第一話〜②

     *   *



 グラッブベルグ公爵は、宰相府に戻るなり手近にあった花瓶を床に叩き付け怒鳴った。


「おのれ、シュトルーヴェの出しゃばりめが! 国王陛下にとんだ妄言を吹き込みおった! コルキスタの王女だと? 異民族の小娘が我が国にどんな利益をもたらすと言うのだ! 下手をすればコルキスタに乗っ取られかねない大博打ではないか。グルンステインの王妃には王家の血を引く我が娘こそが相応しいのだ! 軍人であれば軍人の仕事をすれば良い。政治にまで口を挟むなど越権行為も甚だしい!」


 公爵の怒りは軍務大臣のシュトルーヴェ伯爵に向けられていた。最近の嫁探し狂騒に終止符の一手を打った貴族である。

 シュトルーヴェ伯爵は軍務の最高位に就き、自らも年頃の娘を直に国王へ紹介出来る立場にありながら、宮廷の乱痴気騒ぎに一線を画していた。

 一人娘を手離したくないほど溺愛しているかと言えばそうでもなく、幾度か夜会で見掛けた記憶を辿る限り、まあ、致し方ないのだろうとも思う。

 それなりの美貌の娘は闊達で友人も多そうだが、口が軽く、時折、馬鹿なのでは? と思う発言をした。つまり、自分の娘が王太子妃に、ひいては未来の国母に相応しい気質を有していないと判断しているのだろう。ならば、そのまま大人しくしておれば良かったものを、よりによって敵国の王女を推挙するとは。


 グルンステイン王国において、グラッブベルグ公爵家は歴史の浅い家だ。カラマン帝国が『同民族統一』の旗を挙げるよりも前から王家に仕えていたシュトルーヴェ家とは成り立ちも違う。今現在、グラッブベルグ家が公爵に封じられ宰相職に就いているのは全て自分一人の代で成し遂げたものだ。公爵は己の能力に自信があった。実際にこの国は己の采配で動いている。十一年前の国家の危機も己の知恵で回避したのだ。その功績があって国王の娘を妻にする事ができ、王家の姻戚に相応しい地位である公爵位を賜り、更なる貢献の果てに宰相に任じられた。


 足りていないのは血統だ。


 グルンステインという国家に、深く深くその血を染み込ませ、根付かせ、確固たる地位を築きたかった。その為に愛してもいない妻との間に子をもうけた。その子供達はグラッブベルグ公爵の子供達であると同時にフィリップ十四世の孫であり、シャルル王太子の従弟妹にもあたる。


 現国王が逝去し、シャルルが即位した暁には直ちに自分の娘との婚約を整えるつもりでいたというのに、あろうことか国王はシュトルーヴェ伯爵の提案に乗り気だった。


 当然、異民族の王女を王室に迎える不利益を訴えた。

 しかし、王女と共にやってくる異国の文化や習慣にグルンステインの宮廷が侵蝕される不安よりも、この結婚を期に結ばれる事になるだろう二国間の不可侵条約が優先されてしまったのだ。その不可侵条約はグルンステイン王国に留めず、『聖コルヴィヌス大帝国』の枠組みにまで効力を持たせる内容にしてはどうかとの案まで出ている。

 そうすれば、成る程。シュトルーヴェ伯爵は軍事面での懸念を長期的に解消する為にアン王女との縁談を提案したのだろうが、必ずしもそれだけではない事も公爵は察していた。この十数年の間にグラッブベルグ公爵は己の息の掛かった人物を各所に送り込み、支配の領域を広げつつあった。それはシュトルーヴェ伯爵が管轄する軍務省にも及んでいる。それ故の牽制なのだ。


 国王はグラッブベルグ公爵に、コルキスタとの和平同盟を兼ねた結婚の申し込みの許可をカラマンに申請するよう命じた。

 『聖コルヴィヌス大帝国』では王家同士の婚姻には大皇帝の許しが必要になり、国家の利益云々によっては却下される場合がある。異民族との婚姻故に、そう簡単に許可は下りないだろうが、和平同盟込みとなれば話は違う。


 主君が決めた事なので一旦は引き下がりはしたものの、公爵は悪足掻きをした。多忙を理由にカラマンへの申請を後回しにし、その間にうやむやにできないか知恵を絞るつもりでいた。


 しかし、それもまたシュトルーヴェ伯爵によって阻止されてしまった。

 こちらが一向に動く気配がないと悟るや否や、伯爵は内務大臣と外務大臣と共に国王の署名を得てさっさと申請書をカラマンに送ってしまったのだ。この事を知った時には、その返答が外務大臣を通して国王の手に渡った後だった。


 怒りが頂点に達し、直ちに三人の更迭を言い渡そうとした公爵を国王が制した。

「余が病がちであるが故に多忙を極めるそなたの手を、これ以上煩わせたくなかったのだ。グラッブベルグ公爵よ、この調子で働き続けていてはそなたまで身体を壊しかねない。この国にとって有益な人材を失うわけにはいかぬのだ。そなたには宰相として、そして伯父の立場からも、まだまだシャルルを支えてもらいたい。もっと他者を頼りなさい」

 さすがの公爵も反論できなかった。


 国王が手にするカラマンからの親書には、今回の交渉を許可する旨の文言が認められている。カラマン側としてもこの婚姻が大きな利益をもたらす事を期待しているのだ。

 もはや、無かったことに、とはいかない状況になった。それどころか、交渉決裂など以ての外だ。必ず成功させなければならない。

 それはつまり、グラッブベルグ公爵の野望の達成を阻害されたという事だ。


 自らが専横政治紛いのことをやっておきながら、心の中でひたすらシュトルーヴェ伯爵への暴言と罵倒を繰り返した。これまで命じられるままに動いていただけの内務、外務の両大臣がシュトルーヴェ伯爵に賛同を示し、隠れて手を組んでいたことも腹立たしかった。


 己がどれほどの努力と苦労を重ねて今の地位に立っているか、どのように財を築き上げてきたのか、生まれついてのグルンステイン貴族には到底分かるはずもない。


 アン王女の評判はグラッブベルグ公爵自身も噂程度には知っている。年頃の娘らしくファッションや流行に関心はあるものの、決して華美は好まず、語学に優れ、物事の道理に明るい英明な王女であるという。これが本当であるならば大人しく控えめな性格の王太子と上手くやって行けるであろうが、それでは困るのだ。もしも、万が一にも、アン王女に夢中になり、王女に政治への口出しを許すようなことになっては、国を己の思うがままに動かせなくなってしまう。ただでさえシュトルーヴェのような邪魔者がいるというのに!


「この国は儂が動かすのだ。儂が動かしてきたのだ。あの時、グルンステインを救ったのは儂の英知と才覚があったからだ。それなのに……。おのれ、おのれ、おのれ! シュトルーヴェめっ!」

 机の上の書類を払い除け、椅子を蹴り倒して叫んだ。


 騒ぎを聞いて隣室から駆け付けた補佐官は、宰相執務室の扉を開けた瞬間にインク瓶が直撃してひっくり返った。壁際の壺が目に入り、乱暴に掴んで持ち上げる。力いっぱい床に叩きつけてやろうと振り上げた時、視界に一通の封書が映り込んだ。

 すでに開封された封書ではあったが、公爵にはその手紙を読んだという記憶が無かった。


 一度は振り上げた壺を下ろし、足元に雑に放った。壺はゴツンと鈍い音を出して床に立ったあと、底から真っ二つに割れて倒れた。

 手紙の差出人はリヒャルト・タンサン。

 グラッブベルグ家の領地で貿易商を営む商人の名だった。

 そうだ。確か、この男は息子に同業者の娘を嫁にとってやりたいが、相手がどうあっても了承せずに困っているので、力を貸して欲しいとかなんとか要求してきたのだ。

 たかが商人の嫁取りに、何故、王国宰相たる自分が手を貸さなければならないのか、馬鹿馬鹿しい、と思って文箱に放り込んだまま忘れていた。


 改めて手紙を読んだ公爵は、顎に手をあてて考え込んだ。

 カラマンから許可が出た以上は、時間を引き延ばすための誤魔化しなどしている場合ではない。すぐにでもコルキスタに使者を送り、交渉に入らねばならない。その前に結納の品やアン王女が王太子妃となったのちにグルンステインで得られる権利等、諸々をまとめておかなければならないが、焦って進めても良い話でもない。


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