第七話

第七話〜①

 目深に被ったフードの下から見上げるコール家の鉄柵の門扉は、高く重厚に見えた。

 今更、何をしに来たのかと、拒絶されている気持ちになる。

 それでも、ローフォークはこの門を潜って少女に会わなければならなかった。


「エリザベスを護れ、必ず」


 それが、自分に与えられた任務だったからだ。



   *   *



 ローフォークがビウスに発つ事になった日。

 太陽が傾き始めた時刻に、俄に執務室の外が騒がしくなった。


 扉が叩かれ、顔を見せたのはニコラ・シャテル少尉だ。

 副官と従卒が同時に執務室を離れては何かと不便だろうと、ドンフォンが自分の代わりに置いていった士官だ。


 ドンフォンが自ら指名しただけあって、勤務態度も能力もローフォークの及第点を得られるものではあったが、かつてエッセンと行動を共にしていた影響か、第二連隊本部での少年士官への当たりはやや厳しい。御前競技の件はシャテルもヴヌーも関わってはいない上に、エリザベスとジェズの二人とはとっくに和解しているのだが、エッセンを裏切り見捨てたとの見方が大半で、周囲の受けは良くなかった。


 常に強張った表情で、たまに胃を押さえて溜息を溢している姿はさすがに同情せざるを得ない。恐らく、こうなる事を見越してドンフォンはシャテルを指名したのだろう。

 つくづく性格の悪い後輩を持ったものだとローフォークは思った。


 フランツの帰還を告げられ、すぐに連隊長執務室に向かった。

 ローフォークが連隊長執務室に着いた時、既にフランツは執務机の椅子に腰を下ろしていて、ティエリ中佐とボナリー少佐も各々の副官を連れて立ち控えていた。

 遅れて参じた無礼を詫び、二人の大隊長と共にフランツの前に並んだ。


「全員揃ったな。ではティエリ中佐、報告を」

「はっ。連隊長の出立後、翌日には事件の噂が市井で広がり始めました。噂の中心は市場や商店街で、これはビウスやトビアスから渡って来た商人達から広まったと考えられます。そこから二日後には宰相派による軍務大臣閣下への中傷が宮廷で始まりました。噂の出所を調べたところ、主にトビアス師団に家族が所属している宰相派の家から広まっていて、そこから得た情報を別の宰相派が喧伝しているといった形です。

 当初、国王陛下は全く意に介した様子は無いと宮廷侍従から情報を得ていましたが、四日前には宰相派の若い者が大臣閣下を陰で笑っていた事から、軍務大臣派の若者と揉み合いになり、陛下が諍いの仲裁に入る羽目になってしまいました。今、宮廷は陛下が介入した事で表面上は落ち着きを取り戻しておりますが、くつくつと煮えた澱みの様な物を感じます。特に宰相派は派閥内での行き来が増えているとフーシェ少将から情報が入りました。

 第二連隊の調査でも高級料理店やサロン、劇場での中立派との接触が増えているとの報告が上がっております。彼等を取り込む事が目的かと。知人が数人、宰相派からの勧誘があったと連絡がありました。

 現在、宮廷はこちらで蒔いた事実に基づいた噂が着実に広がり、市井でも公爵に関する噂で持ちきりです。また、ローフォーク少佐の報告ではグラッブベルグ公爵自身に動きは見られません。王宮庭園の公爵邸に宰相派の出入りはありますが、公爵自身は軍務大臣の罷免には慎重な様です」


「この時期に動けば全面戦争だからな。それが出来るほどの地盤が整っていない証拠だ。ところで噂に関する事なんだが、双方、当初からどう変化している?」

「変化、ですか」

「トゥールムーシュ中佐からも聞いてはいるが、どうしても気になる事がある。エリザベスが尋問を受けた事は手紙でも伝えたな」


 トビアスとビウスでの出来事は早馬によって前日の内にもたらされていた。コール家の従業員の状況も、エリザベスが家業を畳む決意をするに至った経緯も、第二連隊の幹部全員が認識している。

 ティエリは頷いた。


「ええ。コール准尉は取調官の質問に冷静に対応した、と」

「その尋問の内容がこれだ。エリザベスの護衛に付いたドンフォンとシェースラー、それにシュトルーヴェ家の顧問弁護士に纏めてもらった。確認してくれ」

 フランツが取り出した数枚の紙には、尋問中の一連のやり取りが細かに書き綴られていた。


 エリザベスと会社の関係性から始まり、積荷に銃が隠されていた理由。

 事件を聞いた場所が何故第二連隊で、何故そこで働いているのか。ビウスの強盗事件をフランツが察知して駆け付けた経緯。ビウスとトビアスの事件にコール家が関わっていた、その意味。

 フランツの行動の不自然さから強盗事件にシュトルーヴェ家の関与を疑われ、御前競技の暴行事件に話が飛び、大運河の摘発への懐疑。レスコーの逮捕と逃亡と死亡。それに伴って起こった第一連隊との諍いと人事異動でのシュトルーヴェ派の勢力拡大。そして、コール貿易商会の銃の密輸。

 これら全てにシュトルーヴェ家が裏で関わっているのではないか、と指摘した取調官へのエリザベスの切り返し。


 一通り目を通したローフォーク達はいずれも難しい顔だ。

「相手を挑発したり、混乱させて失言を引き出すのは常道だが、よくもこれだけ自在に話を転がせたな。コール准尉もよくついて行ったものだ」

 ボナリーが眉間に皺を寄せて唸った。


「しかし、この終盤のやりとりは……」

「ああ。多少の語彙の違いはあっても、この取調官の仮定の話は王都や宮廷で出回った噂話と酷似している」

 ローフォークはフランツが何を懸念していたのか理解した。


 人の噂は伝言ゲームだ。

 正式に公言されたものでもなければ、そこに真実があったとしても結局は推測の域を出る事はない。拡散されて行く中で、僅かな差異や解釈を取り違えて伝わる事も珍しくはない。

 一通り出揃ってしまえば、散逸していたものはやがてある程度の形を整えるものだが、それが噂の発信者が想定していた物と同一になるとは限らない。


 現にグラッブベルグ公爵に関する噂は、フランツがビウスに発ち、戻ってくるまでの十一日間の中で第二連隊の手を離れて好き勝手に飛び交っている状況だ。


 誰が流したのか知らないが、今はエリザベスが強盗から逃れる際に相手の股間を蹴り上げただけに留まらず、『蹴られた側はたまったもんじゃない。潰れちまったんじゃないか』から『片方が潰れたらしいぞ』と飛躍してしまっていた。


 しかし、シュトルーヴェ家に関する噂は、個人を標的にした中傷は二転三転しつつ広がっているものの、今でも国内に銃が出回った切っ掛けとシュトルーヴェ家の密輸への関与、コール家が襲撃された理由とされている内容は、ほぼ一貫して変わっていない。

 まるで、予め用意された台本を繰り返し読み上げる様に。


「トビアスでの聴取という事でしたが、担当者の名は?」

 大方の予想はつくが、ローフォークは念の為、訊ねた。

「マートンだ」

「やはり……」

 フランツは改めてグラッブベルグ公爵の関与を疑っているのだ。


 だが、公爵が起こした事件だとしても諸刃の剣だ。

 その事はトビアスに発つ前の議論で答えは出ている。事実、ビウスの事件は真実を伴い拡散されて、宰相派は軍務大臣派の捏造だと火消しに躍起になっている。だからこそ、公爵がトビアスの密輸事件に関与しているとは思えなかった。調べれば粗が出るのは公爵の方だからだ。

 疑惑が再浮上しても、フランツが断言しないのはその為だ。

 しかし、だとしたら、どういう事だ?


 忌々しげに考え込んだローフォークにボナリーが声を掛けた。

「知り合いか」

「士官学校の同期生です」

「グラッブベルグ派か」

「ええ」

「どんな奴だ」

「決して隙を見せてはいけない相手です。表向きはただの性格の歪んだ取調官としてトビアスに勤務していますが、裏ではグラッブベルグ公爵の『私用』を好んで手伝っています。野心家という訳では無く、極めて個人的な快楽趣向で従っています。自分の手を汚す事を厭わず、ある意味では公爵よりも遥かに厄介な男だと自分は思っています」

「裏も表も糞野郎という事か」

 ボナリーはきっぱりと結論を下した。


「考え過ぎかもしれませんが、もしや連隊長はトビアス師団、もしくはこのマートンという男が、公爵の意図とは違う動きをしていると御考えですか」

 品の無いボナリーの発言に、咳払いをして気を取り直したティエリは問うた。


 フランツは頷く。

「どちらかというと、マートンの独断ではないかと考えている。仮に公爵か向こうの師団長が黒幕だとして、コール家を利用してシュトルーヴェ家を失脚させようとするなら、やはり口さがない連中の標的になり、ビウスの事件を揉み消そうとした事が知られてしまう。御前競技からまだ間も無い。安易に目立つ事は避けたいだろう。コール貿易商会の積荷の件は、トビアス側でも想定外だったのではないかというのが俺の見解だ」

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