第八話〜⑧

 伯爵家と公爵家の間に揺蕩う潜在的な因縁と、その根深さを熟知していたマートンは、エリザベス一人を巻き込むだけでどれだけの騒動が起こり、宮廷が疑心暗鬼の渦に満たされるのか、誰よりもその存在価値を見出していた。

 エリザベス自身は何も分からぬまま、暗殺の策動を人々の目から隠し、国防のかなめに穴を穿ち、宮廷を混乱に陥らせる為の火種に用いられていたのだ。


 これを打ち明ける事に、フランツは消極的に見えた。

 ありもしない犯罪を疑われたエリザベスは、資産を失い、家族の思い出を売りに出し、家業を畳むことを余儀なくされた。傷付けられた従業員達も、これまでと同等の仕事に就けるまで回復するか判然としない。


 フランツが心配しているのは、エリザベスの精神面だ。

 何も残さない純然たる悪意に、とことん利用された少女の心情は測り切れない。伯爵家と公爵家の諍いが、少女の大切な物を根刮ぎ奪ってしまった負い目もあるのだろう。連隊長室に集った大隊長や副官達も、エリザベスの表情を窺っていた。


 心配する彼等に向かい、エリザベスは迷いも無く微笑んだ。

「では、コール家に掛けられた嫌疑は全て晴れた、という事で宜しいですね?」

「え? ああ。デュバリー軍団長も、密輸疑惑に関しては治安維持軍でしっかりとコール家の無実を公表し、対応も行うと仰っておられた。だが、エリザベス、大丈夫か?」

 一切、取り乱す姿を見せないので、男達の方が戸惑っている。

 そんな彼等に向かい、エリザベスは頷いた。


「むしろ、スッキリしました。これで、今後は誰に何を言われても堂々と反論が出来ます。私、ずっと理由が分からないまま、大切な人達が振り回される事が何よりも辛かったのです。自分に出来る事は殆ど無くて、常に周囲の人達に助けられてばかりいて。でも、これでコール家のみんなも、後ろ指をさされずに済むのです。これからの彼等の暮らしを、前向きに考える事が出来ます。そうでしょう? フランツ様」

「逞しいな。エリザベス」

 フランツは安堵の籠った笑みを浮かべた。


「しかし、君は腹が立たないのか?」

 そう問うたのはボナリーだ。軍人達の中で、一番エリザベスの言動に解せない様子だ。

「私ならば、取り敢えずブン殴っているところだ。平手打ちの一発くらい見舞ってやっても誰も叱りはせん。せっかくローフォークから格闘術を習っているんだ。腕試しでもしたらどうだ」

 ボナリーらしい業腹の発散の勧めに、彼の副官が咳払いをした。エリザベスもくすくすと笑い声を溢す。

「私の腕力では相手はきっと痛くも痒くもないと思います。それに、もう既にボナリー少佐が代わって為さって下さいましたから」


 連日の尋問の中で、コール家の密輸疑惑に話が及んだ時の事だ。

 無関係な少女を悪意を持って巻き込んだ事を咎められた一人が、取調官を鼻で笑った。

「はっ! くだらない権力争いに先の巻き込んだのはどっちが先だ? 正義面して笑わせてくれる。小娘はむしろ我々に感謝すべきだ。家族の仇を討ってやろうとしたのだからな。それで人夫共が犠牲になろうと些細な話だろう。それとも荷運び屋の孤児は、家族を奪った蛮族のお偉い連中に媚びを売る方が良かったか? 家族の仇を討つより、高位の男共に囲まれて傅かれる方が御望みだったと言うのなら、詫びてやっても良い。下賤な平民の娘は男に股を開くのが得意だと噂になっているらしいか……!」

 そのレステンクール人は、最後まで言い切る前に取調室の壁に吹っ飛んでいた。尋問に立ちあっていたボナリーが、反射的に拳を繰り出していたのだ。

 殴り飛ばされたレステンクール人は失神し、そのままその日の取り調べは終了してしまった。


「私では人を吹っ飛ばせる力はありませんもの」

 改めてボナリーに礼を述べた。

 ただ、その際、一緒に椅子と机上の照明器具を破壊したのはいただけない、と言い足した。

 従卒として第二連隊に勤めているエリザベスは、ボナリーの備品の破壊率の高さを知っており、それが経費で補填されている事も知っていた。その分、フランツに裁許の書類が上がってくる事も。

「うむ。今後は気を付けよう!」

 フランツを筆頭に、副官やロシェットの胡乱な視線を気にも留めず、ボナリーは力強く頷いた。


 その後、各々の職務へ戻る大隊長達の流れから外れて、エリザベスは連隊長室でフランツと向き合っていた。

 手に提げていた巾着袋を渡し、スティックニー侯爵令嬢との婚約を改めて祝った。

「侯爵令嬢とはずっと恋人同士だったとアリシア様からお聞きました。おめでとうございます、フランツ様」

「有り難う、エリザベス。ただ、素直に喜んで良いものか迷っているよ。この状況にならなければ、向こうは俺との結婚を許してはくれなかっただろうからな。自分の幸福が君達の犠牲の上にあるようで、正直なところ気が引けている」


 申し訳なさそうなフランツに、エリザベスは横に首を振った。

「私達の事が無くても、侯爵様はいずれフランツ様と御令嬢の結婚をお認めになっていたと思います。だって、公爵家も敵視するくらいの大貴族の跡継ぎで、同期の中でも出世頭で、未来の軍務大臣ですよ? しかも自分の娘を好いてくれていて、間違いなく幸せにしてくれる。こんな好条件の男性なんて、そうはいませんもの」

「王国宰相に目を付けられている一族が好条件か? 苦労するだけだと思うけどな」

 二人は同時に笑い声を上げた。


 一頻り笑うと、フランツは労わりの言葉をエリザベスに掛けた。

「大変だったな、エリザベス。ジェズは当面は向こうか。ついこの間、復帰したばかりなのにな」

「はい。でも、仕方ありません。当たりどころが良かったのは、たまたまだったのですもの。しっかり傷が塞がるまでは動くなと、お医者様に申し付けられました」

「従業員達も、あと一人か」

「ええ。遠からず落ち着くだろうと。トビアスの治療院は火災で出た負傷者の治療で手一杯なので、全員、ビウスのコール家へ移る事になりました。ジェズも一緒です」

「ジェズはガッカリしただろう? きっと自分も一緒に帰れると思って、傷を押してウキウキ荷物を纏めていたんじゃないか?」

 エリザベスは困った顔で笑った。

 残留と安静を言い渡された時の絶望的な顔は、本当に可哀想だった。見舞いに来た男の子が真剣に励ましていたくらいだ。


「シュトルーヴェ家は援助を惜しまない。必要な事があれば、遠慮せずに申し出てくれ」

「はい。ありがとうございます」

 微笑んだエリザベスは、しかし、すぐに困惑を浮かべてフランツを見遣った。


「ベルナール様の事を聞きました。今、王宮庭園の本邸に居られると」

 フランツも一転して翠の瞳を鋭く細めた。

「ああ。行き違いがあったようだ。シャイエ公爵夫人は幼年学校の放課時刻に合わせて迎えに行くつもりだったんだが、それよりも早く、ベルナール様が寄宿舎を出てしまった。どうやら同期生の数人と共に辻馬車で帰ってきたようなんだ」

「辻馬車?」


 王都の幼年学校には、貴族と富裕層の子弟以外にも、下層階級の中から選ばれた聡明な者が通っていた。これは貴族や富裕層の慈善活動の一環で、将来的に事業の補佐をさせたり、領地の運営に携わらせる為の投資ともなっていた。

 その子供達は寄宿舎で寝起きをし、そこでも品位を持った振る舞いを学ぶ機会を与えられる。王宮庭園に居を構えられない地方貴族の子弟も同様だ。学校に通うにはやや遠い王都郊外で暮らしていたベルナールも、六歳から母や妹と離れて寄宿舎で生活していた。


「まあ、俺にも覚えがあるんだが、王宮庭園で暮らしていれば知らないままだっただろう事を色々教えてくれたからな。一緒にいると結構楽しいんだ。きっと彼等に馬車の乗り方を教えてもらったんだろう。以前、第二連隊に訪れた時もそうして来たんだろうな」

 規則を破る事に罪悪感は抱きつつも、好奇心が勝ってしまう。一度上手く行けば、また試してみたくなる。

 十歳の男の子など、そういうものだ。

「シャイエ公爵夫人は謝罪の手紙を送って来たよ。急な依頼をしたのはこっちだと言うのに」


 オーレリーの代替えとしてベルナールを手元に置いたのだとしたら、今後は少年を公爵から引き離すのは難しくなる。

 グラッブベルグ公爵は我が子まで傷付けたりはしないだろうが、遠からずローフォークに対して何かしらの行動を起こすはずだ。


 追悼の式典前には公爵夫人達も王都に戻る手筈だ。

 アデレードとアニエスはそのままシャイエ家で過ごす予定になっているが、王宮庭園に入る事を許されていないオーレリーをどうするのか、シュトルーヴェ伯爵も決めかねている。

「不手際ばかりだ。なかなか運はこちらに味方をしてくれない。もどかしい事この上ないな」

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