第四話〜②

「ビウスで私を助けてくれた少佐と、私の家族を奪った少佐とが一致しなくて、混乱する時があります。どうして私達をここに連れてくる必要があったのか。どうして私の家族が死ななければならなかったのか。どうして、誰も少佐を責めないのか。お願いです、アリシア様。あの人がグラッブベルグ公爵に従っている理由を教えて下さい!」


 ああ、お兄様。だからきちんと話しなさいと言ったのに。

 アリシアは深く長い息を吐いた。


 目の前にはスカートを握り締めて懇願する少女がいる。

 その顔は今にも泣き出しそうで、アリシアは紅茶のカップを戻してエリザベスの両手を握った。

「リリー、その通りよ。貴女の言う通り。カレル様は自分に厳しくて責任感が強くて、いい加減なことができない人だわ。カレル様は子供の頃からずっと、今でもずっと、真っ直ぐな人だった。リリー、カレル様はね、十一年前の王太子御夫妻の暗殺事件でお父様とお兄様を亡くされているの。そこをグラッブベルグ公につけ込まれてしまったのよ」

「それは……」

 一体、どういうことなのか。


 訊ねようと口を開きかけた時、シュトルーヴェ家の使用人に声を掛けられた。

 使用人はエリザベスに一通の手紙を差し出し、エリザベスは礼を言って受け取った。

 送り主はマシュー老人だ。消印の横に赤インクで速達判が捺されていて、予期せぬ不安が胸の内で湧き上がった。


 アリシアに促され手紙を読み始めてすぐ、エリザベスはその内容に青褪めて両手で顔を覆った。

 かつての使用人から届いた手紙は、ビウスの資産家タンサンの死を報せるものだった。



     *   *



 翌朝、職場に向かう馬車の中で考えていたのは、エリザベス一人では到底、答えの出せないことばかりだった。


 タンサン家の破産については、ビウスを出る以前から内情は火の車だという噂を聞いていて、なんの不思議もなかった。

 廓に入り浸りの息子と資産を超える出費を平気で繰り返す妻を養う為に、会社の経費にまで手を付けざるをえなくなっていたのだ。コール家に縁談が持ち込まれたのは、それらの穴埋めの為だった。


 すでに幾つもの縁談を断られ、エリザベスにも拒絶されて恐ろしい手段で乗っ取りを企てたものの、フランツの出現でそれにも失敗した。

 事件後、性懲りも無く商家に縁談を申込み続けていたが、タンサン家の内情は隠しようもなく、誰にも相手にされなかった。

 何より、コール家の悲劇の噂が会社の再建の足を引っ張っていた。

 噂はビウスの街から商人達を通じて取引先にも広がり、本業の商売さえも立ち行かなくなっていたのだ。


 かくして、破産を余儀なくされたタンサンは自宅を売りに出した翌日の朝、書斎の照明に結んだ帯で首を吊っているところを使用人に発見された。


 酷薄だと思いながらも、エリザベスはタンサンの死に同情することができなかった。

 タンサンの死は自らの業が招いた結果だ。その何処に情けをかける余地があるというのだろう。情けや同情なら、訳が分からないまま命を奪われた、エリザベスの家族にこそ向けられるべきだった。

 だが、死ぬ必要はなかったとも思った。


 生前、父ブラッシュはタンサン個人を根は善良な男だと言っていた。

 タンサンの不幸は、なまじ豊かな商才に恵まれていたばかりにタンサン家の婿に望まれ、グラッブベルグ公が接近してきたことだ、と。

 だから、エリザベスに縁談が持ち込まれた時、タンサン以上に善良な父は悩んだのだ。


 もう一度、一からやり直すこともできただろうに。ただ只管、憐れで愚かだと思うばかりだった。


 考えなければならないのは、タンサンのことばかりではなかった。昨日のアリシアの言葉が、ずっと隅に掛かっている。


 王太子夫妻の暗殺事件は、エリザベスも知っていた。

 十六年前、戦争で滅んだ王国を、カラマン、サウスゼン、シュテインゲン、そしてグルンステインの四ヵ国で分割併合した。五年後、その新領土への視察旅行の最中、宿泊していた旧王国の離宮で当時の王太子一家が襲われた。亡くなったのは王太子夫妻だけではなく、随従の女官と身辺警護の軍人が一人ずつ殺されていたはずだ。


 犯人は旧王国の若い貴族達だと言われていて、彼等は実行犯も、手助けした者も含めて皆捕えられ、処刑された。

 だが、事件はグルンステイン国内だけで収拾されるものではなかった。殺害された王太子エドゥアールの妃がカラマン帝国皇帝の最愛の妹だったからだ。


 元々、不穏分子の存在が指摘されていただけに、皇妹をいとも容易く殺害されたカラマン側の怒りは強烈で、フィリップ十四世は警護責任者を断罪し、当時五歳だった幼い王女を人質として差し出して、ようやく事態は収まったのだ。


 王宮庭園に屋敷がある以上、ローフォーク家が旧王国側の貴族だとは思えない。十一年より以前はそこで暮らしていたという事なのだから。

 結婚による統合ならともかく、戦争で敗北した側の貴族達が勝者に忠誠を誓っても、世代を重ねなければ王家の身近に侍る事は難しい。

 だとしたら、あとは……。


 エリザベスが考え事に耽っていると、ジェズが心配そうに声を掛けてきた。

「タンサンのことならエリザベスが気にかける事はないよ。あれは自業自得なんだから」

 エリザベスは微笑みを返して頷いた。

「分かってる。タンサン家のことは私にはどうしようもないわ。ただ、ちょっと考えていたの。どうして、こんな不幸の連鎖みたいなことが起こるのかしら。そもそも、この連鎖の始まりは何だったのかしらって」

 追求すれば、何処までも遡って行きそうだ。

 だけど、それを止めるチャンスはきっと何処かしらであったはずだ。それができなかったのは、そのチャンスに気付かなかったか、気付いていても、手を伸ばす事に躊躇いがあったかだ。


『耳に痛い話だな』

 エリザベスの言葉を聞いて、フランツは内心で苦笑いだった。


 確かにチャンスはあった。

 それが最初で最後のチャンスだったはずなのに、シュトルーヴェ家は救いを求めるその手を取らなかった。

 見て見ぬ振りをした。

 それが巡り巡ってビウスでの事件を引き起こしたと言われたら、フランツは否定できそうにない。


 そんなふうに考えていると、あっけらかんとした口調でジェズが言った。

「それはもう、しょうがないよ。だってチャンスだと分かってても手を出せなかったとしたら、それは手を差し出す側にとっては本当のチャンスではないんだから。本当のチャンスはきっとあるよ。皆が救われるチャンスがきっと何処かにある。だからさ、エリザベス。その為に今僕達が出来ることをしよう。ビウスの皆の為に出来ることを頑張ろうよ。ね?」

 あくまでもビウスのことだけを考えていたと思い込んでいるジェズは、そう言ってエリザベスの手を握りにっかりと笑った。


 あんなことがあったのに、誰一人辞めることなく会社で働いてくれているのも、ブラッシュが死んでしまって先が見えなくなったのに、取引を続けてくれるところがあるのも、ブラッシュとエレーヌの人柄のお陰だ。

 エリザベスが皆の幸福を望んでいるように、みんなも、一人娘のエリザベスの幸福を望んでいる。


「エリザベスが笑っていると、周りの人達も笑ってたよ。エリザベスの笑顔はみんなを元気にしてくれるから。僕もエリザベスの笑顔が好きだよ」

 言葉の最後は頬が赤らんでいた。

 無言でじっと見詰めていると、ジェズの顔の赤みが少し増した。それがちょっと面白くてクスクス笑うと、ジェズは少し眉間に皺を寄せた。

「笑わないでよ! 僕は真剣に言ったんだから!」


 笑顔が好きだと言っておきながら、笑わないでと不機嫌になったジェズが可笑しかった。

「ごめんなさい。ちゃんと分かってるわ。ありがとう、ジェズ。私もジェズの笑顔が好きよ」

 途端、そばかすの浮いた顔が高揚の限界を超えた色に達した。

 握っていたエリザベスの手を離して、茹で過ぎたタコのように縮こまり、狭い馬車の座席の隅に畏まってしまった。


「俺もいるんだけどなあ」

 向かいの座席で一部始終を目撃していたフランツは、今度は違う理由で苦笑いを溢したのだった。


 馬車が王都の中心に差し掛かった頃、最初に異変を感じたのはフランツだった。

 馬車の窓から眺める、すっかり見慣れた朝の街の中を一塊の兵隊が走り抜けた。

 背に小銃を負い、腰に剣を提げた兵士達は紛れもなく第二連隊の隊員達だ。彼等は街の混み合う通りを乱暴に突き進み、市民からの苦情に振り返りもしない。

「事件でもあったのかしら」

 エリザベスが首を傾げながら呟いた時だった。

 フランツを呼ぶ声と共に葦毛の馬体が現れ、窓からの景色を一瞬遮った。

 驚いて後部の窓に三人揃って顔を寄せると、数メートル後方の路上に二頭の馬首を回らせているドンフォンの姿があった。

 一頭は第二連隊の厩舎に預けているフランツの馬だ。


「ドンフォン、何があった?」

 フランツが問い質すと、ドンフォンは停止した馬車の横に馬を寄せて下馬した。ドンフォンの顔は緊張に強張っている。

「中佐、大変なことになりました。レスコーが遺体で発見されました!」


「はあっ⁉︎」

 あまりに突飛な出来事に声が裏返った。

「詳細は道々説明致します。とにかく庁舎へお急ぎ下さい」

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