第51話

「なんだ! このおにぎりはっ!? 塩辛くて食べられたものじゃないぞ!?」

「蓬さん! 味が分かるんですか!?」

「……っ!」


 蓬が小さく声を漏らした時、莉亜の耳に大きな縄が斬られるような音が聞こえてくる。その後、小さな耳鳴りがしたと思うと、蓬の身体から真っ二つに斬られたしめ縄のような光輝く白い縄が落ちたのが見えた。縄は白い粒子状となってすぐに消えてしまったものの、その白い縄が今まで蓬の味覚を封じていたのではないかと莉亜は考えたのだった。

 辺りを見渡すとどうやら莉亜以外には縄が見えていないようで、蓬は貪るようにおにぎりとすいとんを口に運び、そんな主人の姿を切り火たちはどこか嬉しそうに酒粕を食べながら見ていたのだった。



「味が分かる。分かるぞっ……! これまで失うばかりで回復しなかったというのに……。どんな小細工をしたんだ?」

「細工なんてしていません。強いて言えば、料理を口にした時の相乗効果と変調効果を利用したくらいで」

「相乗効果と変調効果?」

「相乗効果というのは二つの同じ味を足したことで味が増すことを言います。丁度すいとんに入っている椎茸の出汁と昆布の出汁がそうです。同じ味であるうま味が掛け合わされたことでうま味が引き立たせられて、より味を感じられるかと思います」


 料理が美味しくなるように仕上げとして加える別の味の調味料や食材のことを「隠し味」と呼ぶが、その相互効果にはいくつか法則が存在する。

 一つが先程のすいとんの出汁で使った椎茸の出汁と昆布の出汁のように、二つの同じ味を合わせることでその味をより強める相乗効果。もう一つが食べる順番によって味が変わってしまう変調効果であった。それ以外にもコーヒーに砂糖を淹れることで苦味が弱まるように、他の味を少量加えることで元の味が抑えられる抑制効果、お汁粉に少量の塩を入れることで甘みが増したように感じられるように、他の味によって元の味が強まる対比効果がある。今回莉亜が利用したのは、その内の相乗効果と変調効果であった。

 味覚を失った蓬に普通に塩おにぎりを出しても意味がないと考えた莉亜は、少しでも味を感じてもらえるように塩味が増す方法を考えた。当然塩の量を増やすことも考えたが、それでは蓬の思い出の味というセイの味から遠ざかってしまう。どうにか塩の量を変えないで塩味だけを濃く感じられないか模索した結果辿り着いたのが、この「隠し味」の仕組みであった。

 先程の蓬の目の前で塩を振ることで塩辛いと脳を錯覚させたように、味覚を刺激して味を感じさせる方法として、味の変調効果を利用することで塩味を強く表現できないか自宅で試した。その中で椎茸の出汁から抽出されるうま味を食べた直後に塩分を摂取することで塩味が増すことを知ったのだった。

 莉亜が用意してきたすいとんの出汁は昆布から抽出した出汁を加えたものの、それ以外は全く味付けをしていないため、椎茸の臭いとうま味しか味がしないほとんどお湯も同然の出汁であった。それを飲んだ直後におにぎりを食べたことで、既に塩を振ったことで塩辛いと思い込んでいるおにぎりの塩味をますます感じられるだろうと考えたのだった。また椎茸と小麦粉には味覚の回復に役立つ亜鉛を多く含んでいるので、他の組み合わせで味の相乗効果を起こすよりも椎茸の出汁を使った方法が良いと考えたのだった。


「蓬さんは私たち人間と違って神様なので亜鉛が味覚を治すのに効くとは思っていませんでしたが、気休め程度でも味覚を治すのに役立てればと思って、椎茸出汁のすいとんを用意してきたんです。出汁を摂る際に使った水はお供え物に良いと言われている湧き水を取り寄せて使いました。セイさんも神社の湧き水を使っていたと話していましたよね。時間は掛かりましたが、なるべくセイさんが使っていた湧き水と近い味のものを使いました」

「相乗効果のことはよく分かった。で、変調効果というのは?」

「料理って食べる順番によって、味が変わったり、増したりするんです。ケーキを食べた後にフルーツを食べると酸味を感じられたり、濃い塩味のものを食べた後に水を飲むと甘く感じられたりします。二種類の違う味を続けて食べることで、後に食べる味が変化することを変調効果って言うそうです。隠し味のコツとして本に書かれていました」


 前に食べた味が残っている状態で他の味のものを食べると味が変わることがある。しょっぱいスルメを食べた後に甘い蜜柑を食べると苦く感じられるように本来の味がしなくなることを変調効果と言う。複数の料理を作りながら味見をした時と実際に料理を出した時に味が違うということがあったとしたら、それは料理を作っている際に複数の違う味の料理の味身をしたことで味の変調効果が起こったというのが原因らしい。

 その変調効果の中に酸味や濃い塩味を味わった直後に水を飲むと甘く感じられるというのがあった。蓬がセイのおにぎりを食べた時、印象に残ったという「塩辛さと甘さ」も、塩の辛さに加えて、同等の甘さをしたのではないかと考えられた。だが米本来の甘さにも限度があるので、それ以外の何かが甘さの引き立てたのだということには気付いたが、肝心の甘さを引き立てたものが何かが分からなかった。

 そこで問題になっていたセイが神饌に使っていたという清水について地域や採水方法による味の違いを調べる中で、神棚へのお供え物に適しているとされている湧き水がどの水よりも甘みを持っていることを知ったのだった。実際に莉亜も何種類かの湧き水をインターネットで取り寄せて、自分で握った塩おにぎりと共に飲食したところ、蓬が話していたセイのおにぎりの味である塩辛くて甘い味に近いものを見つけることが出来たのだった。

 そのため、蓬も清水で作られた汁物を飲んだ塩後に辛いセイのおにぎりを食べたことでおにぎりの味に変調効果が起きた。ついでにその清水の甘さが粗塩の苦味を抑える抑制効果も発生したことで、苦味を残しつつも塩辛さと甘みをより感じたのではないかと思ったのだった。

 

「セイさんのおにぎりが塩辛くて甘く感じられたのは、食材そのものの味と目の前で塩を振る姿を見たことに加えて、清水として供された湧き水の甘さが塩の辛さに変調効果をもたらしたと思ったんですよね。湧き水というのは水道の水よりも甘い味がするそうです。湧き水の甘さとおにぎりの塩の辛さがセイさんのおにぎりの味をより印象付けたのだと思います」


 莉亜の説明に蓬は呆気に取られていたものの、やがて呟いたのだった。

 

「そんなことが起こるのか……料理というのは奥深い……。いや、俺が無知なだけなのか……セイのことばかり考えて、料理のことを何も知らなかった。そこまで考えが及んでいれば、きっと味覚を失う前に見つけられたのだろうな……」

「でも味覚を取り戻したということは、神力が戻ったということですよね。きっとこれからもっと力を取り戻せますよ。そうしたらセイさんを探しに行きましょう。慌てずゆっくり……セイさんもしばらくは今のままで大丈夫だと話していました」

「そうだな。これからこの味を作れるようになればきっと神力を回復するだろうな。手当たり次第に誰かに食わせるか」

「あの、これはあくまで私の想像ですが……。蓬さんが神力を回復する仕組みが分かったような気がします」

「そんなことまで分かるのか?」


 期待するように目を輝かせたので、莉亜は腰が引けそうになる。ただこの機会しか言えないだろうと思ったので、迷った末に言ってしまうことにしたのだった。

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