第八話〜⑦

「ベルナール! お前、大叔母殿と出掛けていたのではなかったのか⁉︎」

「い、いいえ。今日まで学校でしたので、今しがた帰ってきたばかりです」

 切羽詰まった公爵の形相に困惑しながらも、ベルナールは冷静に答えた。


「母上とアニエスはまだ戻っていないのですか? ローフォーク夫人も?」

「お前は、母達が大叔母殿の領地に旅行に行った事を知らんのか?」

「旅行? いいえ。聞いていません。ですが、今から旅行ですか? 十日後には追悼の式典があるのに?」

 その言葉に、頭に昇っていた血がスッと引いた。


 そうだった。

 十日後、グルンステインにとって、何よりも大切な式典が控えている。


 十一年前の十月、エドゥアール王太子夫妻は暗殺された。

 その追悼の儀に欠席するなど、例え実妹であってもフィリップ十四世が許すはずがない。

 それに、この式典をアデレードが無視出来るとは思えなかった。弟夫婦の突然の死は、長い事、彼女が気鬱を患う一番の原因なのだ。


 公爵は意図せず安堵を溢していた。

「どうやら、例によって大叔母殿の気紛れの様だな。お前を置いて行くとは思えないから、行き違いがあったのだろう。まあ、式典までには帰ってくるだろう。それより、ベルナール」

「はい」

「先日、第二連隊に行っていたそうだな」

「あ……」

 ベルナールはバツの悪そうな顔になって俯いた。


「カレルに会いたかったのか」

「……はい」

「何の用事があった」

「……」

「ベルナール」

「進路の事で、相談を……」

「まさか、まだ士官学校に行きたいなどと考えているのか?」

 ベルナールが僅かに躊躇ったのちに小さく頷いたのを見て、公爵は内心で苛立った。


 この子が本当に自分の子なのか疑いたくなる。

 軍人になってどうするつもりだ。読み書きや知識を蓄えるよりも、剣を振り馬を乗り回す事しか頭に無いのでは、野蛮人と一緒ではないか。

 一体、誰に似たのだ。

 今更ながら、子供達は王都郊外の別邸ではなく、王宮庭園で自らの手で育てるべきだったかと後悔した。

 しかし、オーレリーに子供達の教育を任せる事は、ローフォークを飼い殺す為には必要な措置だった。


 公爵が溜息を吐く姿を見て、ベルナールは慌てて言葉を重ねた。

「父上、言われた通り大学には行きます。ですが、士官学校にも通わせて下さい。どうしても軍人になりたいのです! 士官学校で軍事を学び、それから大学に進学するのではいけませんか?」

「士官学校から大学だと?」

 怪訝に眉を寄せた公爵に、ベルナールは「あっ」と口を噤む。

 それだけで、誰が息子に入れ知恵をしたのかを察し、一際腹が立った。


 公爵が腕を伸ばした瞬間、ベルナールはびくりと身を竦めた。

 撲たれるとでも思ったのだろうか。その手が息子のクラヴァットを整えると、ベルナールは拍子抜けした顔で公爵を見上げた。


「そんなにも軍人になりたいのか。儂はお前を戦場になぞやりたくはないのだ。お前もアニエスも歳をとってから出来た子だ。あと何年、一緒にいられるか分からん。儂はその間に儂の政治を受け継いでくれる者を一人でも多く育てたいのだ。これからは何でも力で解決する時代ではない。先王以降、滞っていた学業の奨励も、大学の設立も、国の未来を見据えたものだ。息子のお前は誰よりも分かってくれると思っていたのだがなぁ……」

 くすんだ金髪に包まれた頭を撫でながら、これ見よがしに哀しげに微笑んで見せた。


 ベルナールは傷付いた表情で公爵を見上げた。

「父上……」

「良いだろう。士官学校に通うことを許す」

「えっ⁉︎」

「何を驚く。ずっと、どうすれば儂を説得出来るか思案していたのだろうが。第二連隊を訪ねたのも、その相談だったのだろう? 教会でシュトルーヴェ家の者達と会った話も聞いている。大方、お前にそのような知恵を与えたのはフランツ・シュトルーヴェ辺りだろう」

 すっかりバレてしまっていると判断したのか、ベルナールは小さく頷いた。


「そこまでして軍人になりたいと言うのだ。もう、こちらが折れるしかあるまい。ただし、大学には行ってもらうぞ。武を学ぶだけでなく、学もしっかりと身に付けてもらう。そうして、文武の両面で、王太子殿下をお前が御支えするのだ。誰よりも血の近いお前は、殿下にとって何者よりも信頼出来る男たらねばならん」

「はい! 有難う御座います、父上! 勉強も武芸も頑張ります!」

 元気に返事をする息子の頭を、公爵はもう一度、優しく撫で付けた。


「では、王宮庭園の本邸に帰ろう。アデレードもローフォーク夫人もいないのでは、この屋敷にお前一人は心許ない。折角だ。学校で何を習っているのか教えておくれ。分からないところがあれば、今日は儂が見てやろう」

 ベルナールは驚いたあと、心の底から嬉しそうに頷いた。


 勉強道具と着替えを取りに息子が居間を走り出て行くと、グラッブベルグ公爵はたちまち不快感に表情を歪めた。

「シュトルーヴェめが……!」

 忌々しく、舌を打つ。


 親子揃って、何処までこちらの邪魔をすれば気が済むのだろうか。

 公爵は、追悼の式典が間近に迫っても、オーレリーや妻子が自分の手元に戻って来ることはないだろうと踏んでいた。シャイエ公爵夫人まで味方に付けておいて、もはやシュトルーヴェ伯爵が退く事は有り得ない。

 だが、ローフォークをこちらから引き離す事は不可能だ。

 それを思い知らさせてやらねばならない。


 慌ただしい足音が近付き、ベルナールが再び居間に現れた。

 邸の使用人に大きな鞄を持たせ、自らもお気に入りの子供向けの伝記を抱えていた。

 伝記と一緒に木剣を大事に握り締めているのには笑顔も引き攣ったが、収穫祭休暇の合間に本邸の私兵に稽古をつけてもらい、強くなってローフォークを吃驚させるのだ、と意気込んでいる。

 そんな息子の姿に、公爵は愉悦の笑みを浮かべたのだった。



     *   *



 王都へ戻ったエリザベスは、翌日には職場に出仕した。

 少女が国王フィリップ十四世と王太子シャルルの暗殺計画の画策を知ったのは、王都へ帰還する前日の、一つ前の宿泊地での事だ。


 王都と近郊に潜伏していたレステンクール人等の拠点地から、大量の新機構の銃が発見された事で、一連の密輸事件の主犯に辿り着いた治安維持軍と宮廷は深刻な緊張感の中にある。

 第二連隊の連隊長室には久方振りに大隊長達が揃った。

 彼等の視線の中でフランツの前に立つエリザベスは、今回の事件の説明を改めて受けていた。


 暗殺計画は、十一年前の大虐殺を辛うじて逃れた旧貴族を中心に練られていた。


 動機は、只々、レステンクール包囲戦争への加担を決めた王家への怨み。そして、大虐殺を繰り広げたグルンステイン国民への底の無い憎悪だ。

 武器は、やはりアンデラ王国から入手したのだと言う。

 武器を買う為の資金を何処から得たのかは吐かなかったが、軍務大臣シュトルーヴェ伯爵を始め軍部の上層は、アンデラの政府が無償、もしくは破格の値段で提供したのではないかと考えていた。


 国王と王太子の死によって起こる混乱。

 それに乗じて、アンデラがグルンステインに攻め込む算段であった可能性は、否定出来ない。

 レステンクール人がアンデラに頼ったのか、アンデラがレステンクール人を唆したのか。いずれにせよ、国王フィリップ十四世は対応を求められる事になる。


 当初、黙秘を貫いていた彼等は、観念したのか自棄を起こしたのか、次第に口が軽く饒舌になっていった。尋問の中で、コール家の密輸疑惑も彼等が仕組んだものだった事が分かった。

 最初の輸送での失敗が大運河の摘発に繋がり、レステンクール人達は後が無くなっていた。目的を成し遂げる前に計画が明るみになると焦った彼等がエリザベスに目を付けたのは、エリザベスがシュトルーヴェ家の後見を得ているうえに、貿易を生業とした商家の娘だったからだ。


 コール家の積荷から銃が発見されれば、追及は必ずシュトルーヴェ家にも及ぶ。

 代々、軍務を主軸に国家の中枢に立ち続けた一族に密輸の疑惑が湧いて出れば、政敵であるグラッブベルグ公爵はそれを見逃さず、フィリップ十四世はいつかの様に失望するだろう。

 このトビアスの事件を主導した者の名も分かっている。

 オリヴィエ・マートンだ。


 十年以上もの間、グラッブベルグ公爵の後背の闇を享受し、ビウスの強盗事件の実行犯の一人でもあるこの男も、レステンクール人だった。

 そして、コール家を貶めた黒幕だ。


 夜陰に紛れて、積荷に銃を滑り込ませたのもマートンだ。

 取調官という地位と、グラッブベルグ派の多いトビアスでの立ち位置を最大限に活用し、余計な証言をさせぬよう、コール家の従業員達を早々に薬物で潰した。そうして、王都に潜伏するレステンクール人にシュトルーヴェ家とコール家を中傷する噂を流布させ、グラッブベルグ公爵の一派を煽った。

 すると、今度はシュトルーヴェ派の反撃が始まり、ビウスの強盗事件が槍玉にあげられる。

 

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