第四話〜④
* *
レスコーの死の一報から始まった第二連隊による反旗は、太陽が天頂に差し掛かる頃に呆気なく終結した。
宮廷へ出仕した直後に行われた、デュバリー第一師団長とシュトルーヴェ第二連隊長両名との面会で、レスコーの逃走及び死亡の報告と、ベルニエ軍団長の不正の数々を調査結果と共に告発されたシュトルーヴェ軍務大臣は、潮時とばかりにベルニエの罷免とデュバリーの軍団長任命を同時に行い、前軍団長となったベルニエの拘束指令を出した。
フーシェの軍勢が軍本部を包囲した際、第一連隊は抵抗を試みた。
だが、常時、任務と訓練に明け暮れている第一師団の兵士達との熟練度には圧倒的な差があった。第一師団の素早い包囲陣の形成とそこからの攻勢に対して、指令が回りきらずに指揮が混乱した第一連隊は、フーシェが呆れるほど簡単に制圧できた。
前触れもなく起こった治安維持軍団長の交代は、国内の各師団に素早く通達された。
新たに軍団長に任命されたデュバリー中将は昇進に伴い大将となり、ベルニエと同時に更迭処分となった第一連隊の連隊長の後任には、デュバリーの副官だったフーシェ准将が少将に昇格したうえでその座に就いた。
一時的に空席となった第一師団長には、間も無く第三連隊のソレル大佐が任命されて准将となった。その他、第一師団内で諸々の人事異動があり、改めて担当することとなった密輸事件の再精査も相まって、四、五日ほど慌ただしい日が続いた。
ただ、第二連隊内での昇進や昇格は無く、てっきりフランツが第一師団長に昇進するとばかり思っていたエリザベスが残念そうにしていると、フランツもシュトルーヴェ伯も笑いながら言った。
「第一師団にはフランツよりも高い階級の士官はまだ大勢いる。彼等は実績も年齢もずっと上だ。彼等を差し置いて出世するには、フランツはまだまだ若造なのだよ」
「俺は中佐だけどね、同期の中ではこれでもかなり出世している方だ。本来、俺くらいの年齢なら大尉が普通なんだよ。第一師団の師団長になるには、せめて大佐になって、数年は実績を積まないと無理だ。今は横取りされた任務を取り戻せただけでも良しとしなければな」
確かに、不本意に奪われた捜査権が戻ったことで、第二連隊の隊員達が生き生きし出したのも事実だった。
密輸事件は第二大隊を中心に、第二連隊全体で調査を進めている。
事件から離れていた期間は半月にも満たないが、捜査の手が弛み相手に隙を与えたのは事実だ。
仲介人の一人に過ぎないレスコーが死亡した今、主犯に辿り着くのは容易ではなくなった。現在、レスコーの屋敷と会社を含め、関連施設を再調査し、フーシェ少将の力も借りて第一連隊の聴取資料を、エリザベスまで駆り出して徹底的に見直している最中だ。
また、八月は長期休暇が始まる。
各軍では八月前半から半ばにかけて入隊試験が行われることになっていて、休暇明けの九月朔日には新兵が入隊してくる。
さらに八月中旬には国軍競技会が控えており、ジェズを始め、出場予定の隊員達は併せて特別訓練を行うという忙殺状態だった。
そんなエリザベスの手も借りたい程の慌ただしいある日、第二連隊の資料室でドンフォンや他の隊の副官達と資料整理を行っていると、ノックに続いて遠慮がちにジェズが顔を覗かせた。
手招きでエリザベスを呼ぶので、ジェズの側に行く。
「どうしたの、ジェズ。今日は庁舎の警備担当の日でしょう?」
「うん。ちょっとアントニーに頼んで抜け出してきた。だから、すぐに戻らなきゃ。用件だけ言うね。フランツ様にも伝えて欲しいんだ。実はさっきシャテルとヴヌーが来たんだけど」
「……また、嫌がらせされたの?」
食堂で叱責を受けてからというもの、フランツ達の配慮でエリザベスは彼等との接触が無くなっていた。しかし、ジェズはそう言うわけにもいかない。ニコラ・シャテルは第二大隊に属していて、配属先も同じ第五駐屯所だ。
だが、ジェズは横に首を振った。
「それは大丈夫だよ。シャテルは元々僕にさほど興味はないもの。ヴヌーも同じだよ。二人ともエッセンに仕方なく付き合ってるって感じ。それで、二人が僕のところに来たのは、そのエッセンの事なんだ」
突然現れたシャテルとヴヌーの二人は、警戒心を見せるジェズに、まずは食堂での諍いの件で頭を下げてきた。続いて、エッセンがエリザベスとジェズの二人に対して、何かしらの行動を起こそうとしていると警告してきた。
「何をするつもりかは分からない。でも、分からないから余計に注意した方が良いって」
「そう……。分かったわ。気を付ける」
「必ずフランツ様に伝えて。じゃあ、僕は行くよ。一分でも遅れたら運河近くで売ってるブリオッシュを奢る約束しちゃったんだ」
エリザベスはクスクスと笑った。
「それじゃ、私はマドレーヌを御馳走するってアントニーに伝えて。わざわざありがとう、ジェズ」
急いで走り去りながらも、ジェズはエリザベスに向かって手を振った。
それに手を振り返して見送ってから、資料室のドンフォンに断りを入れて廊下を連隊長執務室へ。報せをくれたシャテルとヴヌーにも何か御礼をしなければ、と考えつつ、エリザベスは駆けて行った。
* *
前日から降っていた小雨は明け方に止み、朝日を浴びた湿った西の空は輝いていた。雨雲は山沿いまで遠去かり、空は明るく青い。
エリザベスは窓を開けて庭の空気を吸い込んだ。
雨上がりの空気は湿気と共に庭の花木の香りを含んでいて、肺と心を甘い香りでたっぷりと満たした。
足下から音がして、窓から身を乗り出して斜め下の部屋を覗き込んだ。
ジェズも目を覚ましたらしく、窓が開いて山吹色の頭が見えた。大きく伸びをするジェズに向かって声を掛けると、少し吃驚したあとでこちらに振り向き笑顔になる。
顔色がとても良い。
「おはようジェズ。昨夜は良く眠れたみたいね」
「おはよう。お陰様で。って言うか、みんな僕に気を使い過ぎだよ」
ジェズは朝から苦笑いを零した。
昨日はフランツを始め、シュトルーヴェ家の皆が甲斐甲斐しくジェズの世話を焼いた。
ジェズの好きな料理を夕食に出し、湯船には気持ちが落ち着く香油を垂らして肌は艶々になった。ぐっすり眠れるように寝具も替えてあり、これでは翌日に備えて気を休めるどころか、これで上位に食い込めなかったら、明日からの自分の扱いはどうなってしまうのだろうという不安が募ってしまった。
それでも新しい寝具は心地好く、香油の香りも相俟ってすぐに眠りに落ちてしまった単純さが悲しい。
「いつものジェズで良いのよ。フランツ様も仰っていたでしょう?」
「そのフランツ様がいつも通りじゃなかったんだよ、エリザベス。説得力があると思う?」
神妙な顔で返されて、つい笑ってしまった。
前回の事もあって気に掛けてくれるのは有り難いが、純粋に心配するアリシアと違って、フランツの場合は胡散臭い打算が見え隠れしている。
「ジェズに全力を尽くして欲しいのよ。きっと貴方はみんなを驚かせるって信じているんだわ」
「僕だって、僕の活躍が第二連隊の評判を上げるなら嬉しいけどね」
そう答えたジェズは少しばかり照れ臭そうにしていた。
その後、開会式前の練習の為に一足早く屋敷を出るジェズは着替えに室内へ戻り、エリザベスも最後に一つ深呼吸をしてから寝間着の裾を翻した。
今日は国軍競技会だ。
いよいよ国王陛下の御前でジェズの射撃を披露する事になる。
自分が出場するわけではないのに、不思議な緊張がエリザベスの胸を高鳴らせていた。
* *
朝食後すぐに、エリザベスは伯爵夫妻とアリシアに付いて、国王の居城となるレクレール宮殿に向かった。
宮殿に訪れるのはこれで二度目になる。
一度目はまだジェズがビウスにいた頃、家族で王都を旅行した際に観覧した国軍競技会だった。
思えば、その頃からジェズは軍人に対する憧れを口にする様になった気がする。
レクレール宮殿敷地は王宮庭園内にあっても広大で、黄金で装飾された大鷲の紋章を施した門扉の向こうには、式典にも使用される広場を中心に、左右に各省庁の庁舎や関連施設が建ち並んでいた。
すでに多くの観覧客が訪れていて、馬車や徒歩で広場を行き交っている様子は、まるで一つの街の中に入り込んだような感覚に陥る。
シュトルーヴェ家の馬車は庁舎区画を走り、広場を真っ直ぐ突き進んだ。広場の終点には一際大きい門扉が建っていて、その先には国王フィリップ十四世と王太子シャルルが住まうレクレール宮殿の本殿が聳え建っていた。
正面入り口で馬車から降りたところで、近付いてくる男の存在に気が付いた。
振り向いたエリザベスは思わず、あっと声を上げた。
男は、見慣れた鉄紺色の軍服ではなく、若い貴族の子弟に相応しい上質な私服に身を包んだドンフォンだ。
ドンフォンはシュトルーヴェ伯爵夫妻に丁重に挨拶をした後、エリザベスとアリシアに向き直って紳士然とした態度で告げた。
「シュトルーヴェ中佐からの依頼で、本日、お嬢様方の護衛を務める事となりました。ドンフォン侯爵家のジョルジュ・ドンフォンと申します。以後、お見知りおきを」
普段の姿から想像できない所作に、エリザベスとアリシアは顔を見合わせて微笑んだ。
「ドンフォン中尉、話はフランツから聞いている。わざわざ済まなかったな」
伯爵が手を差し出し、ドンフォンはその手をとって握手を交わした。
「いいえ。大臣閣下。今日の宮廷は誰が潜んでいるか分からない状態です。万が一の事を考えなければ。今日の事は兄にも話を通しています」
「確か、兄君は近衛連隊だったな」
「はい。本日の警備責任者をしております」
「頼もしい限りだ。二人共、私の大切な娘達だ。宜しく頼む」
「はっ」
ドンフォンの敬礼に対し、伯爵も敬礼を返した。
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