第19話 聖なるラブリュスの地

 宮原桜はその夜、自宅の母親の部屋をノックしていた。

「ママー?」

「なにー?」

 入ってOKの返事代わりの問いかけに、桜はドアを開ける。

 部屋の中ではノートパソコンに向かう母がこちらを振り向いていた。

「もうすぐピルがなくなりそうだから、またお願い」

「あぁ、分かった。処方しとく。それだけ?」

 母は疲れの見える顔で愛娘に微笑んだ。

「うん。ありがとう、私もう寝るね」

「はい。おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 そう言ってドアをしめた桜は、自分の部屋へ戻ってベッドに潜り込む。

 サイドテーブルで充電中のスマートフォンに手を伸ばし、布団の中でもてあそび始めた。


 桜はもうここしばらくずっと、一人では抱えきれない心配事があった。

 学校の新任理科教師、渡邉と性的関係になってしまったことだ。

 初めは、静かな感じで、皆にも人気の渡邉先生に、桜も憧れを抱いていた。

 運良く、桜の所属する天文部の顧問になったので、授業や部活動の時間に眺め、想いを募らせることができた。

 それで十分満足していた。

 それが、夏に入った頃だろうか、部活動の連絡で二人きりになった時、渡邉からキスをされて連絡先を交換した。二人だけの秘密を作った。

 その後、呼び出されて最後まで奪われた。校舎裏の人気ひとけのない所で。行為は怖いけれど、渡邉は嫌じゃない桜には、抵抗することも出来なかった。

 それから、もう何回してるのだろう。

 ある時から、コンドームは使わないから危ない日は言うようにと言われた。よく分からないと不安を伝えたら、ピルを手に入れられないかと提案された。

 桜の母親は産婦人科医をしている。渡邉のアドバイス通り、生理痛が酷いと相談したら、ピルを処方してくれた。それからはずっと飲んでいる。そして、ずっと桜は渡邉の言いなりだ。

 渡邉は特別なことは何も言わないけれど、桜に好意を持ってくれていると、勝手に思っていた。だから受け入れた。けれど、回数を繰り返すうちに、そうではないような不安が生まれていた。渡邉が桜に求めるものは、身体だけなんじゃないか。

 行為もだんだん激しくなっていて、要求されることが多くなっていた。二学期に入って、他の生徒との噂を耳にして、余計不安が膨らんだ。桜はまともにホテルで行為に及んだことなど数えるくらいしかない。

 その心理的影響も少なからずあるとは思うけれど、行為が激しい時は、何故か酷い暴力を受けた後のような、悲しい気持ちになった。渡邉は無理強いはしていないし、暴力をふるわれた訳ではないけれど。

 ネット漫画をサーフィンしていると、桜がされている以上に激しい行為が愛ある行為ものとして描かれていて、これくらい普通なのかも、と思い直す。

 言われた通りにしていると、「宮原いいコだ」、「宮原かわいい」と渡邉は甘美な声を洩らす。あれは本心だと感じるから、やっぱり特別・・に思ってくれていると全て受け入れてしまう。でも、このままどこまでエスカレートするのだろうと、不安も増すのだ。


 ……こんなこと友達になんて相談できないし。ママくらいしか話せる人はいない。

 桜は自分の悩みに関わるようなワードでネット検索を繰り返す。

 けれど、そこには桜の求める答えは出てこなかった。

 ……離婚してから、産婦人科医をしながら一人で私を育ててくれたママ。大変なこともあったと思うのに、私がこんな風になってるって知ったらショックだろうな。しかも、ずっとママを騙してピルに利用してたなんて知ったら……。

 桜には相談できる相手など一人も居なかった。

 ネットの中にはなおさら信頼出来るようなものなどなかった。

 スマートフォンを閉じて、寝ようと思いかけた時に、検索結果の中のSNSアカウントの一つに目が止まった。

 ……このアイコンの写真、金井さんに似てる……。

 行為中を思わせる裸の写真の黒目線で隠された顔が、なんとなく金井栞に似ているように思えた。

 「えっち大好きJC」「パパ募集中」「激しぃの好き」「めちゃくちゃにしてくれる人」と不穏な言葉がプロフィールに並んでいて、たくさんのアカウントが登録したり、卑猥なコメントを送りつけていた。

 ざっと遡って見ると、最新のコメントは金井栞が亡くなった後にされていた。

 ……金井さんな訳ない、バカじゃない私。

 桜は、渡邉との行為を金井栞に目撃された、あの時のことを思い出した。

 凛として動揺のかけらもなかった金井栞の表情。

 冷たく見る目は、私たちのことをさげすあわれんでいるようだった。

 ……金井さんがこのアカウントの人だったら、逆に私、相談出来たかも……。

 桜はスマートフォンを閉じてサイドテーブルに戻すと、目をつぶった。

 ……それか私がこの子みたいになれたら、渡邉先生との行為も楽しめて悩むことなんてなくなるよね。

 そう思って思い出してみたけれど、やはり一方的な暴力のような激しさを好意的に捉えられそうにはなかった。かといって、抵抗することも拒否することも、桜には出来ないことだった。

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