第21話「参謀長」

”いかなる名将においても、失敗は必ず犯すものである。

 名将と凡将を分ける大きな壁は、不測の事態に陥った時、的確な対応を行えるかどうかである”


ジョージ・パットン将軍 ウェストポイント陸軍士官学校での講演より




 右か……、左か?


 情報を集める時間はない。意見を出し合う時間も無い。

 ただ、己の判断を信じるのみ。


 固唾をのんで見守る幕僚たちの前で、パットンはひたすら地図を凝視する。


 左には新型の重戦車。右には今のところ何もない。

 重戦車2輌ではこれだけの戦車を防げない。こちらを右に誘導するブラフだと考えるのが普通。そう見せておいて本命の罠は左だと言う手かも知れない。

 勿論両方に罠を張っている可能性もあるが、大公派の戦力を考慮すると考えにくい。


 そもそもそれだけの戦力があれば、この様なもって回った謎かけなどしないだろう。


 相手が凡庸な指揮官なら、迷わず左を選ぶところだ。

 一度始まった攻撃を中止して矛先を他所に向ければ、隙を晒し犠牲を伴うし、むしろ懐に飛び込んだ方が、結果的に被害を抑えられる。

 何より指揮官は泰然としているべきなのだ。見えない罠に怯えて方針を左右するなど、あってはならない。


 だが、目の前の敵将が難敵であるのは今までの戦いと、今自分が翻弄されている事実からも明らか。

 ならば右か?


(……いや、指揮官が逆張りで決断すべきではない!)


 こうしている間にも化物戦車の砲撃で被害は広がってゆく。


 どうする? どうすれば……?


「閣下、時間がありません! いっそコインでも投げて決めてしまいましょう!」


 フェルモが意図して言ったのかは分からない。

 だが、その無責任な提案で胸のつかえが消えてゆく。


 どうせ確率は二分の一。判断材料が足りないなら、理屈で考えなければいい。

 そもそもあの赤毛の将軍は、何を思って罠を仕掛けた? 自分が奴なら……。


 にいっと、パットンの口角が吊り上がる。


「……青いな、小僧」


 初めて視線を地図から上げた彼は、迷いのない確固たる声で命令を下した。


「全軍を右に進路変更させろ!」


 司令部スタッフは弾かれたように動き出す。並べられた無線機が回線を開き、前線に方針を伝える。

 左側の進路上・・・・・で待ち伏せる大公派の兵士たちの眼前で、パットン率いる機甲部隊は大回頭を開始した。




◆◆◆◆◆




 開かれていた顎を外れて去ってゆく敵機甲部隊の報告に、さしものアルフォンスも手に持った水筒を取り落とした。

 パットンほどの指揮官であるなら、逆張りは絶対に選択しない。リスクとメリットを天秤にかけた上で、前進を選ぶはず。そう考えた。


 彼は、読み負けたのだ。


「しゃんとしなさい。まだ負けてはいないわ」


 ヴェロニカから拾い上げられた水筒を受け取り、乾ききった口内に水を流し込む。


 そう、まだ負けてはいない。負けてはいないが……。

パットンの槍は大公派の喉笛、つまりここを一直線に目指してやって来る。

 司令部が潰されれば戦線は、いや大公派そのものが崩壊しかねない。


 積み上げられるむくろの山はいかほどか……。

 熾烈な防衛戦になるだろう。

 カタリーナやファビオ、そしてレナートの顔が浮かんでは消えてゆく。


 ひたすらに申し訳なく、そして悔しい。


「気負い過ぎよ」


 おもむろにヴェロニカが言う。

 驚いて見つめた女の表情からは、不思議と焦りの色は感じられない。


「そもそもあなたの役目は、作戦のお膳立てでしょう? パットンとの読み合いは本来、私の仕事だわ」

「それは……、そうだね」


 確かに気負い過ぎた。

 将帥としてはともかく、戦術家として自分が彼に及ぶはずがないのに。


「ついでに言わせてもらうと、ああ言う化物を理屈で推しはかろうとしたら失敗は当り前よ。パットンに寄って考えてもダメ。パットンの方を自分に寄せないとね」


 ヴェロニカの言葉も多分に直観的なものだったが、的を射ているように感じる。

 「パットンは、おそらくこう考えるであろう」では駄目なのだ。「自分がパットンならこう考える」でなければ。

 些細な違いだが大きな差であり、それをやってのけるだけの実力や経験は、恐らく今の自分にはない。

 自分は異物を除外しようとして、本質を排除してしまったのだ。


 拳に力が入る。


「それで、どうするのかしら?」


 問いかける彼女の目は、期待に満ちていた。

 母の実家で飼っていたグレイハウンドを思い出す。彼女は小型犬なのに元気な奴で、こちらがくたくたになるまで遊んでやらないと満足しないのだ。


(そうだな、僕の武器・・パットンあの人の真似じゃない)


 自分の武器は、敵将を洞察する事ではない。

 アルフォンソ・アッパティーニの武器は、彼女・・だ。


「君に任せる。必要なものがあれば大公陛下を泣き落としてでも手に入れる。僕の首一つで済むことまでならイリーガルなやり方も許す」


 金髪のグレイハウンドは、投げられたボールを追うような溌溂さでほくそ笑んだ。


「そうこないと面白くないわ」


 その時、盤上の敵部隊の動きが唐突に急停止する。

 どういうことだ!? 向き直った参謀長は、してやったりと鞭を手に叩きつけた。


「こんなこともあろうとね」


 采配に胸を張るヴェロニカには、既に鬼神イフリータの貫禄があった。

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