分自身が問題を放置している事に気付かずヴヌーを叱責し、それを見て部下は……という完全な悪循環だ」


 フランツは溜息を吐いた。

「あれは真っ直ぐに育ち過ぎたエッセンだな。悪意が無い分、かえって指導が厄介だ。はあぁ。ここ最近、自分の指導力の未熟さを思い知らされる事ばかりだ。いっそ、俺が連隊長を辞めたい」

「そんなっ。フランツ様以外に誰が第二連隊を纏め上げられるって言うんですか? みんな、フランツ様だから付いてきているんです。そんなこと言わないで下さい!」


「エリザベスといい、お前といい、本当になんでそんなに良い子達なんだ」

 フランツが口元を手で覆い、感激に震えた時だった。

 廊下の奥から、ヴヌーが血相を変えて走って来た。

 誰かを案内していて、その誰かは見覚えのある治安維持軍の軍服を纏っていた。


「フランツ先輩!」

「ドンフォン。お前、どうしてここに。何かあったのか?」

「すぐに伯爵邸へ戻って下さい! カレル先輩が王宮庭園へ行ってしまったんです!」

「はあっ⁉︎ 意味が分からん! 一体、どういう状況だ!」


 肩で呼吸を繰り返すドンフォンは、息も切れ切れに答えた。

「シュトルーヴェ伯爵の暗殺の情報が入ったんですよ! 先輩は伯爵を助けに行ったんです。だけど、これ絶対に罠ですよ!」


 ジェズとフランツは顔を見合わせた。

 言葉も無く立ち尽くしていたのは、一瞬だ。

 二人は同時に駆け出していた。



     *   *



 仕事に目処を付け、市内の自宅に戻った時には、辺りはすっかり静まり返っていた。

 冬場は、夕刻にもなると市民の大半が自宅に引き籠る。

 一部は暇を持て余して酒場に入り浸るので、相変わらず飲酒者の喧嘩は絶えないが、殆どの市民が大人しいものだった。


 また、畑作業を離れた農民が冬期の収入を得るために、王都へと出稼ぎにやって来る時期でもあった。

 富裕層や王宮庭園には本格的な社交の季節でもあり、厨房や庭仕事、庭内の一層の清掃作業の為に、彼等、彼女等を一時的に雇い入れる。

 そんなふうに、世間はそれなりに上手く循環していた。


 治安維持軍でも、夏期から秋期にかけて猫の手も借りたい忙しさに、ようやく一段落が着く。

 冬場に行う仕事といえば、路上の泥酔者を凍死させないように巡回を増やしたり、出稼ぎの無知な農民が詐欺被害に遭わないように、積極的に声掛けをすることくらいだろうか。


 裏門から庭に入ったローフォークは、馬を馬房に入れようとして、その異変に気付いた。

 自宅の窓の何処にも、灯火が見えないのだ。


 借家のテラスハウスには地下に厨房がある。

 半地下となっている厨房には庭側に小窓があり、この時間、家令がローフォークの帰宅に合わせて夕食の準備をする為に、かまどに火を入れて待機しているはずなのだ。

 裏玄関にも、出迎えの灯りの用意がされていない。


 庭に馬を出したまま、ローフォークは裏玄関に向かった。

 ノッカーで扉を叩き、中の様子に耳を澄ませた。


 静かだ。


 まるで、人がいないかのように、気配を感じない。

 一階の窓から家内を覗いても、家令の姿は見えなかった。

 そっと、ドアノブを回すと扉は難無く開いた。施錠されていなかった事に、ローフォークは眉間に皺を寄せた。


 腰の拳銃を抜き、サーベルの位置を確かめる。

 足音を立てずに滑り込んだローフォークは、裏玄関のすぐ真横に設置された上り階段に人影を認め、視線と銃口を上へと向けた。


「こんばんわ、ローフォーク子爵。遅くまでお疲れ様でした」

 カナートが冷たい笑顔でローフォークを出迎えた。


 一切の返答もせず、ローフォークは拳銃を撃ち放った。

 だが、撃鉄が下りてすぐにカナートは階段奥に身を退げ、躊躇いも無く放たれた弾は壁紙を貫いて壁に穴を穿った。


「マルシャンは何処だ!」

 階段の手摺りに身を寄せ、相手の死角に入る。

 家令の安否を問うた。

「地下の食糧庫で転がっています。ご安心下さい、彼は無事ですよ。ですが、随分前から堅い石床の上にいますので、身体を痛めているかもしれませんね。御老体には申し訳ない事をしてしまった」

 心底、申し訳なさそうな声が上階から聞こえてくる。

 手早く弾込めを終えた拳銃を構え直した。


「俺は二度とそちらへは着かんぞ」

 すると、上階からカナートの含み笑いが響いて届いた。

「再勧誘に来たのではありません。状況は決して公爵閣下の優勢と言うわけではありませんので、こちらに来るだけ損と言うものです。ですが、今夜、国内の勢力図は大きく変化する事になるでしょう。貴方次第ではありますが」

「どういう意味だ」


「今夜、シュトルーヴェ伯爵の暗殺が実行されます」

 ローフォークの濃紺の瞳が大きく見開かれた。

「グラッブベルグ公爵は、悉く自分の邪魔をする伯爵に対し、とうに我慢の限界を迎えています。今夜、夜会の帰り道に伯爵夫妻を襲撃する計画を立てました。襲撃は、空き家となった子爵邸の前で行われる予定です。貴方に罪を被ってもらうつもりなんですよ」

「俺があの男の為に動くと思っているのか」

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