第35話 ケライノーはかく語りき②
9月
会っている所を同級生に見られたみたいで、いつの間にか学校に噂が立っていた。詐欺の片棒の噂よりはいいと思ってしまった。
ある水曜日、職員室で浅井先生から視聴覚室の鍵を渡された。授業の後、部活動で使う渡邉先生に鍵を引き継ぎ忘れたと言う。栞も同じ天文部だったので、渡してくれと頼まれた。先生と準備係が先に行っていると聞いて、栞も視聴覚室へ鍵を届けに先行した。
視聴覚室へ行くと、渡邉と宮原が性交っていた。
学校内でなんてことをしているのだろうと驚いた、軽蔑した。憐れに思った。
聖職である教師になった癖に、私立女子校の中学生の癖に、性欲に溺れた獣に成り下がるとは。
栞に気づいて驚いた二人の顔は愚かな獣そのままに酷いものだった。宮原は直ぐに逃げ出して行った。あろうことか渡邉は口止めとともに栞に迫って来た。
誘惑の拙さをあの男と比較して、優越感を感じてしまった。薄々感じていた通り、あの男は他の男と比べて優れていることが多い。
渡邉を侮蔑いっぱいに拒絶して、鍵を押し付けて帰ろうとしたら、部活動の生徒達が来てしまった。
その後、案の定誤解の噂が立った。あの男との噂はそう気にならなかったのに、渡邉との噂は不快だった。
あの時に過ちに気づくべきだった。
渡邉と宮原を見た時に感じた不快感は、間違いなく自分に抱いたものだった。男と性交することに抵抗を感じず、身体を委ねている自分自身への嫌悪と憐れみ。男と渡邉を比較して優越に浸ったのは逃避。
もう一人の金井栞が叩き鳴らした警鐘を、黙殺してしまった。ずっと自ら殺していた。
向き合うべきだったのだ。
どんなに難しく、厳しい問題であっても、判断に必要な時間はとうに十分過ぎるほど過ぎていた。
シルバーウィークに初めて、宿泊や連日の逢瀬を求められた。ほとんど部屋に籠りきりで愛された。なんだかいつもよりしつこく激しく感じたが、優しいのは変わらなくて、成人したからなのかと気に留めなかった。
栞は完全に、堕ちていた。男の術中に。
端から勝負になどなりはしなかったのだ。
社会にも出たことのない14歳の栞と、もう20年近く社会の闇や毒を生き抜いてきた犯罪も厭わない男とでは。
10月
呼び出された場所にいた男に、何が起こったのか分からず混乱した。いや、分かっていたから、受け入れたくなかったのかもしれない。
黒く清潔感のある髪はクリーム色に脱色され、緑色のハイライトが入っていた。ピアスや指輪が品なく輝いていて、派手で下品な服を格好良く着こなす男が、いつもの顔で手を振った。
栞ちゃん、オレ達、次のステージに進もうと思う、と男は微笑んだ。
スマートフォンで映像を見せられた。あのマンションの室内が背景に映っていた。男の顔は見えないように編集されていたが、女の顔はくっきり映っていた。一部加工もされているそれはアダルト動画と呼ばれるものだと悟った。シルバーウィークのあの時撮られていたと気づいた。
「こんな可愛い女子中学生がエッチってスゴい人気でさ、良く売れてるんだよね」
男はマニア向けの裏サイトで既に売っていると驚愕なことを言った。
「中学生ってばれないと思った? んな訳ないじゃん、会った時から、オレ運命感じちゃったよ~。予想通り、バンバン金入ってきてさ。栞ちゃんももっと欲しいもの言っていいよ。遠慮してるのか全然おねだりしないじゃん?」
ニヤニヤ笑いがおぞましかった。この綺麗な顔と何度口づけしたか、口づけされたかを思うと気を失いそうだった。
「栞ちゃんスゴい人気なんでさ、こんな垢作ってみたんだよね。」
「エロかわ女子中学生♥️」と名付けられたSNSに、顔に黒い線で目を隠した栞の裸体写真が付けられていた。プロフィールには性的な煽り文句が書かれていて、フォロワーもメッセージもかなりの数ついている。
「みんなね、栞ちゃんとヤりたいって金積んでくれるんだよね。6桁も簡単だから、始めてみようぜ?客はちゃんとこっちで選ぶし、変なのとトラブらないようには守ってあげるから」
平然と笑顔を向ける男の神経が理解できなかった。
全部始めから嘘だったのか。このためだったのか。
「……いや。しない。別れる……」
「……栞ちゃん、そんなこと通用すると思ってる? オレにそんなこと言っていいの?」
「詐欺に加担した写真はもうないでしょっ」
「栞ちゃんバカだなー。そういうとこ可愛くて守ってあげたくなっちゃうけど。あんな写真よりこっちの方がヤバいの、分かるでしょ? こんなん
愕然として見つめる栞を、男は冷たい目でにやりと
これがこの男の本当の姿だ。悪魔のような残酷な冷笑がこの上なく美しかった。
もはや魅惑など感じず、底知れない恐怖でしかなかったけれど。
「素性、ばらしちゃおうかなぁ。住所とか電話番号とか、さすがにそれは危険だよねぇ、襲ってくるやついそうだし。オレ、栞ちゃんを危険にするつもりはないんだよねー、愛しちゃってるから。客にはその辺、ちゃんとさせるし、別に売りをやったところで今みたいに表面上はお嬢様ライフやってけるんじゃないかな? ね、迷う話じゃないと思うんだよねぇ、これからも仲良くやっていきたい訳よ、だって……栞ちゃん、もうオレのいいなりなオモチャだろ?」
悪魔の愉快そうな笑いは、永遠に響いていた。
ゆっくり考えていいよ、とその日は帰された。
素性をどこまで知っているか聞いた時の口振りでは、父親が詐欺のボスだと男は知らなそうだった。
直接繋がっていない男は使い捨ての
父親に話したらこの男を何とかしてくれるだろうか、詐欺で捕まれば栞は解放されるんじゃないか。いや、父親はこの男と無関係でいなきゃいけないから、相談しても何も出来ないだろう。
私はもう終わりだ、この男のいうなりで、いつかは家族も道連れに、破滅へと進むんだ、と栞は絶望した。
家族を道連れならまだいい、見棄てられるかもしれない。
父親が詐欺に関わっていると分かってから、夕食の時に然り気無く話を振ってみたことがある。
巷で起こる特殊詐欺の話を他人事のようにする父親に、母親が知人に被害者が増えた、と伝えた。
被害にあった知人は皆、父親の会社で投資をしている人だと言った。栞が会った「ヒロユキ」の母も、栞の母親の知人だった。父親は、自分の会社の顧客名簿を詐欺グループに流しているのだ。その中には、母親から紹介された知人がいるのに。
どうしたらいいか分からなかった。
栞一人の手には余った問題だった。
答えが出せない間、男からの呼び出しは無視し続けた。
本当に「ゆっくり」考えさせてくれる気なのか、意外にも先延ばしすることが出来ていた。
でも、いくら時間を貰っても、話せる人なんていないのだ。
見回してみてもみんな浅い、信頼しきれない、寂しい人間関係。
目に入ったのは浅ましい欲望の関係ばかりだった。
あれから栞を避け、目を合わせようとしない渡邉は複数の三年生と噂がある。さぞや欲望溢れた姿を生徒たちに向けているんだろうと思ったら、意外なことに、渡邉から向けられる生徒への関心は低かった。
ただ、一人にだけ、ねっとりとした欲望を向けて注視していることに気がづいた。
二年生の一条美月だった。
10月31日金曜日
渡邉は分かりやすい男だった。何やら事を起こす気だと察して、遠くから伺っていると、一条美月を人気のないベランダに連れ込んだ。無性に腹が立って邪魔をしてやった。一条美月は涙を流して感謝してきた。
一条の初々しさと清らかさに救われた気がした。
同時に、私はこうなれなかった……と悟った。
栞には一条とは違う、自ら失ったものがあった。だから、今の状況に至ったのだ、と諦めのような気持ちが生まれた。
すべてを受け入れるしかないのだろう。
なるように流されればいい……そう思った。
その帰り、栞はまた一条美月と遭遇した。
諦めたからなのか、美月の人柄のせいなのか、美月には少し自分のことを話していた。
なんだか心地よかった。
「私たち、友達になれないかな?電話番号交換しない?」
栞にしては珍しい言葉を口にした。
そんな自分に気づいて、何かが変えられるかもしれない、と思った。
別れ際には、今度週末に会えない?また連絡するね、と口をついていた。
一刻も早く、美月と会って、美月のことを知りたかった。
美月のことを信頼できれば、美月が信頼を寄せるお兄さんのことも信頼できるかもしれない。
真っ暗な闇の中に光が見えた気がした。
その夜、悪魔から栞に音声着信が入った。鳴り止まない着信に、仕方なく通話ボタンを押した。
「1ヶ月も無視し続けるってどーゆーことよー、ゆっくり考えていいとは言ったけど、会ってくれないとは思わなかったよ、オレ。気持ち決まった? とりあえず、三連休栞ちゃんに楽しい企画考えてるから、マンション来いよ。学校や家に迎えにいってもいいんだぜ~。
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