第二話〜④

「この度の王太子妃探しに際し、父上はコルキスタの王女を強く推しました。それはともかくとして、王国宰相であるグラッブベルグ公に一言も無く、陛下の押印を得てカラマンに書簡を送ったこと、そしてそれをカラマンからの返答が来るまで公爵に黙っていたことは褒められた話ではありません。自分の娘を次期王妃にしたくてゴネていた公爵もどうかと思いますが、父上の行為こそが公爵を不快にさせたのです。公爵が機嫌を損ねると、いつも何をしていたのか知らないわけではないでしょう? 父上は自分がカレルに殺人を命じたも同然とは御思いになりませんか」

「言葉が過ぎますよ、フランツ」

「構わんよ、マルティーヌ」


 息子を窘めた妻を優しく制し、シュトルーヴェ伯はフランツに向き直った。

 伯爵の目元には親に暴言を吐いた息子に対しての怒りはなく、むしろ「さて、どう言い負かしてやろうか」と我が子との討論を楽しんでいる色が見えた。フランツも口元に微かな笑みを浮かべるが、こちらはただの虚勢だ。


「フランツ、陛下に王太子殿下の妃としてアン王女を推挙したのは私だ。そして、宰相殿に一言も無しに陛下の書簡をカラマンに送るよう内務大臣と外務大臣に勧めたのも私。だが、最終的にアン王女を王太子妃にと望んだのは陛下であり、カラマンへの書簡の件は公爵が多忙を理由に陛下の御指示を後回しにしていた故、困った両大臣から受けた相談に対して助言したに過ぎない。それはグラッブベルグ公に批判される筋合いのものではない」

「ですが父上」


「それに、グラッブベルグ公が機嫌を損ねたからと言って、それがカレルに関係があるのか? カレルが公爵に随従し領民に血を流させたことはカレル自身が選んだことだ。公爵の命令があったとしても、本来のカレルにはそれに従う義務はない断る権利はあった。それを行使しなかったのは本人の意思だ。まして、事はグラッブベルグ領内で起こっている。公爵が自領民をどのように扱おうが、私に直接関わりがあるわけではない。私の預かり知るところではない」

 エリザベスが家族を失ったのはグラッブベルグ公の傲慢さであり、ローフォークの責任だ。だから、彼女を保護することで公爵から逆恨みされるのは御免被る。自分は一切関係ない。父はそう断言した。

「カレルに……」


 カレルに自由などあるものかっ!


 父に向かって怒鳴りそうになった。

 成る程、確かに王国の行く末を憂える者として、グラッブベルグ公のこれ以上の専横を放置することはできなかっただろう。同時に数百年続くシュトルーヴェ伯爵家の当主として、一族を危険に晒すことも出来ないにきまっている。だが、それならエリザベスはどうなる? 父が行ったことは公爵家と王家の繋がりを永久的に阻害するものではない。最終的に公爵を失脚させなければ、王太子の御世には公爵は新国王から政治を完全に奪い取ってしまうだろう。適当に理由を付けて、新国王に父を罷免させることも可能だ。だが、今の父に公爵への徹底した対立意思はない。


 一方は王国屈指の古参貴族。もう一方は国王の信任厚い王家の姻戚。いずれも名門名家で通っているが故に、派手な対立は国王の両家に対する失望に繋がる。その争いが陰湿で醜いほど、歴史に長い名家であろうが王家の姻戚であろうが容赦無く取り潰される。確かに公爵が表立ってシュトルーヴェ家に何らかの報復措置を取るとは思えないが、相手に何もできないという苛立ちの矛先が、それこそ全く関わりのないコール家に向けられた。その実行役としてローフォークが駆り出された。

 それは確かに事実なのだ。


「……十一年前、我々は何が何でもカレルと母君を陛下の怒りから守るべきでした。あの時、我が家にはそれが可能だったはずです。ですが、我が家は保身に回った。当時のローフォーク家の当主との約束を守る努力さえしていれば、今の彼等の不幸は無かったのではありませんか? 今回、たった一人の少女を匿うというだけの事にどんな躊躇いがあるのです。公爵が我々に直接何も出来ない事は既に御存知でしょう? だからこそ、公爵の怒りを買うと分かっていながら取った行動なのでしょう? それだけの事をしておきながらその後の始末は無しですか。何人もの人が無実のまま命を奪われているというのに⁉︎」


 翠色の瞳で強く父を見据えた。

 同じ色をした父の瞳は常に落ち着き、どのような場面に措いても相手に心を覗かせることがない。時々、この親父は自分を馬鹿にしているのではないかと、酷く腹が立つことさえあった。今でもそうだ。父は相変わらず穏やかな目で息子を見ている。十一年前の事件は父にとっても心の傷となっている。それを強く非難されたにも関わらずこの顔なのだから、この人には公爵と違う意味で人の心が無いのではないかと疑いたくなる。

 長椅子で父の隣に座る母はただ狼狽えていた。


「成る程、そう来たか。それがお前の意見なのだな?」

「はい」

「ふむ。では、どう返そうか」

 まだ続ける気か。


 この時点で、フランツは自分の心が折れたと感じた。エリザベスの不幸を訴えても、ローフォーク家への償いを持ち出しても無理ならば、これ以上、父を説得する素材を見付けられない。


「お父様! 私、リリーが気に入ったわ! あの子は今日から私の妹よ。これ、決定ですからね。お父様が何と言おうと、あの子達はここで暮らすのよ!」


 突然、書室の扉を開いてアリシアが顔を出した。アリシアは意表を突かれて目を丸める兄と両親を見回し、「夕食の支度が整ったわよ」と言って、ニッコリと笑いながら姿を消した。


 扉が閉じられると同時に、シュトルーヴェ伯が吹き出した。

 マルティーヌはフランツと顔を見合わせて肩を竦めて立ち上がった。フランツは部屋を出て行く母の背中を見送ったあと、まだ笑い続ける父を見て苦虫を噛み潰したような顔になった。


 アリシアは、フランツがどれほど知恵を絞って父を説得していたか、分かっているのだろうか。エリザベスをこの屋敷におき、ローフォークを守るために、言いたくないことまで口にしたのだ。それをほんの僅かに顔を出して一言発しただけでこの通りだ。

「なんだよ、あいつ」

 金髪の中に手を突っ込んで頭をぼりぼり掻いた。


「では、良いんですね? エリザベスとシェースラー、二人をシュトルーヴェ家で保護することに異論はないのですね?」

 ぶっきらぼうに問うと、父は両目に涙を滲ませたまま頷いた。

「ああ、もうどうしようもないだろう。今更、向こうに帰れとも言えないし、ああ言ったアリシアがエリザベスを簡単に手離すと思うか?」

「思えませんね」

「では、決まりだ。シュトルーヴェ家はエリザベス・コールとジェズ・シェースラーの後見人となろう。いっそ大々的に王宮でデビューさせて、グラッブベルグ公に嫌がらせしようかな」

「知らん顔をしてね。父上、父上のそういうところが野心的な有力貴族に嫌われるんですよ。王宮で権力を掌握したいわけでもないのに、今回のようにちょこっと手出しして相手の妨害をしておきながら、あとは知らんぷり。陰で『公は狸で伯は狐』と呼ばれていることを御存知ですか? シュトルーヴェ伯は何を考えているのか分からないと、胡散臭がられているのですよ」

「狸と狐か。言い得て妙だな。だが、グラッブベルグ公はむしろ達磨じゃないかな」

 父の言葉を聞いてフランツは長々と空気の塊を吐き出した。


「で、どう思うね」

「何がです?」

「エリザベス・コールを王宮にデビューさせようかなという話」

「本気で言っていたのですか⁉︎」

 そんなことをすれば、グラッブベルグ公はシュトルーヴェ家をますます目の仇にする。エリザベスの宮廷デビューはシュトルーヴェ家の公爵に対する宣戦布告とも捉えられかねない。父はそれを避けたいのではなかったのか。


 フランツが驚いていると、シュトルーヴェ伯は目を細めて笑った。

「はっきりとあの子が我が家の後ろ盾を得ていると分かれば、かえって迂闊に手出し出来んからな。己の罪を見せ付けられるようで辛いかもしれんが、彼女が無事ならばそれはそれでカレルも安心するだろう。そもそも、お前はそのために彼女を連れてきたのだろう?」

「まあ、そうなんですけどね」

 フランツは呆れたような不満があるような、なんとも言えない表情をしていた。


 周囲の者が、伯爵は何を考えているのかさっぱり分からないと、眉間に皺を寄せる気持ちがよく分かる。かれこれ二十四年ほどルイ・シュトルーヴェの息子をやっているが、未だに父の思考回路を把握しきれないでいる。


 エリザベスを公爵から守りながら、カレルをちょっとは安心させる方法ね。

 父に付いて食堂に向かいながら考えた。


 グラッブベルグ公の股間を蹴り飛ばした話といい、先刻の走っている馬車から飛び降りて怪我一つせず平然としていることといい、エリザベスという子は思い立ったら即座に行動に移す癖があるようだ。もしかしたら、アリシアを凌ぐお転婆かもしれない。この二週間、大人しく従っていたのは両親が殺されたショックから抜け出せていないからなのだろう。いずれ、悲しみから抜け出した彼女の心が復讐心に燃え上がった時、カレルやグラッブベルグ公への報復を考えることも有り得る。


 仮に宮廷デビューを果たしたとして、彼女は器量も良いし、シュトルーヴェ家の後ろ盾を得ているとなれば、結婚の申し込みが無数に舞い込むのは容易に想像ができる。エリザベスの性格であれば、それらを悉く断ってしまうのだろうが、社交界に出す以上はいつまでもそれを通すわけにはいかないし、好いた相手が現れて結婚の話になった時、国内の人間であればその男が公爵に屈しないという保証はない。その時、シュトルーヴェ家の完全な庇護から零れた場所にいる彼女は、きっと公爵の手に落ちてしまうだろう。それでは意味が無い。


 エリザベスを公爵から守り、カレルを安堵させ、尚且つエリザベスの復讐心を巧みに制御する方法……。

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