第五話〜⑨

 ベルナールは時々ローフォークに剣や体術等を習っているのだと言った。手紙の遣り取りもしているのだと教えてくれた。幼年学校で何を習ったのか、学校や寄宿舎で友人とどう過ごしているのか、手紙に書いて送るとすぐに返事をくれるのだと嬉しそうだった。

 エリザベスがローフォークの従卒だと知ると驚いていたが、同時に羨ましがってもいた。


 ローフォークの話をする時の表情はキラキラと輝いて見えた。

 まるで大好きな兄を自慢する弟そのもので、心からローフォークを尊敬し慕っているのだと分かる。子供達を教育しているのがオーレリーだからかもしれない。グラッブベルグ公爵の存在が、兄妹の人格に影響を与えている様には見えなかった。

 ローフォークも兄妹を可愛がっている事は明らかだ。


「まあ、薄々そうなんだろうなとは思ったが」

 フランツは溜息を吐いた。

「お前、御子達まで人質に取られているな?」

 エリザベスははっとして隣の上官を見上げた。

 フランツの指摘にローフォークは表情を変えて黙った。


「全く、あの人も何処まで悪辣なんだか。こうなる事を見越して御子達を母君に育てさせたんだろうな。そこまでして何を得たいのやら」

「さあな」

「うん? どうしたエリザベス」

 フランツは食事の手を止めて、二人の上官を見詰める少女に問うた。ローフォークも怪訝な表情でエリザベスを見る。


 問われたエリザベスは戸惑いがちに訊ねた。

「公爵様は御自分の家族を傷付けても平気なのですか?」

 この質問に二人は顔を見合わせた。


 フランツは口を抑えて笑いを押し殺し、ローフォークは呆れて肩を落とした。

「お前、あれだけの目に遭っていて……。正気か?」

「で、でも、公爵様にとってアデレード様は奥様ですし、ベルナール様もアニエス様もあんなに可愛い御子様達なのに……」

「ああ、待った待った。場所を変えよう。これ以上の話はここでは拙い」

 器に残っていたスープを飲み干して、フランツが立ち上がった。


 第二大隊長室ではドンフォンが書類整理を行なっていた。

 そろそろ作業に目処が付いたので昼食に向かおうと考えていた所に、一足早く食事に行っていた直属の上官が従卒と連隊長を引き連れて戻って来た。

 フランツはエリザベスの定位置と化している長椅子に腰を下ろし、ローフォークは執務机の天板の端に座った。エリザベスはフランツが腰掛ける長椅子の横に、ちょこんと立ち控えた。


「まず、エリザベス。公爵を真っ当な人間と思う事は間違いだ。考えを改めなさい」

「でも、アデレード様は国王陛下の御息女です。ベルナール様もアニエス様も国王陛下の直系の御孫様に当たります。公爵様にとって、今の自分の地位を守る為には最も必要な人材なのではありませんか? 国王陛下は御孫様達をどのように捉えておられるのでしょうか」

 躊躇いながらもそう答えると、フランツもローフォークも意外そうな顔でエリザベスを見た。


「成程、そう言う意味だったか。確かにアデレード様の存在は公爵にとってある意味では強力な後ろ盾だ。害されて困るのは公爵の方だな」

「だが、ベルナール様には王位継承権が無い」

 ローフォークはきっぱりと言い切った。


 驚くエリザベスにフランツが説明した。

 十一年前にグラッブベルグ公爵(当時はモーパッサン伯爵)と結婚する際、アデレードはグルンステイン王女としての権利の全てを放棄している。それは自分が産んだ子の王位継承権の放棄も含まれていた。


 グルンステインでは、女性は王位を継ぐことは出来ない。

 王位の継承順位は国王の直系男子が最優先とされた。その次に国王の傍系男子とその直系。女性は直系でも傍系でも決して王位を継ぐ事は許されていないが、直系女子が産んだ男子には権利があり、アデレードを介しているとは言え、ベルナールは本来ならば王太子シャルルに継ぐ王位継承者なのだ。

 しかし、それも母となる女性が王族としての権利を放棄しなければの話だ。


 アデレードは王女ではあるが、王女として所有する権利の全てを手放した。

 我が子の王位継承権の放棄もその一つだ。


「我が国は王位継承時の争いを防ぐ為に、二百年も前に明確に順位付けする事を法律によって定めている。継承権の放棄自体は、他国に嫁いだ王女から産まれた男子がグルンステインの王位を主張する事を想定していたからであって、国内貴族の下に嫁すアデレード様がその手続きを取る必要は無かった。だが、アデレード様は自ら進んでこれらの儀式を行った。それ故に、ベルナール様には王族としての権利が与えられていないんだ。この法律は『聖コルヴィヌス大帝国』に加入するよりも以前に制定されていて、グルンステインでは重要視されている法だ。アデレード様のとった行動は王太子殿下を公爵から守る事に繋がった。その反面、公爵にとってベルナール様の価値は大幅に下がってしまった」


「それはアニエス様も同じだ。ベルナール様の王位に就ける可能性が皆無な分、王太子殿下に嫁がせたくて躍起になっていたというのに、何処かの誰かの所為で台無しにさせられたのだからな」

 ローフォークはフランツを睨み付けた。

 フランツが片目を閉じて親指を立て会心の笑顔を見せると、苛立ちを全面に出した舌打ちがローフォークから発せられた。


 それでも、ベルナールもアニエスも国王フィリップ十四世の孫である事に間違いは無い。政治的な価値はあるのだ。

 妻の存在も子供達の存在も、公爵を毛嫌いする貴族達を黙らせるには充分過ぎる程の防壁であるはずだった。

 彼女達が健やかである程、その防壁は厚く高い。

「あの強欲公爵がそれを失念しているとは思えない」

 僅かに考えて、フランツは呟いた。


「カレル。その脅迫は直接公爵から受けたものなのか?」

「いや、違う。だが、公爵のベルナール様への態度は素っ気無い。まるで関心が無いようだ。公爵はアニエス様一人がいれば、王権も爵位の保持も事足りると考えていた可能性がある。だから、俺はてっきり公爵の一つの意思なのかと……」

「だが、居るならば自分にとって都合良く動く駒に育てたいだろう。何しろ親子だ。ある意味、最も信頼がおける部下になる」


「……」

「誰だ」

 フランツの問い掛けにローフォークは黙った。


 それで察したのだろう。フランツは大きく溜息を吐いた。

「マートンか」

「おい、フランツ」

「ああ、心配無用。エリザベスとジェズには包み隠さず、全てを話す事に決めたんだ。だからお前も気兼ねなく洗いざらい喋ると良い」

「はっ?」


「ローフォーク家が王宮庭園から追放された理由も、お前がグラッブベルグ公爵の下で駒となって動いている理由も、全て既に話してある」

 ローフォークが両目を剥いてエリザベスを見た。

 エリザベスは急に視線を向けられて吃驚したものの、慌てて笑顔を繕って見せた。


 暫し唖然としていたローフォークは、やがて眉間に皺を寄せて不愉快そうに目を逸らした。それに戸惑ったのはエリザベスだ。

 基本的にローフォークはエリザベスに対して笑いかける事は無い。ただ事務的な話を、淡々とした表情で行うだけだ。それでもこんなふうに不快感を持って視線を外されたのは、エリザベスの第二連隊への配属を通知された時以来ではないだろうか。

 エリザベスはしゅんとして俯いてしまった。


「余計な事を、なんて言うなよ。何しろエリザベスはビウスの事件の当事者で目撃者だ。グラッブベルグ公爵を引き摺り下ろす為には、二人の協力がどうしても必要だ。とは言え」

 フランツはエリザベスを見て申し訳なさそうに続けた。

「俺も二人を都合よく利用しようとしてた不届き者だったんだけどな」


「フランツ様は私達を必要以上に危険な目に遭わせたくなかっただけです。だから、ずっと話して下さらなかったのですよね。私を助けて下さってから、私達を何処まで介入させるべきか、そうすれば私達がどんな形で危険な目に遭ってしまうのか。ずっと何も言ってくれなかったのは、フランツ様が私達を大事に思ってくれていたからです。私もジェズもちゃんと理解できました」

「エリザベスは優しいな」

「でも、フランツ様。アリシア様の事は反省しなくてはいけません」

 エリザベスの指摘にフランツは背凭れに仰け反って呻いた。


 事情を知らないローフォークが首を傾げている。

 これは、フランツもシュトルーヴェ伯爵も完全に失念していた事なのだが、王太子暗殺事件から始まったローフォーク家の不遇とグラッブベルグ公爵家との対立を、彼等はアリシアに説明した事が無かった。

 

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