第二話〜③
ジェズが上を向いてあんぐりと口を開けている横で、エリザベスは青褪めた顔で邸の奥へ二人を招き入れるフランツの背中を眺めていた。その事に気付いたジェズが心配になって声を掛けようとした時だった。
「あら、お帰りなさいお兄様。てっきり恐れをなしてそのまま国外逃亡でもするかと思っていたわ」
頭の上から声が降ってきて、ジェズ達はその方向に視線を向けた。
邸に入って真正面の奥に階段があった。
その階段の最上段に豪奢な金髪の娘がいて、面白い玩具でも見付けたかのように翠色の瞳を輝かせてこちらを見下ろしていた。
「アリシア」
帰宅早々の嫌味に、フランツは心底嫌ぁな顔をして妹を睨んだ。
「何なんだ、その物言いは。随分と意味ありげだな」
「大アリよ!」
アリシアと呼ばれた娘は得意気に胸を張って言い返す。
「御自分の胸に手を当てて思い出して御覧なさい。この二週間もの間、新兵を一人連れ出して一体どちらに行かれていたの? 上司にも副官にも何の連絡も報告もせず、全く許可を得ないまま大事な会議を放ったらかして行方を晦ませていたのは誰なのかしら。お父様もお母様もカンカンよ。副官のロシェット大尉は怒髪天だそうよ」
フランツは非常に気不味そうな表情をした。
それを見てアリシアは満足そうに笑って、階段を軽やかな足取りで駆け下りた。
「冗談よ。お父様もお母様も何となく事情は察してるみたい。お兄様、カレル様を止めようとしたのでしょう?」
「お前なあ」
「でもね、お兄様。お父様もお母様も連絡がない事には憤ってらしたし、ロシェット大尉が髪を逆立てて怒っているのは本当ですからね」
揶揄われたことに気付いたフランツが文句を言おうと口を開いたが、目の前までやってきたアリシアは先手を打って補足した。再び渋い顔となった兄を見てにやりと笑った彼女は、エリザベスとジェズに興味津々の目を向けた。
「で、この子達はどうしたの? こっちの男の子は軍服を着ているからお兄様に拉致された新兵君なのでしょうけど、こっちの女の子はどう言うわけで? まさか、お兄様の新しい恋人?」
「まさかっ」
フランツは驚愕して声を張った。ジェズは顔面を真っ赤にして首を振り、エリザベスも慌てて否定した。
「紹介するよ二人とも。妹のアレクシアだ。アリシア、エリザベス・コールとジェズ・シェースラーだ」
「あら、エリザベス? それならリリーね。初めましてリリー、それにジェズね? 初めまして。アレクシア・マリー・シュトルーヴェよ。アリシアと呼んでちょうだい」
「はい、アリシア様。私はエリザベス・コールと申します。どうぞ宜しくお願いし致します」
「ぼ、僕はジェズ・シェースラーと申します。シュトルーヴェ中佐にはいつも良くしてもらっています!」
二人は緊張を窺わせながらも整った所作で挨拶をした。
「二人とも今日からここで暮らすことになるから、色々と面倒を見てやってくれ。アリシアは君達と年齢が近い。きっと俺よりも話が合うはずだから、困ったことがあれば何でもアリシアに相談すると良い。人をおちょくって笑う嫌なところはあるが、基本的には世話好きで俺より頼りになる。アリシア、頼んだぞ。それじゃ」
「もう少し妹を褒められないものかしら。お兄様はどちらへ行かれるの?」
「どちらって、決まってるだろ」
アリシアの問いに、フランツはシャツの襟を正して表情を引き締めた。
「分は大いにこちらが不利だが、避けて通ることはまずできない。ならばあれこれ言い訳を考えている間に呼び出されるより、自ら乗り込んで父上と母上のお叱りを受けた方が事は早く済む」
「あら、そう。御武運を、お兄様」
「うん、ありがとう」
気合いを入れて邸の奥へと歩き去る兄を、アリシアはハンカチを振って見送った。フランツの姿が見えなくなり、アリシアは「さて」と、腰に手をあててエリザベス達へと振り返った。
「それじゃあ、貴女達の部屋を決めましょうか」
二人に向かい、快活な笑顔で言った。
* *
「そうか、カレルはまた人を殺めたか」
肺の深部から出た溜息は鎮痛の感情を含んでいた。
「申し訳ありません、父上。もっと早く気付くことができれば」
フランツが唇噛んで悔いると、シュトルーヴェ伯爵家の当主であるルイ・フランシス・シュトルーヴェは横に首を振った。
「グラッブベルグ公から引き離さぬ限り、それは無理だ。むしろ、それだけの情報でよく気が付いた」
「公がカレルにさせる『仕事』は、大抵が殺人です。カレルを軍人として有能と見ているのでしょうが、数年前からは特に精神的に追い詰めるような、陰惨な役目を強いることが多くなりましたから」
「王太子殿下の御婚約の件で私に出し抜かれたと思っているからな。シャルル殿下の義父となる機会も、未来のグルンステイン国王の祖父となる機会も奪われたのだ。弱い者苛めでもしないと腹の虫が治らんのだろう」
「ですが、あなた。それがカレルに人の命を奪わせる正当な理由にはなりませんわ」
それまで、黙って夫と息子の話を聞いていた母マルティーヌが言葉を発した。
「カレルがあの方に一体何をしたと言うのですか。あの子はローフォーク家の誇りを取り戻し、ただ一人残された母を守ろうと必死なだけです。それを逆手に取って騙し、あの卑怯者はカレルを巧みに悪道へと引き摺り込みました。いくら父親と対立していたと言っても、その憎しみを息子に向けるのは間違っています!」
伯爵は憤りに涙を滲ませた妻の肩を抱いた。妻の睫毛を濡らす涙を拭ってやると、マルティーヌは微笑みを返してフランツに訊ねた。
「それで、そのエリザベスという子はどうしているの?」
「連れてきました。今、アリシアに相手をしてもらっています。彼女はタンサンという地元の商人に引き取られるところでしたが、タンサンはグラッブベルグ公との繋がりが濃厚でしたので、いずれまた手が伸びることは必至です。どうやら公は事のついでに彼女を手籠にしようと考えていたようで……」
その言葉にマルティーヌは不快感を露わにした。
「実は、そのエリザベスのことでお二人に許可して頂きたいことがありまして」
「彼女をシュトルーヴェ家で保護したいと言うのだな」
フランツは頷いた。
「エリザベスと、彼女と兄妹同然のシェースラーという少年も含め、我々が後見人として二人を保護すべきだと考えています。実は、その、母上の前では非常に言い難いことなのですが」
フランツが奇妙な顔付きになった。
深刻な話をしているはずなのだが、どうにも笑い出したいのを懸命に堪えているように見えて、伯爵夫妻は顔を見合わせた。
「あー、エリザベスが言うには、手籠にされる寸前に逃げ出したらしいのですが、逃げ出す際に、公の、そのぉ、男の急所を力一杯蹴り飛ばしたと言うのです」
「あら、まあ」
「アリシアが面白がって言いふらしそうな話だな」
両親は息子同様に奇妙な顔付きになった。
「当然、グラッブベルグ公は激しい怒りに満ちているでしょうから、彼女をビウスに放置するわけには行かなかったのです。コール家の会社の者が彼女を守ろうとしても所詮は訓練をしていない一般人です。公爵が本気になれば公的にも非公的にも会社そのものを潰すことも簡単でしょう。それに、コール家の令嬢が強盗に陵辱されたという噂が街中に広まっていて、エリザベスには今のビウスは苦痛の場所でしかありません」
「ふむ」
「公表する必要はありません。ただ、事態が落ち着くまでエリザベスをこの邸に匿い、守る必要があります。そして、時期を見て公爵の手の届かない外国にでも、何処か良い家を選んで嫁がせてやれば……」
「カレルはきっと安心するな」
父の言葉にフランツは目を丸めた。
伯爵はやれやれと息子を見る。
「お前はカレルのこととなると必死だな。エリザベスを守ることで、少しでもカレルの罪を軽くしたいのだろう。だが、そんな事をしても何の免罪符にもならんぞ。カレルが彼女の家族を奪ったことに変わりはない。それに彼女を我が家で匿っている事を公爵が知ったら、ますますシュトルーヴェ家は睨まれる」
「分かっています。ですが、あのまま放置して公爵の手に渡すよりはマシです。あと、エリザベスがシュトルーヴェ家に引き取られた事は、恐らくとっくに公爵の耳に入っていると思いますよ」
「マシかどうかはお前の気休めの考えだ。カレルがそう受け止める義理はないし、エリザベスがお前の考えを知ったらどう思うか」
フランツがエリザベスを守ろうとしている理由が、エリザベスの家族を奪った賊を守るためだと知ったら、彼女はきっと自分を恨むだろう。
父の言葉は厳しい。だが、引くつもりはなかった。
先程のローフォーク家前でのやり取りで、彼女はこちらの思惑に何かしら勘付いているとフランツは確信していた。
「お言葉ですが、今回、カレルが殺人を犯した責任の一端は父上にあると私は考えています」
「ほう。それはどういう理屈だ」
息子の反逆に父親は受けて立つ姿勢を見せた。
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