第34話 ケライノーはかく語りき①

金井栞の物語


6月

 学校の教室で、金井栞は、聞こえてくる川島や他の生徒のおしゃべりに、平和な人たち、と関心を失っていた。

 ある意味羨ましいわ。

 栞には今、頭を離れない懸案があった。

 昨日、いつものようにコッソリと、父の部屋の蔵書を借りに書斎に入った時のことだ。

 机の上に置かれたままのスマートフォンが通知音を鳴らした。近くにいたので何気無く覗いてしまった。

 受信したのは、見たことのないチャットアプリだった。

 パパが私達が入れていないチャットアプリを使うなんて、一体何に……と思った。

 気になって画面を触る。メッセージを未読のまま確認できることは他のアプリで知っていた。

 差出人は「16」と番号で表示されていた。「人手集めました、明日から実施します」という本文と求人ツイートらしき画像がリンクアドレス付きで添付されていた。

 なんだろう?

 とっさにと自分のスマートフォンにメモを取り、その夜、検索して見ると、出てきたのは高額報酬の日雇いバイトに関するツイートだった。

 栞の父親は投資会社の社長をしていて、日雇いバイトを雇う業務は聞いたことがなかった。

 見慣れないチャットアプリを見た時に生まれた直感、自分の父親がなにか悪いことをしているんじゃという疑惑が消せなかった。

 父親に聞いたところでうやむやにまるめこまれることは予測できた。この10年近く、父親に栞の言い分が通ったことはなかった。

 母親に相談したところで、なんの解決にもならないことも予測できた。逆に父親と一緒になって言いくるめてくる可能性が高かった。

 母親は、いつも自分自身のこと以外には関心がない。母自身にメリットが生じないことは全て、無かったことにされる。最近は、父親も利用するだけの存在だったのかな、と子どもながらに感じることがある。

 誰にも相談は出来ない。

 自分で、確かめないと。でも、どうやって…。



7月

 日雇いバイトの募集要項は18歳以上となっていた。栞は年齢を偽って応募してみることに決めた。

 何が行われているか分かれば、採用されなくてもいいのだ。4歳くらい、誤魔化せるだろうと思った。

 ダイレクトメッセージによる応募は避けて、応募用のフォームから応募した。必要事項を入力して送信したら、直ぐにメールで面接の案内が届いた。

 念のため、ネットで見つけた大学生の学生証をそれらしく加工して印刷した。

 ファッション雑誌を参考に、大学生のような装いをして、指定された喫茶店へ行った。

 栞を待っていたのは、高そうなスーツをかっちりと着た20代半ばくらいの男だった。

 短く整えられた黒髪と、綺麗に剃られた髭ともみあげが清潔感にあふれていた。目の辺りが欧州系のハーフを思い起こさせる美形で、自信に溢れた様がその魅力を増していた。

 代表取締役だというその男は、ベンチャー企業でメール便のような配達業務を行っていると説明した。依頼が入って必要な時に、必要な所でだけバイトを使うことでコストカットと利益率アップを実現しているそうだ。

 父親に対する嫌な予感はまだ拭えなかった。投資会社とメール便になんの関係性が生じるのだろう。でも、もしかしたら、単にベンチャー企業に会社として投資しているだけかもしれない。

「君ほんとに大学生?」

 品定めするような目で見られた。

 童顔なので、よく言われます、と誤魔化すと

「ふぅん……でも、可愛いから採用」

と契約書のサインに漕ぎ着けた。

 あの時だけ、あの男の別の一面を見た気がした。

 見ない方がいい危険な部分を。その時に気づけば良かったのだ。

 それからすぐ、スマートフォンに入れさせられたチャットアプリに仕事の連絡が入った。指定された場所に指定された装いで小包を受取りに行った。

 一般家庭だった。玄関に出てきた女性は「ヒロユキのお友達?ご迷惑をかけて申し訳ないけど、よろしくお願いします。」と深々頭を下げた。手渡された小包は封が留められていなかった。嫌な予感しかしなかった。

「運搬する荷物は絶対に開けないこと」

 規約に明記されていた。

 届け先までの移動の途中で駅を利用する。栞は大きくなる鼓動を抑えながら、駅のトイレに立ち寄った。

周囲を見回してから、個室に入り、預かった紙袋の口をソッと開ける。入っていたのは銀行の帯封の付いた札束が5束。

 ……これ、詐欺じゃない?!

 動悸が大きくなって、視界が霞む。

 学校で講話した刑事の顔や、チャットアプリで繋がっていた父親の顔、面接の時にあの男が見せた危険な笑みが頭の中でぐるぐる回り始めた。

 ……警察に、行かなきゃ……。

 考えた時にスマートフォンが大きく鳴り響いた。

 心臓が跳ね上がる。震える手で取り出して見ると、チャットアプリから音声着信が入っている。

 動悸が止まらない。爆発しそうだ。

「……もしもし」

「もしもーし、金井さん、今どこですかー?」

 男の冷たい声が耳に刺さる。

「駅……です……これから電車に乗るところで……」

「ふ~ん……。寄り道しないで、ちゃんと仕事してくださいね。規約読んでますよね、信頼出来ない人とは仕事出来ませんよ」

 見られてるっ……そう思った。これは脅しだ……。

 全身が震えた。何を話したか分からないまま、通話を終えてスマートフォンをしまっていた。

 栞は大人しく、指定の場所に届けることしか出来なかった。届けた相手の見知らぬ男から手渡されたバイト料の一万円が、酷く汚いもののように思えて、今でも封筒に入ったまま机の中にしまってある。

 犯罪に……加担してしまった。なによりも、父親がこの犯罪に関わっている。

 栞はどうしたらいいか分からなくて、判断を先延ばしにするという、過ちに堕ちていった。



8月

 あれ以降仕事の依頼は2回程来た。都合が悪いと断り続けてからは来ることはなかった。

 時間は判断を誤らせる。自分に都合良く解釈してしまう。

 もうあの男と関わりはなくなった。考えなければいけないのは、父親のことだけ、そう思っていた。

 あの連絡・・・・が来るまでは。

 面接の時と同じ喫茶店に男に呼び出された。

 同じ喫茶店だけれど、男の雰囲気は全く違っていた。高そうな細身のスーツや清潔感ある姿はそのままに、悪魔のような狡猾さを漂わせていた。

 一目惚れなんだよね、悪いようにはしないから、オレと付き合わない?

 信じろという方が無理だった。

 呼び出しのメッセージには写真が添付されていた。

 あの日、あのバイトの日、札束の入った紙袋を受け取っている自分の写真。

 普通に考えて撮られる理由がなかった。

 ねぇ、もう自分が何をやったか分かってるよね?

 警察に捕まるくらいなら、未成年だし大したことにはならないと思ってる?

 オレがこれ・・をネットに流したら終わりだよ。そんなことはするつもりないけど。

 オレ、栞ちゃんが好きなだけなんだよね。可愛い栞ちゃんが欲しいだけなんだよね。

 何でも奢るし、欲しいものも買ってあげる。大学生は遊ぶ金がかかるだろ?・・・・・・・・・・・・・・

 返事は今決めて、と関係を迫られた。

 いろいろなことを頭の中で考えた。

 受け子の写真を撮られたのは致命的だった。

 写真だけでは殆どの人は何をしているか分からない。けれど警察が見れば、相手の女性も写っている、栞は間違いなく捕まるだろう。

 ネットタトゥーの怖さも教わって知っていた。晒されるのは避けたかった。

 大学生だと騙せていると思ったことが判断を誤らせた。

 エッチくらいで止められるならありかもしれないと浅はかな考えで承諾した。

 そのまま駅前のビジネスホテルに同行した。

 予想外に優しいセックスだった。だから、きっと油断したのだと思う。

 もしかしたら本当に好意を持たれてるのかもとも思ってしまった。

 帰り際、受け子の写真は目の前で消してくれた。そう悪い人でもないのかもと錯覚した。

 自分の思うように進んでいる、と錯覚して、一つ一つの事柄を判断出来ていなかった。

 それからも何回か身体を求められた。

 断っても無駄だったし、男が飽きてくれれば終わること、と求めに応じてしまった。

 受け子の写真のデータが残ってないか、男の様子を見る必要があると言い訳もついた。

 8月は夏休みで学校がないこともあって、平日の昼間も良く呼び出された。男と会う回数を数えなくなっていた。毎回身体を求めてくるが、デートのようなことをさせられたこともあった。

 男は実に女慣れをしている、と思う。エスコートや愛情表現が上手くて、普通のカップルだったかと錯覚しそうにもなることもあった。

 男と過ごす時間が増えて行くと、呼び出しが不快ではなくなり、ホテルではなく部屋に行くようにもなった。男の部屋は居心地良く整頓されていて、男に対して抱いていた不信感や危険性を薄れさせた。

 愛情ではない、馴れだ。今ならそう思う。けれど人は錯覚する。

 全部男の手の上で面白いように転がり堕ちていただけだったのに。

 愚かだったのだ。

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