内面犯罪法違反

岩田へいきち

内面犯罪法違反

 今、まさに歴史的変革が日本に訪れようとしていた。昨年六月に国会で可決された「内面犯罪法」がいよいよ明日、四月一日から施行されるのである。

その四月一日の朝、十六歳の守は、数年前にスウェーデンのスウック社が開発した内面映像端末を上着の胸に名札のようにマジックテープで取り付け家を出た。内面映像端末とは、スマホくらいの大きさの液晶画面で、脳が発する微弱な電波を拾って頭の中で想像したことを映像化するのである。過去にも他のメーカーが映像化出来る装置を作ったことがあるが、頭に電極を付けなくてもよい上に画像が素晴らしく鮮明で、想像力次第ではこれで映画も作れるのではないかとスウェック社が開発した。それが今回は公安内面特捜部隊のサーバーと繋がって内面犯罪法で採用される事になったのである。


 守はいつものように部活のサッカーをするために学校へ向かっていた。道ですれ違う人達も胸に端末をつけており、これで間違いはなかったなと一安心した。面倒なのは上着を替えても端末は必ず付けなければならないことである。付けていない時間が、五分を超えると公安から警告が発せられる。それで直ちに逮捕されたりすることはないが、その回数が年間三〇回を超えたり、一回あたりの時間が三時間を超えたりすると罰金を科せられる。そしてまた当然その許容範囲内で犯罪を企む輩が現れるので、罰金が多い人は公安にマークされるということになる。公安も初めての経験でいったいこの先どのようになっていくのか、国民の生活への影響や不満はどうなるのかも手探りで始めたという感じであった。

 しかし、公安や政府には、個人個人への影響や不満はある程度あったとしてもどうでもいい、それよりも組織的テロや反政府勢力を抑えることが第一だという思惑があった。その昔から共謀罪など、反政府勢力を牛耳る法案を事ある度に立案してきた政府だが、今回は個人の犯罪を未然に防ぐという大義名分で内面犯罪法案を立案し、反政府勢力の組織化を防ごうとし、遂に実現してしまったのだ。内面で考えたこと、心の中で映像化した事は端末でも同時に映像化される。そしてそれを常に胸に貼り付けていなければならないので、周囲の人たちもその映像を見ることが出来る。他人が犯罪を犯している映像を想像するだけでは犯罪にならない。その犯罪を明らかにその想像した本人が犯しているという映像の場合のみ犯罪と見なされ逮捕されるのだ。


 サッカーの練習着に着替えた守はエンブレムの下に映像端末を貼った。端末は薄くて軽いし多少はたわむので運動中貼り付けてても気にならない。守が気づいたのはボールを挟んで一対一をやっている時、雄星が次に仕掛けてくるフェイントが雄星の画面に現れ、そのフェイントにひっかからずボールを奪うことが出来ることである。

―― 雄星のやつ、何時も一回、頭で想像してからフェイントかけてたんだ。雄星だけじゃなくそんな奴がいっぱいいるのかもしれない。こりゃ試合で使えるぞ。

 もちろん、試合中のユニホームでも端末を付けることが義務付けられていた。

守はいきあたりばったりで本能的に動くタイプなので、相手に次のフェイントを見抜かれることはなかった。


 サッカーでは、守にとってとても有利な法律に思えたが、春休みが終わって新学期が始まった時のことである。守のクラスに胸が大きくスタイルがいいセクシーな女の子、悠里が転校して来た。さっそく守と雄星は、昼休みに悠里に近づいた。既に女の子たちが二、三人悠里を囲んでいる。

「やあ、悠里さん、どこから転校してきたの? 部活は何やってたの?」

「キャー、何それ、守くん、誰の裸?」

美智子が守の胸の端末を見て声を上げた。守と雄星は同時に胸の端末を手で覆った。

「いやらしい」続けて真弓も二人を見ながら言った。

「誰? 私の胸もう少し大きいわよ。そんな子どもじゃないんだから」

悠里の落ちつきはらった対応に守と雄星は両手でさらにきつく端末を覆ったまま顔を赤らめて自分たちの席へ逃げ帰った。そう、サッカーでは有利なものの、今までみたいに授業中、女性の裸ばかり想像してはいられなくなったのである。


 部活の前の部室で端末を胸に張り替えながら雄星と守が真剣な顔で話し合っている。

「どうしよう、俺、変態だと絶対ばれてしまう」と泣きそうな雄星に守も少し怒ったように「だよな、許せないよな。誰だい、こんな変な法律つくったのは」

「政府だよ。数の力を使ってこんな馬鹿みたいな法案を通しやがった」雄星も泣きそうな顔から今度は怒った顔になっていた。

「なんでこんなん作ったんだ?」

「政府は、今の力を維持して強力な軍事国家を目指してるんだ。究極はアメリカにも負けないくらいのね」

雄星は高校生なのに政治のことにも詳しく、守はいつも難しいことは雄星に教えてもらっていた。成績も良く、サッカーも上手い。守と違って女子にも人気があり男子からの信頼も厚い。守は薄々気づいていたがその雄星が実は変態だとばれてしまうと雄星にとってはとんでもないことになるということを分かっていた。自分は元々そんなキャラなので特にダメージはないが、雄星のためにも怒っていたのである。

「ぶっ潰してやろうぜ、こんな法律をつくる政府なんて」

「ありがとう、 やっぱり守はこんなとき頼りになるよな」

「よし、俺が一万人集めて攻撃してやるよ」

そういう守の胸の端末を見ながら雄星が慌てて声を上げた。

「守、ヤバイ、悠里さんの胸大きかったなぁ」

雄星は、守の端末に大勢の民衆が政府へ押しかけて暴動を起こしている映像を見て、とっさに悠里の話を持ち出したのであった。

「だよな、グラマーだったなぁって、何で話変わったんだ?」

「バカ、お前さっき、政府を襲うところ想像しただろ。逮捕されるぞ」

「えっ、ちょっとだけ頭によぎっただけだよ。こんなんで逮捕されるの?」

今度は守が急に泣きそうな顔になりながら雄星に尋ねた。

「分からない。まだ明確な基準はないから頭によぎっただけで逮捕されるのかどうか。守は大物でもないし政府にマークされている人間でもないから大丈夫だと思うけどね」

「だよな、俺が大物ならみんな逮捕されるよな」

守は切り替えが早く、もう泣き顔は無くなってサッカーへと気持ちが移っていた。「練習行こうぜ」

「そうだな、あんまり神経質になってもしょうがないな」

二人はやや遅れて練習に参加するとたちまちサッカーに没頭してしまい。練習が終わるころには政府を襲撃する話はすっかり忘れてしまって夜寝るまで再び思い出すことはなかった。


 翌朝守と雄星はいつものように遅刻ギリギリの時間に校門で会った。

「おはよう」

「おはよう、大丈夫だったみたいね、逮捕はないみたいだね」

「あっ、そうだった。よかった、逮捕されずに」

二人はそんなことをお互い走りながら話し、教室になだれ込んだ。

「おはよう、守くん、また私の裸、想像してたんじゃないでしようね? どうせ想像するなら綺麗に魅力的に想像してね」

今日は、悠里の方から守に話しかけて来た。

「おはよう。あっ、そう言えば、部室でちょっと思い出した。」

守は昨日、雄星がとっさの判断で悠里の話題を振って悠里を想像した事を隠さず伝えた。

「やっぱりね。でも、私、気づいたのよ。私の顔をした裸が内面犯罪特捜部のサーバーに記録されるのよね。どうせならグラビアアイドルみたいに綺麗じゃないと。ねっ」

「そうか、記録されるんだ」

と雄星が叫んだところで、担任の渡辺先生が警察官を二人連れて入って来た。

「やだ、守くん、裸の私になんかしたんでしょ?」

「いや、何にも」

 必死に答えた守だったが、渡辺先生は守と雄星の方を右手でそれぞれ示して名前を伝えていた。警察官の一人が守に近づいて

「川瀬守だな、組織的政府破壊工作共謀内面犯罪の疑いで逮捕する。黙秘権は認められているが、内面で犯された犯罪は全て記録されているからあまり意味はないぞ」

「「「キャー」」」

教室の女子たちが一斉に悲鳴をあげた。

「島田雄星だな、重要犯罪、組織的政府破壊工作共謀ほう助内面犯罪の疑いで逮捕する」

もう一人の警官が今度は雄星を逮捕した。

「「キャー、キャー」」

なお、いっそう女子たちの大きな悲鳴が教室の中に響いた。

「組織的?  ぼくらは二人で冗談を言っただけですよ、しかもまだ十六歳のザコですよ」雄星は警官に向かって冷静に訴えた。

「同じことを内面で想像したやつらがおよそ一万人いた。最初に計画したのはお前たち二人だ。内面犯罪特捜部のサーバーはお前たちを首謀者と断定した。だから間違いないんだよ。つべこべ言わずについて来てもらおう」

「首謀者? ぼくにはそんな仲間はいません。一万人だなんてありえません」

冷静な雄星と違って守は半ベソになりながら叫ぶように言った。

「守、無駄だよ、全て記録されている。今は、おとなしく付いていくしかなさそうだ」雄星は守を諭しながら慰さめた。

 二人が警官に連れていかれるのをクラス全員と見とどけた悠里は小さな声で「私を襲ったんじゃなかったのね」と呟いた。



 それから三か月、世間では守たちみたいに逮捕される人が続出した。内面の画像があるため直ぐに有罪が確定して裁判が長引くということはなかったが刑務所は大変なことになっていた。既に内面犯罪者の方が通常の犯罪者の数を大きく上回り、刑務所はこれまでの倍あっても足りないくらい不足していたのだ。政府は初犯には刑を課さないとか刑を短くするとか対策を取り始めていた。

 そしてついに守と雄星も学校へ帰ってきた。クラスのみんなは拍手で二人を迎えた。

 野党に屈する形で施行された内面犯罪法によって逮捕された人達は全て無罪になったのである。特捜部のサーバーに全ての証拠が記録されているというのが逮捕の決め手だったのだがサイバー攻撃をうけた跡が見つかったのだ。

 悠里が立ち上がりながら二人に向かって

「もう私の裸想像してもいいわよ」とニコニコしながら言った。

そう、胸の端末を貼る義務もなくなったのだ。

守は「ありがとう、たっぷり想像させてもらうよ」と他の女子たちも見ながらおどけてみせた。

「キャー、変態」美智子も嬉しそうに叫んだ。


「諸君、ぼくらはこんなに呑気にしていていいのだろうか、ぼくら二人は一瞬のうちにこの大事な青春時代を三か月間も奪われたのだ。これは誰の身に起こっても不思議でない出来事だった。今回は運良く三か月間で済んだというべきだろう。この先、政府はまた「テロ等準備罪」など名前を変えて法案を出してくるに違いない。こんな政府にぼくらの将来を任せていいのだろうか? 今こそぼくらは立ち上がるべきだ。声をあげるべきだ。みんな共に戦おう!」

雄星が教壇で熱弁を振るった。


 個人的犯罪を未然に防ぐという隠れ蓑を使って施行された組織的犯罪や反政府勢力の横行を防ぐための「内面犯罪法」は皮肉にも最強の反政府勢力の指導者を生み出したのかもしれない。



                    終わり

      

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

内面犯罪法違反 岩田へいきち @iwatahei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ