第18話「策略」

”思えばあの迂闊な一言が、私と将軍を今の様にと繋いでしまったわけですが……。実のところ、さほど後悔はしていません。

 していませんが、妻にはよく「あの英雄さんは、いつも私から貴方を奪ってゆくのね」と、冗談交じりに愚痴られますね”


フェルモ・スカラッティ 『口ひげ参謀の従軍録』の出版記念パーティのスピーチより




「気に入らん。上手く行きすぎる」


 ジョージ・パットン中将は吐き捨てるように言い放った。

 眼前に広がる“戦場の空気”にと直に向かい合いながら。


 高台に設置した前線指揮所からは、一応だが戦場を俯瞰できる。

 進撃を想定した仮設のものだから、インフラ面で大公派に大きく劣る。が、仮設であるがゆえに機動力で勝る。彼にはこちらの方が向いているだろう。


 半ば現実逃避気味にそんなことを考えようとするが、パットンと共にやって来たアメリカ人の参謀たちは一斉に、新顔・・であるフェルモを無言の目線でけしかける。

 将軍閣下の「気に入らん!」が始まった時・・・・・は、彼が火の粉をかぶる事になっていた。


「なにが、でしょうか?」


 上官は諦観交じりで聞き返すフェルモを見やり、舌打ちで答えた。

 解読した暗号通りに、後退のそぶりを見せている大公派軍が気にかかるようだ。


 それは、正しく経験を積み上げた者が場数を踏んで、ようやく持ちうる嗅覚だろう。フェルモにはとても共有できない感覚だった。


 もし大公派の戦いぶりから不穏な動きを洞察できるのだとしたら、パットンと言う将軍は間違いなく名将だろう。

 本当に古代カルタゴに生まれていたら、ハンニバルと連携してスキピオを破り、ローマを滅ぼしていたかもしれない。そんなことを思う。


「ここ2週間の大公派やつらは、確かに消極的な戦術しかとってない。上の連中軍事顧問団はそれを撤退の兆候と見たんだろうが、あっちの戦い方は『若さ』そのものだ。そう言う戦い方をする奴が、おめおめとただ後退する筈がない」


 参謀たちが顔を見合わせる。

 誰かが「確かに……」とつぶやいた。


「この後退を仕組んでいる・・・・・・のは、間違いなくあの小僧だ。俺たちが罠にかかるのを手ぐすね引いて待っている」


 今朝がた起きたドダス軍港奇襲で、上はハチの巣をつついたような大騒ぎだ。

上級司令部は前線用こちらの偵察機や連絡機を、哨戒機として引き抜くとまで言い出す始末。パットンが怒り狂ったのは言うまでもない。


 もっとも、そんな彼の不機嫌は、手元に届けられた新聞報道をきっかけにぴたりと治まる。

 奇襲攻撃の立役者である大公派の若き提督について経歴を何度も読み直し、彼の銀髪について確認すると、今度は上機嫌で従兵にコーヒーを持ってこさせた。


「では、如何しましょう? 適当な地点まで進撃し、防御陣地を築きますか?」


 参謀長の提案は常識的で手堅い対処と言えた。

 だが、それは却下せざるをえない。


「まだ佐官クラスの経験が足りん。臨機応変な対応は、優秀な現場指揮官が揃わなければ無理だ。強行すれば、連携の隙をついて手痛い反撃を受ける」


 優秀な現場指揮官。例えば、大公派むこうのようにですね。

 余計な言葉だと分かっているから敢えて口にはしない。

 確かに帝国派我が方は物量や兵器の性能では隔絶しているが、見えない部分で大公派相手側に水をあけられている。


「誰か何か気づいたことは無いか? 何でも構わん」


 トップダウンに見えて、彼は良く意見を求める。

 だからこそ潤沢な物量を前に楽観論漂う現場の兵士たちと違い、幕僚たちには常に緊張感があった。


「そうですね……」


 何か歴史上に同じような例が無いかと考え、ひとつの事例が思い浮かぶ。


「その昔、日本のサムライたちが争った時代に『釣り野伏』という戦術があるそうですね。後退を装って有利な位置に誘い込み、待ち伏せた伏兵と共同して反撃に移るという……」


 パットンは、ぎょっとしたようにフェルモを見つめる。


「……おいヒゲ、お前名前は何だったか?」


 反射的に苛立ちが顔に出てしまう。

 さんざんやり取りした自分の名前を憶えていない事より、自慢の口ひげを揶揄されたことにむっとするフェルモである。婚約者もこのヒゲが素敵だと言ってくれたのだ。

 だがパットンは気にしない。


「……フェルモ・スカラッティ少佐です」

「フェルモ少佐だな。お前、何故日本の戦術なんぞ知っている?」

「はぁ、日本人と戦う以上はその辺りも学んでおくべきかと思いまして」


 パットンは顎に手を当て少しだけ思案する。

 面倒ごとの予感がした。


「フェルモ少佐、貴官を『司令官付特別戦術補佐官』に命じる。これから立案する作戦の意見を寄こせ」

「は?」


 そんな肩書聞いたことがない。

 ざわつく参謀達の中で、フェルモは一人全く状況が呑み込めていない。

 執筆の時間が大きく削られることだけは分かったが。


「一応聞いておくが、上申の回答は?」


 問いを投げられた参謀長は、言いにくそうに命令書を読み上げる。事実上の帝国派を動かしている軍事顧問団からの指令だった。

 迂闊な攻撃を控えるべき、と言うかこちらの好きにやらせろという上申への回答は、「進撃せよ」であった。


 それはそうである。

 戦場の空気を知らない者たちが、現場の人間のだけを根拠に方針を決めるよう求められて受け入れるわけがない。しかも、フリーハンドを寄こせなどもっての外。

 パットンもさほど期待していなかったようで、「まあいい」と聞き流す。


 どうやらハンニバルと同様に、パットンもまた孤独な戦いを強いられる事になりそうではある。


 だが彼はこの現実を諦観ではなく、征服する岩山を見上げる登山家のごとき情熱で受け止めた。

 彼は戦争を愛している。例え上層部の無理解があろうとも。


「だが、敵に若さがあるなら、俺には欧州大戦を勝ち抜いた”老獪さ”がある。そうだろう?」


 参謀たちは敬礼とともに同意する。

 彼を人間として嫌う者も多かったが、指揮官としての能力を疑う者はいない。

 そして、パットン最上の武器である”勇猛さ”は、若者時代から何ひとつ失われてはいなかった。


「命令通り進撃はする。だが、やり方を変える」


 しかし参謀たちは難色を示す。

 パットンが地図を指さしながら方針を説明してゆくにつれて、全ての負担が司令部に集中すると気づいたからである。


「戦闘中は現場から入る大量の情報を処理しつつ、適切な指示を下さねばなりません。現場指揮官が未熟であればなおの事です」

「貴様ら、俺を誰だと思っている?」


 懸念は不敵な笑みにかき消された。

 こんな時、叩き上げは強い。過酷な状況を生き残った実績と、そこで得た貫禄は千の言葉に勝る。


 パットン軍団の強さは旗下に情報収集を専門にした部隊を持ち、敵情をリアルタイムで手元に集めることにある。

 クロアに着任するなり同様の組織を立ち上げ、既に脅威度の低い実戦を何度か経験させている。まだ頼りないが行けるはずだと勇将は読む。


「とは言え、何か保険があった方が良いのでは?」

「保険?」


 何気なく口にした保険と言う言葉に、パットンが即座に食いついた。今までの無視が嘘のようである。


「万が一こちらの攻撃が頓挫した時に、大公派の追撃を挫く一手が欲しいです。例えば、後退時に居残りの部隊を潜伏させて、通り過ぎた敵を背後から襲うような」

「下らん、そんなことをすれば居残り部隊は捨て石に……まてよ?」


 叱責を途中で止めたパットンは暫し思案し、にやにやと笑みを浮かべる。


「でかしたぞフェルモ!」

「えっ?」


 褒められたのにもかかわらず呆けた表情を浮かべたのは、勿論先ほどとは正反対の評価に戸惑ったからだ。

 

「どうされるので?」


 話が進まないと割って入った参謀に、勇将は答える。


「だから、保険だ」


 言うが早いか、人差し指を動かしてフェルモを呼び寄せ、参謀たちに指示を出す。


「誰か紙とペンを寄こせ。必要な物を書き出す。それから、優秀な戦車兵を選抜しろ」


 パットンは、会議室の大机に紙を目一杯広げ作戦のプランやタイムスケジュール、必要な戦力、人材、物資を書き出してゆく。


「何故このような大きな紙を?」

「思いついたことをすべて書き出せるようにな。ノートのように小さいものに書くと、つい書き漏らしてしまう情報が出る。そういったものが案外重要だったりするんだ」

「な、なるほど」


 そんなやり取りの間にもパットンの脳髄はフル回転しているようだ。

 少しずつ組み立てられてゆく作戦案に、黙って見守っている参謀達の表情が驚きに変わって行った。

 何事も正道を好むパットンが、このような搦手を巧みに使いこなすのにも驚いたが、何より常識の裏を突いた発想力に感嘆せざるを得ない。

 それは、「イリッシュの戦い」を象徴するプランであった。


「驚いている場合じゃないぞ、補佐官。この計画に足りないものを指摘してみろ」

「そ、そうですね。見積もった戦力だと、歩兵と物資が心もとない気がします。古代中国では1両の戦車チャリオットを大勢の歩兵が護衛しました。突出した状況で接近されると脆いのは、戦車もチャリオットも同じです」


「ふむ、だが悪路を走行するからハーフトラックは使えんぞ?」


 そう言いながらも鉛筆を動かす手は止まらない。

 彼の脳内では、自軍のリソースをどう組み合わせるか、そして敵がそれにどう対応するか? の演算が高速で行われていた。


「待て、手はある。……そうすれば、もう少し大規模な作戦ができるな。いいぞフェルモ、もっと案を出せ!」


 先ほどまでは無視されていたのに、気が付いたら彼の傍らで案を出せと命じられている。

 パットンと言う男、一度有能だと認めた部下は離さない。厚遇する代わりに使い倒すので、認められたことを喜ぶべきか微妙なところではあるが。


 結果、フェルモら参謀たちは、徹夜で作戦を仕上げることになった。

 夜通し脳を酷使し疲労困憊の彼らに、まったく疲れを感じさせないパットンは、がははと笑って言った。


「良い作戦ができたぞ。ライズ人もやるじゃねえか!」


 この一言を賜ったとき、彼の無茶苦茶を許せるようになっていた。

 きっと騙されているとわかっているのだが、何故か怒れなくなっている自分がいる。


 フェルモは、自分の負けを悟った。

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