第18話 嗤う牧羊神《パーン》

 一条邸が警察の訪問を受けた11月、横浜市内のとある喫茶店のざわつく店内で、テーブル席の1つに二人の男が座っていた。

「いいねぇ、俺、真面目な人好きなんだよね。そしたら、採用! なんで、このチャットアプリ今入れてくれる?」

 黒々とした短髪に端正な顔立ちの男は、スマートフォンの画面をテーブルの上に差し出した。

「分かりましたっ」

 対面に座る大学生風の青年は慌てて自分のスマートフォンを取り出すと、示されたアプリのダウンロードを始めた。

「仕事が入ったら、そのアプリで連絡するから。指定された場所へ行って、指定された場所へ運ぶだけ。それで最低一万円補償。君ラッキーだねぇ、真面目に生きてきて正解だよ」

「はいっ、ありがとうございます!」

「業務契約の規約、送っておくから、必ず確認しておいてね、あと……一応これ、契約書面にサインして貰えますか」

「はい!」

 契約書にサインを終えると、「ここは俺が奢っておくんで」と退出を促された青年は、一度お辞儀をしてから喫茶店を後にした。

 スーツを着た短髪の男は、契約書を横に置いてあったブリーフケースにしまう。

 空いた席に、近くにいた派手な装いの男が移って来た。

「今日はこれで終わりです。結構いいバカ・・・・来ましたね、半分以上は採用ですか」

 「いい・・ご時世だよねぇ、チョロくて仕事ががんがん出来て助かるわ」

 スーツの男は満足げに笑う。歳はそういってなさそうだが、高そうなブランド物のスーツ、同じくブランド物のブリーフケースが不自然ではなく着こなされていた。

「ボスじゃなきゃこうは行かないでしょうけどね。今日のスーツいくらなんスか?」

「んー?確か、40ちょいかな。あんまり地味なの増やしてもと思ってさぁ、なんか食うか」

 フードメニューを開きながら、コールボタンを押し、そのまま腕を前に出して見せた。

「このピンストならありかなって。スリムなんで腕とかちょいちょいキツいけど」

「おぉ! ピンストがブランド名になってるんスか! かっけー!! 全然分かんねぇ! 今日も完全に、まっとうな仕事してるやり手実業家って感じでしたよ」

「どう、もーっ信用第一です」

「ご注文でしょうか?」

 やってきた店員にそれぞれ食事と飲み物を頼むと、スーツの男は取り出した煙草をまたポケットにしまった。

「席移れば良かったな、これ、飽きたらお前にやるよ」

「え?! まじスか?! ありがとうございます!! ほんと、ボスはいい男っスよね~。今日面接した女、皆エロい目で見てましたよ」

「エロいのはお前だろー。まぁ、何人かはイケるかな?」

 スーツの男はにやりと笑った。崩した姿勢とその色気に満ちた笑いは、数分前とはガラリと変わって、人気ホストのようだった。

「ボロい商売ですよね、このシステム、ボス天才。俺もボスみたいにカッコ良く生まれてたら!! ……あの中学生ヤりたかったなぁ」

「あぁ、あれね。これからだったのにねぇ」

「ほんとすんませんでした……」

 派手な男は、少し神妙に謝罪の言葉を口にした。

「まぁ、事故じゃしゃぁないでしょ。勿体ないっちゃかなり勿体ないけど俺は堪能したしぃ?」

 目を伏せて謝罪した派手な男は、明るく軽いいつもの口調で返された言葉に、抱いていた不安を解消した。

 もう、事故・・から何度も再確認していた。きっと変わりが見つかるまでは繰り返される形式的保身。

「せっかくだから家出少女でも引っかけますか!」

 相手と同じく明るくふざけた口調で言いながら、頼りない安堵に視線を戻して、派手な男はドキリとした。

 目に入ってきた、予想と違う光景。

 ソファに寄りかかったスーツの男の、真顔と遠い目が印象的だった。

 見間違えかと思うような、わずか一瞬だった。

 元の自信に満ちた色気のある笑いに上書きされた顔からは、軽妙な声が吐かれる。

「最後に連絡とってたお友達? 一応あたるつもりだけど……まぁ、そんなにうまくは行かないかなぁ。求人に社員寮有りとか年齢応相談とか書いてみる?次は最初からお前がヤってもいいし」

「うす! 早速足しときます!」

「エロへのやる気ありすぎて引くわぁ」

 二人は店員が食事を持ってくるまで、ゲラゲラと笑い合った。

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