第四話〜③
「分かった!」
フランツは馬車から飛び降りて自分の馬に跨った。
ジェズに向かいエリザベスを屋敷に送り戻すよう言い渡そうとしたが、肝心の少女の姿がない。馬車の中に残っていたはずのエリザベスは、ちゃっかりとフランツの背後で馬に跨っていた。
「いつの間に……。何をしているんだ。下りなさい!」
「嫌です! フランツ様は、今日は構ってやれないからって、私を御屋敷に返すおつもりでしょう? 私だって第二連隊の一員です。私にできることだって、一つか二つくらいあります!」
「エリザベス、困らせないでくれ。急ぐんだよ」
「嫌です!」
エリザベスはフランツの背中にきつくしがみ付いた。
フランツからは栗の実色の髪に渦巻くつむじしか確認出来ないが、必死に食い下がる少女の頑固な顔は想像するに易かった。
ドンフォンとジェズに無言で説得を求めたが、二人が横に首を振るのを見て諦めた。
「後でカレルに叱ってもらうからな」
「し、叱られるのは慣れています」
返答に僅かな動揺が見られたものの、決意は変わらなさそうだ。フランツはジェズに視線を移し、ドンフォンが騎乗している馬を指した。
「後ろに乗せてもらえ。行くぞ」
「は、はい!」
ジェズは大急ぎでドンフォンの助けを借りて鞍に飛び乗った。
第三連隊から第一報が届けられたのは、今朝の八時二十分過ぎ。
つい十分前のことだ。
遺体の発見現場は王都南西の郊外に広がる街道沿いの森の中で、狩猟中の猟師が血塗れで倒れていた男女を発見し、近在の第三連隊の駐屯所に通報した。
当番の隊員が駆け付けて確認したところ、釈放されたばかりのレスコーとその妻である可能性が浮上し、第二連隊へ遺体の身元確認の要請が入ったのが最初だ。
「妻も殺されたか。レスコーは第一連隊が監視していたはずだが、連中は何をしていた」
「現状でははっきりしたことは分かりませんが、職務怠慢は否めないでしょう。釈放の一件もありますし、夫妻に買収されて手引きした者がいたかもしれません」
ドンフォンの言葉は第一連隊の有り様を痛烈に批判していた。
現状、発見時の詳細な状況確認も兼ねて、ローフォークが遺体の運ばれた駐屯所に向かっているところだと言う。
第二連隊庁舎に到着早々、市内の所属駐屯所に向かったジェズを見送り、エリザベスはフランツに従って連隊長執務室に向かった。執務室の席に着いて間もなく、連隊長の到着を聞き付けた各大隊の大隊長達が集まった。
フランツが最初に質したのは第一連隊の動向だった。
これにトゥールムーシュ中佐が答える。
「現時点で動きがあったとの報告は受けておりません。あちらへも同時に急使を飛ばしたとのことですが、第一連隊長の出仕はまだなのでしょう。レスコー宅を監視していた兵士達はレスコーがそこにいない事にも気付いていないのか、随分と落ち着き払っているようで」
「冗談がきついな。奴等は立ったまま寝れるのか?」
フランツが心の底からの嫌味を吐き捨てたが、気を取り直してドンフォンを見据えた。
「確か、レスコーの屋敷は第二大隊の管轄区にあったな」
「はい。左様に御座います」
「では、ドンフォン中尉。第一連隊が本格的に活動を始める前に現場の確保を。収集し得る限りの情報と証拠を集めろ」
「了解!」
「ティエリ中佐、ボナリー少佐は密輸事件の捜査に協力した情報提供者の保護に当たってくれ。この事件が密輸に絡んだものなら犯人は必ず彼等を狙う。第三、第四連隊にはこちらから協力要請をし、郊外の別邸や関連施設の捜査に当たってもらう。各自、抵抗はあるだろうが手加減はするな! 責任の全ては私が負う! 頼んだぞ!」
「はっ!」
フランツは矢継ぎ早に指示を出し、ドンフォン、ティエリ、ボナリーは直ちに行動に移った。
「私は如何致しましょう」
「トゥールムーシュ中佐には、連隊長代行として第二連隊の指揮を執ってもらう」
「連隊長殿は如何なされるので?」
「私はデュバリー師団長と共に王宮へ向かうつもりだ。軍務大臣閣下に面会を申し出る」
その瞬間、トゥールムーシュとロシェットは表情を硬化させた。
フランツは軍服の上着から鍵を取り出すと、一番下の引き出しから分厚い紙束を掴んで勢い良く机の天板に乗せた。
「今回のことは度を超えている。流石にお仕置きが必要だ」
翠の瞳が猛禽のように鋭く煌めいた。
トゥールムーシュは豊かな白髭の中の唇を不敵に形作った。
「フーシェ准将がいつでも出動可能なよう、部隊を整えておきましょう」
「そうしてくれ。行くぞ、ロシェット大尉」
「ははっ!」
紙束を手に立ち上がったフランツは、副官と共に足早に執務室を出て行った。
トゥールムーシュが傍らの副官に師団長直轄部隊への伝令を命じると、執務室に残ったのはエリザベスとトゥールムーシュの二人だけとなった。
壁際の時計は八時四十分にもなっていない。庁舎に到着してから十分も経っていなかった。
「あっという間で驚いたかね」
「あ、あの、はい」
トゥールムーシュは穏やかに微笑み、一連の展開の速さに戸惑うエリザベスの前で連隊長の椅子に腰を下ろした。
エリザベスは執務室の隅から、やや躊躇いがちに、トゥールムーシュに訊ねた。
「中佐。お仕置きって、フランツ様は一体何をなさろうというのですか?」
「おや、お嬢。お前さんは聡い。実はもう察しがついているのではないのかね?」
エリザベスが気遅れしたように綺麗な形の顎を胸元に引くと、連隊長代行は悪童の笑顔を見せた。
いよいよ、ベルニエに軍団長職を退いてもらう時が来たのだ。
* *
部隊を編成して向かったレスコーの屋敷では、案の定、第一連隊の隊員達との衝突が起こった。
可能な限り穏便に事態を収拾したかったが、ドンフォンの階級が中尉であり、年齢も遥かに下だと知った第一連隊側の現場責任者の態度は居丈高だった。
面倒臭いので無視して第一連隊の強制排除を命じると、激昂した責任者が掴み掛かってきた。
「七光りでのし上がっただけのボンクラの犬が! 私はファラルド家の血族だぞ!」
罵りの言葉を叫んだ瞬間に身体は宙を回転していた。
背中から地面に叩き付けられた現場責任者は息を詰まらせたが、咳き込む暇もなく軍服の襟首を捉えられ頸部を抑え込まれた。
「我が連隊の隊長を七光りと蔑みながら、御自分は家系を御自慢するとは矛盾も良いところだ。これでは今の状況も理解出来てはおられないでしょうから、私が改めて説明しますよ、少佐殿」
第一連隊の責任者が見上げるドンフォンの顔には、いつもの柔らかい笑顔は無く、軍人としての職務を真っ当に果たそうとしない相手への軽蔑があった。
「今朝、レスコーがプランシェの森で妻と共に遺体で発見されました。この屋敷で軟禁中のはずのレスコーが、何故、そんな所で見付かったのか実に不思議です。彼は武器の密輸事件における重要人物ですよ。この事件は国王陛下も重大視している案件です。彼にはまだまだ白状してもらわなければならない事が山のようにあったというのに、非常に残念な結果となりました」
ファラルド少佐は首を締めるドンフォンの腕を叩いた。
これ以上は窒息すると訴えていたのだが、ドンフォンは力を弛めようとはしなかった。
「この密輸事件は国家の大事と判断された事案です。それをこうも安易に取り扱い、尚且つ重要参考人を殺害されるとは、到底有り得ない事態だ。我々から捜査権を奪っておいてのこのザマを、一体どう言い繕うつもりか知りませんがね、場合によっては国王陛下並び国家への背信に値する行為です。それ程の事をしでかしたんですよ、あなた方は」
ファラルドの顔は赤から徐々に青く変わってゆく。それでもドンフォンは手を離さなかった。
「我々が要求する事は三つ。まずは直ちにこの場の制圧権を、無条件で我々に渡すこと。二つ目はここを監視している間に発生した事案を、レスコーの逃亡を許した経緯も含めて嘘偽り無く白状すること。三つ目は先の二つの要項を漏れなく果たしたのち、とっとと御自分の管轄区にお帰り下さい。御理解頂けましたか? ファラルド少佐」
「無駄だ。聞こえていないぞ」
ファラルドはすでに白目を剥いて失神していた。
ドンフォンは仕方なく襟から両手を離した。振り返った先には、第三連隊へ遺体の確認に赴いていたはずのローフォークが立っていた。
背後には第二大隊の二個分隊を従えている。
「早かったですね。直接こちらへ?」
「ああ。ちょうどトゥールムーシュ中佐がここへ送った増援とかち合った」
「遺体の状態は?」
「悪いな。直接の死因は両者共に刃物で滅多刺しにされたのが原因で間違いないが、発見されるまでに獣に喰われていて損傷が激しい。所持品も人の手によるものなのか獣なのか断定はできないが、辺りに散乱していて全てを回収できたか判断ができないとのことだ」
「全く、それもこれも全部彼等の職務怠慢の所為じゃないですか」
ドンフォンは呆れ顔で、失神したままの第一連隊の士官を睨む。ローフォークがおもむろに足を上げ無慈悲に腹部を踏み付けてやると、ファラルドは身体を折り曲げて意識を取り戻した。
激しく咳き込む相手に腰の拳銃を抜き、銃口を頭部に突き付けた。
「ベルニエ大将は罷免された」
たちまち青褪めるファラルドを、冷たい濃紺の瞳で見下し言葉を続けた。
「つい先程、軍務省本部から第二連隊に通達があった。後任にはデュバリー中将が指名された。事実上の更迭だな。そろそろ王宮庭園の軍本部にはフーシェ准将が到着する頃だ。じきにベルニエ大将は拘束される。拘束理由の説明は必要か?」
新軍団長の最初の指令は、密輸事件に絡む捜査権を第一連隊から第二連隊に差し戻すこと。そして、レスコーの釈放と逃亡を許した経緯を徹底して調査せよ、との二つだ。
冷徹な笑みを浮かべるローフォークに、ファラルドはわなわなと震え出した。
「ベルニエ大将は失脚した! 抵抗は無意味だ! 第一連隊は直ちに武器を捨てて投降せよ!」
ローフォークの声が屋敷一帯に響き渡ったのを機に、レスコー邸での混乱は収束したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます