第六話
第六話〜①
秋の空を見上げて、エリザベスは大きく息を吸った。
早朝の空気は冷たさを帯び、身体の中から頭を冷やしてくれる。
宿泊していた宿屋の窓から見える大きな河は、ビウスの物でも、すっかり見慣れた王都の物でもない。だが、以前は父に連れてこられて、何度もこの大河を行き来した。
ビウスも活気のある街だが、船で二時間下った所にあるこの街は更に大きく熱気に溢れていた。
「リリー。馬車の用意が出来たわ」
声を掛けられて振り返った先にはアリシアが立っていた。
彼女はいつもの可憐でお洒落なドレス姿ではなく、清楚で落ち着いた動きやすい外出着を身に纏っており、少しばかり緊張した面持ちだった。
宿泊部屋の前では、フランツとジェズ、そしてシュトルーヴェ家の顧問弁護士がエリザベスを待っていた。
「さあ、行こうか」
フランツが安心させるように優しく促す。
エリザベスは頷いて、テーブルの上の帽子を手に取った。
* *
コール貿易商会に武器密輸の疑いがかけられたと報せが入ったのは、十月に入って間もなくの事だった。
サウスゼンから輸入した積荷の中に、拳銃が一丁紛れ込んでいたのだ。
船長のミューレスはその場で逮捕連行され、船員達も全員拘束された。その他の積荷を含め、船舶は押収。治安維持軍第十師団の本部が置かれるトビアスに運ばれた。
この報せを受けた時、エリザベスは第二連隊庁舎で午後の会議後の紅茶の用意をしている所だった。
会議の終了を見計らい室内の隅で紅茶を淹れていた時、夜勤明けで休日だったはずのジェズが真っ青な顔で走り込んで来て、ビウスでの事態を告げた。
グルンステインでは、銃火器の輸出入は原則として許されてはいない。
例外も断じてあってはならない。自国の軍事力を他国に晒す様なものだからだ。それが近隣諸国との必要の無い軍事的摩擦を生む要因になりかねない以上、武器の流出入にはどの国も神経質になっている。
特に、グルンステインは軍事強国としてその名を馳せてきた。武器の民間での取り扱いは他国よりも厳しい制限が課せられ、安易に出回らない様に取り締まっている。
国内で生産された武器は、その全てが軍需工場の演習場で性能検査を受けた後に、各軍で編成された輸送部隊によって厳重に警備されて運ばれるのが原則だ。
民間に武器を卸す際には、個人での使用は職業猟師のみに定められ、商人や富豪が護衛の為に入手する場合は、彼等が代表者となり各地の治安維持軍連隊本部で許可を得て、従業員や護衛に支給する仕組みになっていた。
問題が起これば代表者は責任を逃れる事が出来ないので、使用する側も慎重になる。
商人が武器を積荷として運んでいる事自体があり得ない状況なのだ。
「護身用の銃を誤解されたという事ではないの?」
エリザベスの必死の思い付きはジェズに否定された。
「見付かった銃っていうのが、例の新機構の銃だったんだ。それが積荷の底に入っていたんだよ」
ひゅっという音が咽喉の奥で鳴った。
フランツを含め、大隊長や副官達も息を飲んだのが分かった。
「ビウスの弁護士先生の手紙では、前触れもなくトビアス師団の捜索が入って、そこで初めて船長や船員達の拘束を報されたって。会社の書類も帳簿も全部持って行かれて、事務長までもトビアスに連行された。それだけでなく、コール家の屋敷も捜索されたって!」
「そんな……。どうしてそんな事に」
ビウスの事件後、確かに商売は傾きかけた。
父の商才に頼り切りなところがあった会社は、他の会社に遅れをとりがちだった。
それでもシュトルーヴェ家の投資と家名の力。何より、死後も取引先に影響を残す父の人柄によって、どうにか回す事が出来ていたと思っていたのに。
本当は芳しくない状況を、エリザベスを心配させまいと事務長も船長も隠していたのだろうか。
それで武器の密輸になんて手を出してしまったのだろうか。
だが、シュトルーヴェ家の顧問弁護士までが嘘の手紙を送ってくるとは思えない。顧問弁護士の手紙は、事務長や船長の手紙と内容は一致していた。直近の手紙には、快調では無いが厳しい時期は一先ず乗り越えたという報告があったばかりだった。
二人共、父をとても尊敬していた。
武器どころか、密輸そのものに手を出すなんてあるわけがない。
「フランツ様。私、ビウスに戻ります。みんなを助けなくては!」
「気持ちは分かるが……」
フランツの表情は渋い。
傍らではジェズも心配そうにエリザベスを見詰めていた。
気遣うフランツをエリザベスは見上げた。
「私はブラッシュ・コールの娘です。会社の主人が不在である以上、いずれ私にも呼び出しが掛かるはずです。もしかしたら、第二連隊に私の拘束の要請があるかもしれません。その時、フランツ様は私を第十師団に差し出しますか?」
「するわけがないだろう! エリザベス、君は第二連隊の一員であると同時にシュトルーヴェ家が後見人を務める対象だ。我が部隊と伯爵家の名誉に掛けて、断じて君を奴等に渡すわけにはいかない!」
「でも、それでは治安維持軍の責務を全う出来ませんし、当然、第十師団と揉めてしまいます。この悶着が拗れてしまうと、今度はシュトルーヴェ家が非難の対象になってしまうのではありませんか? あまり私を庇うと、武器の密輸にシュトルーヴェ家が関わっていると噂が立ってしまうかも。場合によっては、嫡男であられるフランツ様が統率なさり、私がいる第二連隊までも疑惑の目を向けられる可能性があります。シュトルーヴェ家を追いやりたい方は少なくないのですよね?」
この指摘にフランツは口を噤んだ。
「お嬢はこれを誰かの策謀と捉えているのか」
トゥールムーシュの問いに、エリザベスは首を傾げて少し困った様な笑みを浮かべた。
自信は無いのだ。
だが、従業員達は父を裏切らない。これだけは信じられる。
彼等はエリザベスが生まれる前から、両親と苦楽を共にしてきた友人達でもあるのだから。
「今のコール家が窮地に陥って得をするのは誰かと考えたら、コール家の取引先を奪いたい同業者か、コール家が貿易を商っている事を幸いと利用して、シュトルーヴェ家を陥れたい勢力の方々だと思ったのです。特に、今回見付かった武器は市井に出ている物ではありません。入手するにもかなりの危険を伴うはずです。堅実と信頼を信条にしてきた彼等がそんな物に手を出すとは思えません。だとしたら、後は誰かが紛れ込ませたとしか思えないのです」
「そうすると、誰がやったのか、という話になるが……」
「そんな物、分かりきっている! グラッブベルグ公しかいないだろう!」
ボナリー少佐が断言した。
「軍務大臣閣下を陥れたい奴はごまんといる。自分がその椅子に座りたいからな。特にトビアス師団の団長殿は、グラッブベルグ領が近いのもあってなかなか芳ばしい噂のある御仁だ。宰相殿はそれを利用して大臣閣下を失脚させようとしているのだ」
「しかし、それだと密輸にトビアスと宰相が関与しているという事にならないか。だとしたら理由は何だ。何の為にあれ程の大量の武器を王都に持ち込む必要がある。公爵は内乱でも起こすつもりか」
例え自分の娘を王妃にする野望が潰えたとしても、実力行使に出たところで公爵に勝ち目は無いだろう。後継者に悩みを抱えていると言っても直系の子孫が少ないのであって、傍系に目を向ければ正統性のある血筋には不足していないのが現状だ。
現王家を力で排除しベルナールの王位を主張したところで、今度は継承権のある国内他家との諍いが待っているだけだ。一滴でも血が流れれば、王族間での血で血を洗う争いが起こるのは目に見えている。
そうなった場合、グラッブベルグ公爵に付いて行く貴族は圧倒的に少数だろう。グラッブベルグ公爵に追従している一部の貴族達は、決して公爵に忠誠心を抱いているわけではないのだ。
公爵に取り入り地位を高めたい思惑に動かされているに過ぎない。
ベルナールはともかく、公爵には人望が無い。
外国の力を借りる可能性もあるが、ベルナールの即位は国内法で定められた王位継承権の法を無効化する事になり、今度は諸外国のグルンステイン王家の血縁者の継承権を認める事にも繋がってくる。そうすれば話はさらに厄介になり、手にした権力よりも大きな困難が公爵を襲う事になるだろう。
公爵にとって、今の地位を守る為には現状を保守する以外には無いはずだ。
ティエリ中佐の問いにボナリーは口を噤んだ。
その時、
「グラッブベルグ公爵は密輸に関与していない」
ローフォークが、そう口を開いた。
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