第21話 ハロウィン・バンシー

 ワンレングスの綺麗な黒髪、中国人女優みたいな可愛らしさのある美しい顔立ち、ただし無表情。

 制服姿の金井栞は、

「渡邉先生、私、何も見ていません」

と部屋の中から告げた。

 渡邉は真意をはかりかねて

「あ、あぁ」

と動揺した声で答えた。

 渡邉を冷ややかな目で一瞥すると、

「確か、一条さん、よね。お友達が待ちくたびれてるわよ。早く行きましょう」

と美月に声をかけた。

 美月の目から安堵で涙がこぼれた。

 渡邉は美月と金井に交互に目をやりつつ、どうするか考えあぐねていたようだが、

「さあ早く」

と金井が美月に手を差し伸べると、

「金井さん、一条は今僕と……」

と美月の前に立ち塞がり止めようとした。

「渡邉先生」

 金井は手を差し伸べたまま

私は何も見ていません・・・・・・・・・・

と強い口調でもう一度言い放ち、渡邉の陰から必死で伸ばされた美月の手を取った。

 渡邉は金井の気迫に諦めたのか、美月に道を空けうなだれていた。

 美月が部屋に入ると、金井は全開だった窓をピシャリと閉めて、ポケットからハンカチを取り出し美月に差し出した。

「目、擦らないで押えて」

「あり……がとうござ……ぃます……」

 美月は消え入りそうな声でそう言って、受け取ったハンカチを目に当てた。


「あー! 美月遅いぞーって思ったら何それー! のーせーすーぎー!!」

 香鈴奈が立ち上がって、トレーの上の飲み物のボトルを取りに来てくれた。

「すみません、欲張って時間かかっちゃいました」

「気にしないで美月ちゃん、いっぱいありがとー!! 推しへの愛について語ってるよー」

「えぇー聞きたーい!」

 何分前だったのだろう、ここでみんなと笑っていたのは。すっごく楽しかったのに、今も同じ楽しさの中に居るのに、声が上滑りする。私だけ、全然楽しめない……。戻りたい……。

 美月は涙が出そうになって、横に置いていたとんがり帽子を目深に被ると、香鈴奈にだけ声をかけた。

「ごめん香鈴奈、ちょっと体調悪くなって、トイレ行ってる」

「え?! 大丈夫? 先輩達にも言っとく?」

「ううん、盛り下げちゃうと悪いから、聞かれたら言って。もしかしたらそのまま先に帰るかもだけど、連絡する」

「あ、うん。無理しないでね」

 逃げるように部屋を出てトイレに駆け込む。鏡に映る自分は何時もと変わらない。でも、違うんだ、と美月は思った。……気持ち悪いっっ

 込み上げる不快感に個室に駆け込むと、胃の内容物なかみを吐いてしまった。胃酸の苦さを感じながら口をすすぐと、もうこの世の全てが嫌になるようなそんな感覚に襲われた。

 ……帰ろう。

 香鈴奈に連絡しようとスマートフォンを取り出すと、秀ちゃんからのメッセージが入っていた。

 『今日は気合い入れたハロウィンパーティーだっけ?一応俺も鎌倉帰るから、来るならパーティーしよう。』

 また涙が溢れてきた。

 帰ろう。秀ちゃんとこに。



17時10分頃

 美月は仮装の上にコートを着て、目深にかぶったとんがり帽子で顔を隠して学校を出た。

 コートは、仮装に合わせて黒色の大きめのポンチョっぽいものを着てきたので、そのままで街中を歩いても目立つことはなかった。とんがり帽子は人目を引いたけれど、崩れたメイクを誤魔化すにはちょうど良くて、被る方を選んだ。

 駅まで言ってしまえば、知り合いに会うこともないし……と思いきったのだが、校門を出てすぐの信号待ちで、こっちを振り返る知ってる顔を見つけてしまった。

「金井さん……」

 金井栞は美月の装いに少し驚いた様子だったが、それについては何も触れずに

「もう帰るの?」

と声をかけてきた。

「はい……。さっきは……ありがとうございました」

 美月は小声で答える。

「駅まで?」

「はい。家に帰ることにしました……」

「そう……」

 信号が青に変わると、どちらともなく、2人は並んで歩き出した。お互いに目は会わせず、無言が続いた。

 先に口を開いたのは金井だった。

「……今回のは、初めて?」

「……はい。私……どうしたらいいんでしょう……学校が、怖い……です……」

 口に出すことで消えてなくなればいい、と美月は今一番心を騒がせている問題を呟いた。

「告発は無理ね。証拠がないから。逃げ続けるしかないでしょう」

 え……と金井を見る美月に、

「私は何も見ていないからあてにしないで」

と彼女はきっぱり言い放った。

「私が見ていたとしても、生徒1人の証言なんてまともに取り合われないわ。私、これ以上面倒なことに巻き込まれるのは嫌なの」

 しばらく俯いて黙っていた美月だが、

「……そうですよね。ありがとうございます」

と必死に作り出したと分かる笑顔で金井の方を見た。

「金井さんの言う通りです。きっと、渡邉先生はあることないこと言って、私を悪者にしますよね」

 前に転げ落ちそうだったとんがり帽子が、ひゅっと背を伸ばした。

「あの時助けて貰えただけで、本当に、本当に、私感謝しています。なのに、大事なことまで気づかせて貰えて……ありがとうございました」

 今度は穏やかな微笑みだった。

 金井は微笑む美月をじっと見て、また目を逸らした。

「私、あなたを助けたわけじゃない。ああいう大人が嫌いなの。女の子のことを物や玩具おもちゃみたいに、自分の好きに使っていいと思っている男が」

金井は、他にもそういう大人を知ってそうな口振りをした。

「金井さんはすごいなぁ……。そんな風にちゃんと分かっていて、私のことまで助けてくれて……。私は全然何にも分かっていませんでした。なんとなく嫌な違和感は感じていて、苦手だとも思っていたのに、愛想笑いしたり、言われるままについていったり……」

 バカだ……。自業自得だ。

 美月は潤んでくる目に必死で抗った。

 言葉を詰まらせた美月に気づいた金井は、さりげなく美月に代わって話し始めた。

「悪いのは一条さんじゃないわ。表面では善人ぶった笑顔を振り撒いて、みんなを騙しているんだもの。偽物の自分を張り巡らせて、相手が逃げられなくなってから汚い本性を見せるのがあいつら・・・・常套手段やりかたなんだから。……一条さんは悪くない」

 やっぱり…

 美月は抱いた疑問を口にしてみた。

「渡邉先生の他にも……いるんですか? もしかして、学校に……?」

 金井はハッとしたように美月を見ると、美月の恐怖でいっぱいの表情に、ふ……と微笑んだ。

「さぁ。私は渡邉先生しか知らないけれど」

 そして、また目を逸らして前を見つめる。

「人の言葉は頼りにならないわよ。大半の生徒にとって、渡邉先生は普通の先生でしょう? 他の先生もきっとそう」

 金井は遠い目をした。通り沿いの店の照明あかりや街灯が金井の瞳に映り込んでいる。

「一条さんにとっての真実が分かるのは一条さんだけ……。苦手意識とか、違和感とかそういう警戒心は大事だと思うの。…………悪い人じゃないのかもっていう少しの油断から、流されてしまうことで、……取り返しのつかない大変なことになってからでは遅いから……」

 最後の方、なんだか感情のこもった強い言葉だった。金井さん……?

 美月が見つめた横顔は、言葉とは逆に、夜道にそのまま消えてしまいそうな儚さを帯びていた。

「信じられるひとなんて見たことない……」

 独り言のように呟いた無表情な横顔は、なんとなく寂しそうに見えた。

「……怖いですね。でも、私、一人知ってます」

 無表情のまま、金井は美月の顔を見た。

 美月は金井と目を合わせて微笑んだ。

「私の兄、歳が離れていてもう成人しているんですけど、兄は全部信じられる人です。誰に対しても」

 今日、金井に初めて見せた、憂いのない笑顔だった。

「妹には普通誰だってそうじゃない?」

 聞き流すように、金井はまた目を逸らしたけれど、美月は金井に笑顔を向け続けていた。

「秀ちゃ……兄は絶対に大丈夫です。金井さんも、兄に会えば分かります」

 美月は、金井に目を合わせる気がないと悟って、目を伏せて独り言のように続けた。

「……今日のことも……兄には全部話そうって思って、相談しに帰るんです。秀ちゃんなら、……きっと力になってくれる……」

 2人はまた、目を合わせることも、言葉を交わすこともせず、並んで駅へと続く道を歩いたのだった。

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