第32話 騎士と刑事とUndercover(内偵)

 車両を車庫にしまい、阿久津が裏口から署へ入ると、そこに佐藤が待っていた。

「なんだ、わざわざ出迎えか?」

「班長が……阿久津さんが戻るまで休んでていいって言ったんで」

「なら部屋で休んでりゃいいだろ」

 阿久津は自販機のある廊下まで進むと、缶コーヒーを2本買い、1本を佐藤へと放り投げた。

「奢りだ」

 廊下に置かれたロビーチェアーに腰掛けてコーヒーを飲み始める。

 いただきます、と頭を下げた佐藤も隣へ腰掛ける。

「……阿久津さん、さっきのあれ・・、調べますか?」

 心配そうに見る佐藤を一瞥し、阿久津はまたコーヒーを啜った。

「必要ない。ガセだよ」

「なんでそう断言出来るんてすか? 俺もあの渡邉バカのデマカセとは思いましたけど、万一ってこともありませんか? 今、学校で二人と話してる連中に連絡しとくだけでも……っ」

 阿久津は手にあるコーヒーの缶に目を落とす。微糖とあるが、阿久津には少し甘過ぎた。

「いい判断だな、佐藤。すべての可能性を疑ってかかるのは捜査の基本だ。ただ、もうちょっと落ち着いた方が良いな。相手の言葉にいちいち動揺して見せてたら、舐められて相手のペースに持ち込まれるぞ」

「……すみませんでした」

 佐藤はあの時の自分を思い出し、肩をすぼめた。

「もし信憑性の高い話なら、これから調べる中でも話に出るはずだ。当然裏も取る、それで十分だ」

「まぁ……そうですね」

 佐藤は少し納得行かなそうに呟いた。阿久津はそんな佐藤に、まぁ、飲めよ、とコーヒーを勧める。

 缶コーヒーを開けて飲み始める佐藤を横目に、阿久津は残り少なくなった缶コーヒーをもてあそび始めた。

淫行こういう事件を扱ってると、子どもに向けられる愛情だったり感情だったりをたくさん見るだろ?どれひとつとっても同じものってのはなくて、それこそ先入観は禁忌タブー、千差万別なんだが……何件もこなしていくと、そのうち共通する特徴みたいなものが見えてくるんだ」

「共通する特徴?」

「お前、今日あの兄さんを見て、どう思った?」

「……す、すんませんっ。……えっらい格好いい男だなってくらいしか……」

 百面相のように表情を変えながら、恥ずかしそうに佐藤は項垂うなだれた。

 さすがに面白かったのか、阿久津は佐藤の頭をはたくと、

「お前その変のねぇちゃんじゃねぇんだから、警察官らしい目でちゃんと見る癖つけとけ」

と笑った。

「すんませんっ」

「あの兄さん、最後の方こそ渡邉のことを殺しにかかってたけど、登場してからはずっと、妹さんのことを大事そうに見てたんだ。ありゃあ相当溺愛してるな」

「……それって……」

 食い入るように阿久津を見る佐藤。阿久津は目を伏せたまま、缶コーヒーを飲み干して続けた。

「あの目は男の目じゃねぇ、親の目だ。親の目であんな溺愛してる奴が手を出す筈が無いんだよ」

「親の目……」

 佐藤は呟きながら視線を戻すと、しばらく缶コーヒーを見つめていた。

 今年の春、この係になったばかりの佐藤には眉唾物の話に聴こえるのだろう。

 それから、佐藤は阿久津を真っ直ぐ見据えて尋ねた。

「阿久津さんくらいに経験を積むと、女を見る男の目か、子どもを見る親の目かが分かるってことですか」

「まぁ、そんな感じだ。すぐ分かるくらい、全然別物なんだよ」

 砂糖と塩の味は違うんだよ、とでも言うかのように軽く答える阿久津に、佐藤は何か吹っ切れたような清々しい表情を見せると、一気にコーヒーを飲み干した。

 空になった缶を阿久津から預かり、一番近いゴミ箱に捨てに走る。その後ろ姿を眺めながら阿久津も立ち上がる。

「……むしろ、子どもの方が紛らわしいんだよなぁ……」

 佐藤の背に向かってボソリと呟く。

「お前が思ってる以上にあいつは完璧だよ……、心底敬意を払うよ俺は」


 執務室に戻った二人は、応接ソファに座る見知った顔に驚いて声を掛けた。

「橘くん、来てたのか」

 声を掛けられた橘は、ばっと立ち上がると屈託ない笑顔を見せた。

「阿久津さん、佐藤さん、お邪魔してます。今日はお疲れ様でした」

「あぁ、いいよいいよ、座って」

 阿久津は周囲を見回しながら橘の向かい側に腰掛ける。部屋の中はいつも通りざわついていて、橘の相手をしている者は居なそうだった。

「誰かに呼ばれたのか?」

「はい、今日の聞き取りで分かることのうち、学校内に関することを一通り確認して欲しいってことで。あんまりお役に立てるとは思わないんですけど」

「班長人使いが荒いからな。学校みたいな閉鎖空間とじたところでの事件は、部内の事情に詳しい人がいるとやりやすさが違うから、とことん便利に使うつもりだろう」

「部内の人って言っても橘くん、一ヶ月だっけ?そんな詳しい訳じゃないのにねぇ」

 あまり乗り気ではない橘の心中を察してか、佐藤は皮肉っぽく冷やかした。

「お力になれるのならいくらでも協力しますけどね。佐藤さん、プレッシャーで死にそうです」

 端正な顔を苦笑いで歪めて、橘は愛嬌いっぱいに言った。

 この若者、橘サナトリウスに初めて会ったのは10日ほど前のことだ。

 勤め始めて一週間ほどになる私立女子校の構内で拾ったというUSBメモリを持って現れた。

 持ち主が分かればと中を見て、学校ではなく警察に届け出ることにした、と神妙な面持ちだった。

 中身は教師と思われる者のスマートフォンのデータの一部コピーのようだった。

 橘の懸念の通り、データの中には複数の生徒との淫行を示すものがあり、そこから今日に至ったのだ。もちろん、その端緒たんちょは公にはされていないが。

「それより、またネタ拾ってきたんだって?」

「いやぁ……はは」

 鋭い阿久津の眼光に、屈託なく苦笑いを返す。

「橘くん警察官受けない? 持ってる・・・・みたいだし、活躍出来ると思うんだよねぇ! 俺歓迎するし!」

 阿久津の座る応接ソファの背もたれに両手をついて、佐藤は身を乗り出した。

「悪くねぇな、受験用紙渡しとくからとりあえず出すか」

「阿久津さんダメっす。俺が渡します。さりげなく横取り止めてください」

 阿久津と佐藤のやり取りを橘が止めに入る。

「お気持ちは、ありがたいんですが……。とりあえず今はいいです」

「えぇー! 何がダメ? そんな薦められた職場じゃないけど、今のバイトよりは良いと思うんだけどなぁ」

 佐藤のけな言葉を「お前はぁっ」と阿久津がはたいてたしなめる。

「まぁ、いろいろ事情があるんだろ。この馬鹿は放っといていいけど、興味がわいたり、その気になったりしたらいつでも言ってくれ」

「ありがとうございます!」

 珍しく営業モードの阿久津に、橘はにっこりと笑った。


 橘が班長に呼ばれて別室へ入った後、阿久津と佐藤は机に向かい書類作成に取りかかっていた。

 ……橘サナトリウス、不思議な男だ。

 阿久津は頭の中の半分で橘のことを考えていた。

 あのUSBメモリの提出を受けた後、通常であれば「連絡することがあるかも知れません。」と橘は帰されるはずだった。しかし、そうはならなかった。

 班長は橘を「協力者」にすると決め、学校内の情報の提供を依頼した。

 班長自ら連絡を取り続け、署にも何度となく呼び出していた。

 橘は実に有能だった・・・・・。知り得た情報の提供ではなくて、内偵して情報を収集してるのではと思うほど、順調に依頼に答え続けた。

 あの人懐っこく屈託のない人柄で、今では署内で見かけても警戒する職員はいない。佐藤のように勧誘する職員の方が多いかもしれない。

 ……あいつが警察官になることはないだろうけどな。

 人間観察が癖の阿久津には、橘は興味深い人物だった。

 一条兄と並んでも見劣りしないだろう男前で、高身長筋肉質のがっしりした体つきは、視界に入れば否応無く目を引いた。その容姿から実際の年齢よりも落ち着いて見えた。

 その反面、惜し気もなく見せる屈託ない笑顔と気さくな話し方は、二十代前半の若さや青臭さを感じさせた。それは、接した人間の警戒心を緩ませるのに至極効果的だったように思える。

 USBメモリの件もそうだが、欲しがる人間が必死で探しても手に入れないようなものを、「ふと見た先にあったんです」とばかりに次々に見せてくる。

 いるんだよな、こういうやつ。いつもどこにいても目立つことがデフォルトの「持ってる・・・・」やつって…と当初は思っていた・・・・・・・・・

 自分がこの若者を見誤っていると思い始めたのは、橘が何度目かの来署をした時だった。

 彼に声をかける者も、取り囲む者も増えていたのに、思った以上に目立っていなかった・・・・・・・・・・・・・のだ。

 違和感の正体を知りたくて、気づけば橘が現れる度に観察するようになっていた。

 現時点で阿久津は2つの仮説にたどり着いていた。

 一つは橘が人に対して作る絶妙の距離感だ。

 にこにこと人のふところに飛び込んで来ているようでいて、そのじつこちらが手を伸ばしても届く範囲に橘は居ない。多分あいつここにいる誰にも警戒を解いていない。距離感を相手に悟らせずに操作することで、ここの人間との関係性を調整コントロールしている。

 持ってる・・・・天分の1つである可能性を捨て、「操作」していると確信したのは、もう一つの仮説に気づいたからだ。

 一度、橘からは死角になる位置から観察していた時に、橘が普段見せない目つきをしていたことがあった。阿久津はあれ・・と良く似た目つきを知っていた。

 熟練の捜査員が事件現場や捜索現場でする目だ。

 警察官おれたちの目の隙をついて、これ・・か。

 この歳で……、こいつ、一体何者だ。

 本来なら班長や他の署員に警鐘を鳴らすところだが、班長はどうやらそんなことは承知の上で、阿久津の知らないことも知っているらしかった。そして、それには班長よりも上層部の誰かが絡んでいる。

 ……俺なんかが心配することでもねぇんだろうよ。

「でもなぁ、気になりません?」

 かけられた言葉に、阿久津は思考を口に出していたかと思わず佐藤を見た。

「さっき入ったの二課の特捜係長ですよね。やっぱり次のネタ拾って来たって本当なんですかね」

 脳内を聞かれていた訳ではないと分かり、阿久津は安堵した。

「さぁな。ただ、火の無い所に煙は立たねぇだろ」

「二課のネタってなんでしょうね?そっちも学校絡みなのかなぁ」

「……そのうち分かるだろ。」

 阿久津はまた書類作成を再開する。

「まぁ、そーなんですけどね。分かるなら早く知りたいじゃないですか」

 佐藤はつまらなそうに呟いた。

「俺は早く出来上がった書類が見てぇよ、いいからさっさと書類作れや」

「……すんません」

 作るべき書類は山程あった。のんびりしていたら何時になっても帰れないだろう。

 二人はまた、黙々とキーボードを叩くのだった。


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