第七話〜②

 もし、トビアス師団が組織ぐるみで関わっているのなら、コール家は除外しつつ、もう少し派手に事件を起こし、綺麗に解決する事も出来ただろう。

 だが、見付かった銃は僅か一丁だ。


 組織的な策略と言うには規模が小さ過ぎて、向こうが欲しがる程の功績が果たして得られたかどうか。

 しかも、コール家を巻き込んでいる。

 トビアスの師団長としては不都合の多い一件だ。

 本心では見なかった事にしたかったに違いない。


「今回の密輸事件で、従業員達の尋問を取り仕切っていたのはマートンだ。彼等の調書を確認したが、まともに話を引き出す気があったとは思えない内容だ。拷問は初っ端からだし、自白剤の使用もかなり速い段階で行われていた。トビアスにいる間、あいつと反りの合わなさそうなのを何人か見付けて確認したが、マートンは尋問役に率先して名乗りをあげたと全員が証言している。俺としては、奴は最初からコール家が事件に巻き込まれただけと知っていて、従業員にしてもエリザベスに対しても、痛め付けた所で何も出てきやしないと、分かっていたのではないかと疑っている」


 疑問なのは、その動機と意味だ。

 宮廷にまで及ぶ騒ぎの中心にマートンがいたと仮定して、その動機は間違っても公爵への忠誠心ではないとフランツは断言した。


 ローフォークもフランツも、マートンという人物の嗜虐性を理解している。

 マートンが自由に楽しく安全に惨虐な嗜好を満たす為には、グラッブベルグ公爵の存在は必要不可欠なのだ。

 公爵が不利な立場に追い込まれれば、自分にも害が及ぶ事を理解していない訳がない。喜劇でも観ているかの様に無邪気に手を叩いて笑ってはいられないだろう。

 その危険を冒してまで、シュトルーヴェ伯爵家を陥れたい理由がマートンにあるとも思えない。


「ただ……」

 フランツは腕を組んで執務机の一点を見詰めた。

 そこにはエリザベスの尋問内容を纏めた書類が置かれていた。


「マートン個人がエリザベスを狙っている可能性は?」

 言われて初めて、コール家を襲撃した夜のやり取りを思い出し、悪寒が走った。

 グラッブベルグ公爵とは違う意味で、偏執的な執着心を見せるのがマートンという男だ。

「……ある」


「よし。マートンの経歴を洗い直そう。ローフォーク少佐はビウスに向かってくれ。目的はエリザベスの護衛の強化だ。だからトビアスには寄らず、真っ直ぐビウスに向かうんだ」

 ローフォークは目を丸めた。

 隣ではボナリーとティエリも同様の表情でフランツを見ていた。


「恥ずべき話だが、状況は分からない事だらけだ。だが、これだけははっきりしている。水面下での軍務大臣派と宰相派の争いは、いよいよ表沙汰になった。そして、これは憶測に過ぎないが、この争いに便乗した悪意が、本来は無関係の少女に二度に渡り犠牲を強いようとしている。それだけは断じて阻止しなければならない。マートンの思考回路を最も理解しているのはお前だ、ローフォーク少佐」

 真っ直ぐにローフォークを見上げてフランツは言った。


「エリザベスを護れ。必ず」


 ローフォークは、自身の濃紺の瞳が戸惑いに揺れたのを自覚した。



     *   *



 ローフォークとエリザベスが顔を合わせたのは、翌朝の、朝食には少し遅い時間だった。


 食堂にやってきたエリザベスは、ローフォークを見付けて驚きの声を上げた。朝食を終えかけていた上官に駆け寄り、それから気付いた様子で慌ててスカートを摘まんで朝の挨拶をした。

 ローフォークは素っ気無い態度で返した。


 少女の瞼は腫れていたが、血色が良く表情はすっきりしていた。

 昨夜、思う様泣きじゃくり、たっぷり睡眠を取ったからだろう。遅れてアリシアとジェズも挨拶をし、これにも表情を変えずに応じた。


「少佐、いつこちらにおいでになったのですか?」

「昨夜だ」

「もしかして、夕食時でしょうか。表で馬の鳴き声を聞きました。その時間なら、私、目覚めていたのに。お出迎えもせず、申し訳ありません」

 謝罪するエリザベスの向こうで、アリシアとジェズがローフォークを睨んでいた。二人はエリザベスが頭を下げる理由は無いと考えているのだ。


 それはローフォークも同様だった。

「お前が謝る必要はない。それより、起きて平気なのか。倒れたと聞いた」

「はい。昨日は良い事が幾つもあって、久し振りに嬉しい気持ちで眠る事が出来ました。だからか、とても調子が良いのです」

 エリザベスはローフォークの傍に席を取り、微笑みながら答えた。


 その笑顔に、少し痩せたなと思いつつ、少女の根幹は揺らいでいないのだと確信した。

「そうか」

 思わず口元に笑みが浮かびかけたが、すぐに打ち消した。


 そこに老執事が現れた。

 老執事は席に着いたエリザベス達の前に朝食の皿を置き、空になったローフォークの食器を下げ、食後の紅茶の有無を訊ねて立ち去った。


「コール。食べながらで構わない。よく聞け。部隊の者達にはすでに話してあるが、俺がここへ来たのはお前の護衛の強化が目的だ」

「護衛の強化、ですか?」

 エリザベスは周囲を見渡した。


 すでに多くの兵士がエリザベスとコール邸の警護に就いている。

 三班に分かれた彼等は一班が屋敷の警備にあたり、一班が邸内に用意した部屋で仮眠中であり、残りの一班が食事中で彼等は今日のエリザベスの護衛番だ。


 その人数はジェズとドンフォンを合わせて十五人で、彼等はコール家の客間と談話室、そしてジェズの部屋に寝具を持ち込み、交代で休んでいた。すでに充分過ぎる程の数の護衛が付いている状態だ。


 エリザベスもそう感じていたのだろう。

 再びローフォークに視線を転じた少女は怪訝な顔だった。

「新たに人員が補充された気配を感じませんが……」

「補充されたのは俺一人だ」

 栗の実色の瞳がきょとんとしてローフォークを見上げた。


「トビアスでマートンに会ったな」

 一瞬でエリザベスの表情が曇った。

 しかし、しっかりと頷きを返した。


 ローフォークはフランツ帰還直後に行われた話し合いの内容をエリザベスに聞かせた。

 エリザベスを誘導する為にマートンが語った仮説と、王都と宮廷で出回っている噂の酷似性。遠い地方での噂が中央に届き拡散された速度の速さ。グラッブベルグ公爵もしくは第十師団の今回の事件への関連性の検証と、改めて出た『否』の答え。

 そして、マートンの人間性を鑑みた、その対処法。


「シュトルーヴェ連隊長は、従業員への仕打ちと伯爵家への中傷は、マートンの独断の可能性があると見ている。あくまで可能性の話だがな。今、向こうでマートンの経歴を調べ直しているところだ。情報が纏まり次第連絡があるだろう。俺は奴の行動原理を理解している者として、護衛の指令を与った」


 また、トビアスにはマートンの他にもコール家を襲った連中がいる。

 警戒すべき者の詳細の伝達と、彼等からの情報収集もローフォークに与えられた任務だった。


「それと、幾つか伝言を預かっている。まずはソレル第一師団長からの伝言だ。

『二日後、デュバリー軍団長がトビアスを視察する。今回の密輸事件についての詳細把握が目的である。エリザベス・コールは第十師団本部にてこれに応じ、嘘偽りなく全てを詳らかにせよ』

との事だ」


「……それ、どういう事ですか?」

 食事の手を止めてジェズが訊いた。


「まるでエリザベスが取り調べを受けるみたいだ。ソレル師団長もデュバリー軍団長も、エリザベスを疑っているんですか?」

 攻撃的な視線がローフォークを射抜こうと向けられる。


「知らん。ただし、随従者の中に王都の医師を数名入れる予定だと聞いている。場合によっては、その場で何かしらの決定があるかもしれん」

 この言葉にエリザベスは気付いた事がある様だ。

 適当にも聞こえただろう返答に苛立つジェズを宥め、ローフォークに次を促した。


 ローフォークは足元に置いていた荷袋の中から、絹地の袋を取り出した。

 食卓に置いた袋はジャリンという重厚な音を立て、その音にぎょっとしたエリザベスは中身が何であるのか察したのだろう。驚いた顔でローフォークを見上げた。

 二つ目の伝言は、フランツがマルティーヌから預かり、マルティーヌは別の人物達からこの包みと共に預かった物だ。


「開けてみろ」

 言われて、エリザベスは恐る恐る絹袋の口を解いた。

 出てきたのは、エリザベスの両手では掬い切れない数の金貨銀貨の山だ。袋だと思っていた物は大きなハンカチで、見ると様々な形の刺繍が施されていた。

 アリシアが驚いた声で、これらの刺繍がグルンステイン貴族家の家紋である事をエリザベスに伝えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る