第4話 ニンフ達の遊興②

3年2組の教室 6時限目 理科

 島崎唯子はノートに絵を描きながら教壇を眺めていた。

 眼鏡と顔の輪郭線……なるほど、前髪のバランスで印象が変わるのか……

「そろそろ時間かな。今日はここまでにします。次の授業までに、良く復習しておいてください」

 教壇に立つ白衣の男性は、淡々と進めてきた授業を淡々と終わらせた。チャイムとともに、号令がかかり、授業が終わると、島崎は描きかけのノートを閉じ、そのまま廊下へと駆け出した。

「渡邉先生っ」

 声をかけられた白衣の教師は、その細身の身体を少しひねって振り返ると、

「島崎さん」

とだけ答えて、すぐまた歩き続けた。

 島崎は渡邉の顔を覗き込むようにまとわりつきながら、その隣を歩く。渡邉が担当教諭になった4月から2ヶ月が経つが、理科の授業後恒例の光景だった。

「先生、先生がこないだ勧めてくれた映画、マトリックス? 観てみました!」

「そう。どうでした?」

「スゴかったですっCG? 目が離せなくて!」

「それは良かったです」

 少し長めの前髪、さらさらの髪、不健康そうに色白の肌、知的に光る眼鏡、の奥の切れ長の目。

 少女漫画好きな島崎には2次元キャラのような渡邉先生は魅力的だった。物静かで、細身で、白衣が似合って、淡白で。

「アクションシーン結構派手ですよね! 先生がああいうの好きだとか、ちょっと意外でした」

 自分だけが秘密を知ってしまった、と言わんばかりに嬉しそうに言う島崎に、チラ、と目線を動かしてから渡邉は答える。

「別に、特別好きなわけじゃ。何か勧めて欲しいと聞かれたから、有名どころを教えただけです」

「そうなんだ! じゃあ、渡邉先生の好きな映画を教えてください! 今まで観た中でのベスト3!!」

 先生が担当するようになってから、授業の後はたくさんの生徒が先生のところへ集まった。対応しているとなかなか職員室へ戻れないので、少し対応したら「次の授業の準備があるので」と教室を出るようになった。それでも、職員室までの廊下をついていく生徒が居て、職員室の他の先生から「渡邉先生はアイドルじゃないぞー、ほどほどにしろー」と注意されたりした。

 それもあってか、渡邉先生は基本塩対応だ。渡邉先生の優しい雰囲気や笑顔に釣られた生徒は、塩対応にがっかりして授業後の追っかけを止めた。

「ベスト3ねぇ……」

 考えるように遠くを見回す渡邉先生に、通りすがる他の生徒が一人、また一人、と挨拶をする。

「こんにちは」

 わ! 渡邉スマイル出た。

 島崎は見逃さずにうっとりした。優しげな笑顔で挨拶を返された生徒達もキャアキャア言っている。

「3つ無くても、逆に多くても良いですよ!」

 話題を戻そうと島崎は再度促した。

「島崎さんのベスト3はどんな映画ですか?」

「え、……と」

 逆に聞き返されて島崎は焦ってしまう。

 漫画やアニメ好きな島崎が思い出す映画は、アニメばかりだ。それもイケメンが出てくる少女向けで、名前を挙げても渡邉に通じるとは思えない。

「私はあんまり映画は見ないんです……だから先生にお薦め聞いて、観てみようかなって!」

 そうこうしているうちに職員室に着いてしまった。

「映画ベスト3は少し考えさせてください。じゃ、授業の復習はちゃんとやってくださいね」

 渡邉先生は満面の爽やかスマイルを島崎に投げ掛け、職員室へと消えていった。

 もー渡邉先生ってば! 道中での塩対応とは別人みたいな優しい笑顔、ギャップ萌えなんですけど~!!

 笑顔の余韻に浸っていると

「島崎、お前また来てるのか」

 体育教師の高尾の呆れるような声で現実へと引き戻された。

 うわっウザいやつに会っちゃった。早く逃げよ。

 島崎の心の声が聞こえたのか、表情かおに出ていたのか、高尾は顔をしかめて続けた。

「漫画や空想も個人の自由だが、 現実をしっかり見ろよ。授業中のお絵描きは止めてちゃんと勉強しろ」

「はーい! 失礼しまーすっっ」

 うっざ! 体育の時間に絵なんか描けるわけないし、他の授業中のことなんて関係ないじゃん。

 高尾が言い終える前に島崎は職員室前から逃げ出した。

 次の授業時間のノートへの落書きは、渡邉スマイルにしよう! 金井さんと見つめ合わせて禁断の恋をテーマに描くのも良いかも! 推しと推しの共演、幸せすぎる!

 ニヤつく顔を隠しながら島崎は教室へと駆け戻った。


 放課後、いつものように美月と香鈴奈は雑談しながら寮へと続く道を歩いていた。

「香鈴奈、今日はバレー部の練習お休み?」

「部活自体はあるよ! でも、今日は朝練がんばっちゃったからねー。お腹いっぱいデス! 温室で癒されて帰ろ!」

「そ……だね。温室寄ってこ」

「あれれ? 乗り気じゃない?」

 放課後の寮への帰り道、温室に寄るのは美月のルーティンだった。ガラスの建物内に育成される木々や草花を見るのは、癒しの時間だ。香鈴奈と一緒に帰るようになってからは、2人のルーティンとなっていた。

「うん……また渡邉先生居るんじゃないかなと思って」

「そういえば、よく見るね。こないだも居たっけ」

「うん」

「私はバレー部の練習出る時は寄らないけど、美月はほぼ毎日でしょ? 先生も毎日?」

「毎日ではないかな。でも、結構来てる」

「へー、イケメンアイドル先生は植物好きなんだ。まぁ、理科の先生だから普通にあるか」

 かんばしくなさそうに俯いている美月に気づき、

「渡邉先生苦手? 何かあった?」

と香鈴奈は尋ねた。

「特には。あの先生、挨拶の時はにこにこしてるけどあんまり話さないよね」

「そだねぇ。こないだ2人で会った時も、挨拶したのはこっちからだったし……、噂の渡邉スマイルだったよね! で……うん! 話しかけてるのはほとんどこっちわたしだった!!」

「香鈴奈が居る時はさ、香鈴奈が話しかけてると、居なくなるじゃない?」

「うん。渡邉先生、挨拶以外は塩対応らしいよね。私の時も塩ってほどじゃなかったけど、めんどくさそうだったよね。ふふっ。生徒と個人的に関わるの嫌いなのかもねー」

 相手の反応に気づきつつも話しかけちゃいました、といたずらっぽく笑いながら香鈴奈は言った。

「私もそう思ったんだよね。だから、一人の時は、声をかけずに帰ったり、私も来たばっかりの時は、挨拶だけして、後は煩わせないようにしてるんだけど……」

「……話しかけてきた?!」

「いやいや、そーいうことではないんだけど」

 美月は考え込むように黙ってしまった。

「まぁ、放課後にまで先生と関わる時間を持ちたくはないよねー。私はイケメンアイドル渡邉先生に興味あるから大歓迎だけど、美月は興味ないだろし!」

 美月は相槌代わりに香鈴奈に笑いかけた。

 美月の笑顔に、お? 正解? と嬉しそうな表情かおを見せると、香鈴奈は続けた。

「温室にいつも高尾先生がいたら、私も寄るの考えちゃうもん!」

「高尾先生、温室絶対来ないでしょ」

「バナナの木植えたら来るかもよ!」

「ゴリラか~いっ」

 2人は笑いながら温室のドアを開き、中へと入っていった。


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