第14話「兄と弟」

”「イリッシュの会戦」で祖国の命脈を繋いだ兄のアルフォンソと、後に「ツェントルム海戦」の立役者となる弟のレナート。後の人々の間でいつも話題になるのは、どちらがより大きな功績を残したかである。

 当然ながら比べようのない、酒の肴止まりの話である。唯一言えるのは、それほどの名将が2人も生まれたこと――それも陸海の双方に分かれて同時期にだ――は、厄災続きの公国大公派にとって福音であった。

 そして我が帝国派にとっては、とんだ災厄にと他ならなかった。”


フェルモ・スカラッティ著『クロアの野火』より




 作戦実施の是非を問う御前会議は、つつがなく終了した。


 その実、下話は既に済んでいる。

 要は「じゃ、そういう事になったから」と、大公カタリーナに宣言させて周知させる為の会議――と言うより、半ばは「儀式」みたいなものだ。

 カタリーナに至ってはその後に、武の賢者ファウストゥスにと戦勝の祈りを捧げたりもする。

 激論を交わしたり、誰かが熱弁を振るったりと言う様な事は特になく、段取りと責任者を確認して会議は2時間ほどで終了した。


 とは言え、ここにと至るまでの前段階の根回しには、恐ろしく手こずった。

 何しろ一時的とは言え、戦線を大幅に下げるのだ。暗号の件は飯村が抑えてくれたとは言え、日本義勇兵の幹部からは「内地の人間は何を考えているのだ?」と言う愚痴を散々聞かされた。


 そう言った人間を宥めすかし、必要な物資や便宜を融通してもらうのがアルフォンソの仕事である。

 コツは、最初のうちはまず言わせたいだけ反対意見を言わせ、「仰ることは確かに正しい」「慧眼です」と誉め言葉を交えた相槌で応じつつ、相手が言い疲れた頃におもむろに説得にかかるのだ。


 食事を共にするのも効果が高いと言うのは、日本に赴いた時飯村に教わった。確かに有効な手だったが、夕食を3度もハシゴするような経験はもうしたくない。

 彼にとっていつもの仕事と言えばそうだが、これを連日行うのはなかなかに来るものがある。

 しかしルーチンとは言え、防衛戦闘の指揮をヴェロニカに一手に引き受けてもらっているのでそうそう弱音は吐けない。


 今この瞬間にも、多くの友軍兵士が死んでいるのだ。


 それでも最初にダウディング大将を口説き落としたのが、功を奏した。

 頑固一徹の彼は、作戦計画を読むなり強硬に反対したが、一度納得するとそこからは早かった。

 今までの態度を改め、説得工作を進んで分担し、意固地になる者には義勇軍総司令の肩書で黙らせさえしてくれた。


 人の和を欠いた計画ほど、綻びやすい物は無い。

 それを骨身にしみて理解しているアルフォンソである。




 会議終了と共に書類を閉じる。

 これが終わったら輸送機で前線までトンボ返りであるが、敢えて時間の余裕は確保している。

 何故なら……。


「やあ兄さん、昇進おめでとう。何時かそうなると思っていたけど、こんなに早く階級で追い越されるとは思わなかったよ」


 3ヶ月ぶりに顔を合わせる弟レナートの立ち振る舞いは、照明を反射せんばかりに煌めく銀髪と相まって、いつもの様に絵になる。


 彼も後方攪乱の一環を成す「艦隊を率いて帝国派のドダス泊地に奇襲殴り込みをかける」と言う無茶な作戦を担当している。そのせいで昼夜を徹した作業の筈だが、疲れた様子はまるでない。

 勿論疲れていないわけではなく、それを見せないだけなのだが、我が弟ながら格好の良い男だと自慢に思いもする。


「こっちも、戦死したわけでもないのに二階級特進するとは思わなかったよ。准将や少将が司令官だと、釣り合いが取れないんだそうだ」


 アルフォンソは司令官を拝命する際、同時に陸軍中将の肩書を得ている。

 実力主義の世界とは言え、軍隊も結局は官僚組織である。星の数が多い程、話を通しやすいのは当然だ。

 ついでと言うのは何だが、参謀長のヴェロニカも中佐に昇進である。クロア公国の機甲部隊は若い組織とは言え、26歳で中佐は驚異的な出世ではある。


「……敵は”あの人”なんだろう?」


 苦笑もするレナートは、どこか懐かしげでもある。


「勝つさ」


 2人で共有した体験と、思わぬ再会に適当な言葉が見つからず、ただそれだけ答える。

 レナートも、それ以上何も言わなかった。


「しかし、ただの攪乱で拠点に殴り込みとは……お前も随分思い切ったものだね。うちの参謀長も面食らっていたよ」


 確かに「海軍に別作戦を行わせる」と言うのはヴェロニカの案だが、何とそれを敵拠点への夜襲と言う奇策で持ってぶち上げたのはレナートである。

 それを聞いたヴェロニカは、「貴方の弟は馬鹿なの?」と言う遠慮のない感想を吐いた。その後詳細を聞くと「やっぱり兄弟ね」と、妙に納得した顔で呟いていたが。




 現在、公国海軍(大公派)の主力は旗艦の戦艦〔ヴィットリオ・ヴェネト〕を中心とした新鋭艦群だが、それらは、専ら海の向こうのゾンム帝国海軍との睨み合いで大忙しである。

 もし下手に動かしてゾンム帝国の艦隊が参戦し、主力がいない隙を突かれたら。我が方は頼みの綱である海上輸送路を、ずたずたにされる。


 もちろんゾンムの方も、今戦端を開くのは得策では無いと判断してはいるようだ。

とは言えこちらが隙を見せれば。後ろから軽く一太刀、斬りつけてみようかと言う欲も出てくる可能性はあるだろう。


 そこでレナートは、二線級予備戦力となっている旧式艦を使って戦果を上げる事でクロア海軍の価値を高めて手札を増やし、帝国派にリソースを割かせる事を考えた。

 旧式艦だと思って重要視していなかった戦力が、意外に使える事を証明する。そうなれば敵はそれを警戒し、対抗する戦力を追加で用意しなければならない。


 砲弾や原油の補給ばかりでなく、海上を警戒する航空機や漁船を徴用しての警戒網も、大幅に強化する必要があるだろう。

 そしてもちろん、それらの任務は兵隊だけで行えない。戦時において宝石より貴重な、士官や下士官を張り付けて置かねば現場が回らない。


 失敗したらしたでもだ。「大公派は二線級の戦力を使って、殴りこみをかけてきた」と言う事実は残る。結局はある程度警戒はしなければならない。

 要は「俺達はやる気だぞ」と言う意思を行動で示せば良いのだ。


 極端な話、大被害さえ出さなければ。ちょっと脅して逃げ帰ってくるだけでも、最低限の役目は果たせるのである。


 諜報機関からの情報から判断しても、成功の目はある。ゾンムは大量の大型爆撃機と戦車を帝国派に供与したが、そのせいでかなりの無理をしている。

 本来ならば後方の警戒任務に必要な、航空機や車両の要員や補給物資を引き抜いて前線に回しているようなのだ。人員は変わらないのに、より乗組員が必要な大型の機材にと無理に振り替えたら、当然そう言う事になる。


 夜陰に紛れて泊地に接近できればしめたもの。何発か砲弾を撃ち込んで引き上げるだけで、敵方は大騒ぎになる。

 加えて言えば、面目の方も丸潰れとなるわけだし。


「そう、それだよ! 兄さんの参謀長は面白い。是非ゆっくり話してみたい」


 また悪い癖が出たなと、内心で溜息を漏らすアルフォンソ。

 

 この弟が女性を見る基準は、「面白いか、そうでないか」である。

 個性的かどうかではなく、あくまで「自分が面白いと感じるかどうか」である。

 人並みに面食いではあるものの、顔が良くても普通の女性は。寄って来られても適当におだててお帰り願う。逆に一度(面白い!)と判断した女性は、容姿など気にも留めない。


 最近の例で言えば、公都の食糧事情を調べると言ってゴミ箱の蓋を開けて回っていた女学生を見初め、彼女を質問攻めにしたのが恋の始まりだと言う。

向こうは論文の執筆に夢中で、男性としては見向きもされなかったそうだが。

 それでも、「あれは面白い女性だった」と喜々として語るレナートである。


 「面白い」という点では、ヴェロニカの毒舌も人後に落ちない。

 何しろ「スターリンは子供好きの好人物である」と言うプロパガンダ記事を一読して言った台詞が、「彼がウクライナで大勢の子供たちを飢え死にさせたのは愛情の発露なのかしら? とんだ・・・変態性癖・・・・ね」である。

 同室にいた若い従兵の顔が引きつっていた。後で聞いた話では母親があの新聞の愛読者で、彼女の話を聞いたらどんなに怒り狂うか想像したそうである。


 レナートなら彼女の毒も見事に受け止めるだろう。ある意味理想的な組み合わせかも知れない。

 そんな事を想像した時、何やら喉に引っかかった小骨の様に、自分ではどうしようもない焦燥感を感じた。レナート風に言うのなら「面白くない」である。


 33歳の中将は、その正体に気付いていなかった。




◆◆◆◆◆




(これはこれは……)


 一方のレナートは、兄の反応からその心情をほぼ正確に推し量っていた。

 「怒らない男」などと言われているが、アルフォンソは一度執着を見せた者に対しては極めてウェットだ。


 父親が「赤毛である」と言うだけの理由で亡き側室生母の遺髪を取り上げて、実家に送り返そうとした時、父親の指に食いちぎらんばかりに噛みついた事がある。

 後で知ったレナートが手を回してこっそり遺髪を取り戻したが、使用人が取り押さえなければ本当に父の指を食いちぎっていたかも知れない。彼はそんな情念を持っている。


 一瞬だけ「何か出来る事はあるか?」と考え、すぐ放棄した。

 野暮と言うものである。


「応援するよ。頑張れ兄さん」


 それは、彼らしくないストレートな表現だったが、きっとそれが一番の言葉だと思った。


 両親の期待や周囲の嫉妬に押しつぶされそうな時、兄は必ず落ち込む弟を目ざとく見つけて傍らに腰を下ろす。

 彼に「ひとりにしてくれ」は通じない。邪険にする態度は強がりであると見抜かれていた。

 愚痴をぶつける時も、馬鹿話に花を咲かせる時もあった。理不尽な怒りを向ける時すらあった。

 だけど兄はどんな時でも来てくれて、話をした後は少しだけ明るい気持ちになれた。


 そんなアルフォンソだから、はねっかえりの一人くらい幸せに出来るし幸せにもなれる。

 しかし兄からの返事は、割と斜め上を行っていた


「任命してくれた大公陛下の期待には応えるよ。勿論、お前やファビオ先輩の期待にも」

「いや、そっちじゃなくて!」


 きょとんとするアルフォンソに、レナートは困った様に頭に手を当てた。


(あの敏いアル兄さんは何処へ行ったんだ?)


 兄は色々あって異性に自分の領域に踏み込ませなかったが、変われば変わるものである。

 だけど、33歳になってこんなんで大丈夫なんだろうか?

 いつもは奔放さでアルフォンソをやきもきさせるレナートだったが、今回ばかりは彼が頭を抱える番だった。

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