第50話

「神饌に使われている塩が粗塩だということは分かっていた。だが粗塩でおむすびを作った時はセイのおにぎりに似ていつつもどこか違っていた。甘さが足りないと言えばいいのか、あまり塩辛く言えばいいのか……。あれは食塩が入っていなかったからだったのか」

「料理としておにぎりに適しているというのは白米との相性が良い海塩らしいです。その海塩には大きく分けて二種類あります。一つはにがりといったミネラルを残した粗塩、もう一つがミネラルを除いた精製塩である食塩です。食塩にはにがりが含まれていない分、刺すような塩辛さがあるそうです。食品の甘さを引き立たせる辛さも。きっと蓬さんが最初に食べたおにぎりは、粗塩に対して食塩の割合が大きかったのかもしれません。それで粗塩の味よりも、食塩の塩辛さの方が印象に残ってしまったとか」

「つまりセイのおむすびが塩辛いという錯覚に囚われていたということか?」

「錯覚に囚われていたというよりは、そうだと信じていたんだと思います。セイさんのおにぎりは塩辛いって。記憶の中の味って印象的なものほど残りやすいそうです。最初に食べたセイさんのおにぎりの味付けがとても印象的だったことで、最後に食べたセイさんのおにぎりの味にも影響を及ぼしてしまった。それから更に長い時間が経ったので、どこかで記憶が変わってしまってもおかしくないですから」


 実際にセイのおにぎりを食べた時の莉亜も目の前でセイが塩をかけたことで、セイのおにぎりは塩辛いものだと思い込んでしまった。口にした時も塩辛い味付けだったので莉亜もそう思っていたのだが、味を感じる仕組みが分かってしまえば、セイのおにぎりはそこまで塩辛いものじゃなかったと考えが変わる。

 蓬におにぎりを運ぶようになった最初こそ塩加減が分からず、セイは塩をたくさん混ぜてしまったのかもしれない。塩辛い味が好みということもあって、蓬に出す時にも塩も振ったのだろう。そのため、蓬はセイのおにぎりが塩辛いものだと認識してしまい、それはセイのおにぎりに関する印象的な記憶としても残ってしまった。もしかしたらその後、セイのおにぎりは一般的な味をした塩おにぎりに変わったかもしれないが、蓬の記憶の中のセイのおにぎりは塩辛いものとして記憶されてしまったので、「セイのおにぎり」と言われたら、真っ先に塩辛い味のものを想像するようになったのかもしれない。


「言われてみれば……。最初にセイのおむすびを食べた時の衝撃は大きかった。力が回復したこともそうだが、見た目に反して口を刺すような塩の辛さに驚いたものだった。それがセイのおむすびとして記憶に残ってしまったのだな」

「料理は見た目や匂い、料理名といった情報が味を決めてしまっているようなものですからね。見た目と違う味だったことで特に印象に残ったのかもしれませんね。じゃあそんな料理科学のお話はこれくらいにして、冷める前におにぎりとすいとんを飲んでください。あっ! 食べる順番はすいとんからですからね!」

「味が分からないのに、どっちが先とか関係ないだろう」

「細かいところは気にしなくていいので、まずは騙されたと思って、すいとんから飲んでみてください!」

「分かった。……いただこう」


 莉亜は黒天朱の盆ごと塩おにぎりの皿とすいとんの椀を蓬に渡すと、蓬は半信半疑といったように椀から手に取ってくれる。黒塗りの箸ですいとんをかき混ぜると、鼻を近づけて匂いを嗅いだのだった。


「本当に大丈夫だろうな。味覚も嗅覚もない状態で物を食うというのはかなり命がけの行為だ。生きるためとはいえ、人間は平気で食べているが、俺たち神には恐ろしくて口もつけられん。毒を盛られていても気付かないのだからな」

「毒も何も盛っていないので大丈夫です! そもそも私が料理を作っている間、ほとんどずっと見ていましたよね?」


 もし一服盛るとしたら蓬に釜を運んでもらっている間だろうが、あの時は切り火たちの目があった。さすがに切り火たちも主人の身に危険が迫ったのなら蓬に教えるだろう。そんな状態で何かを仕込むことは不可能に近い。


「それはそうだが……。お前の料理の腕前を知らないからな。セイのように極端に変な味付けをしているかもしれないと思うとだな……」

「こう見えても、家庭科の成績はそこそこ良い方でした! 今も自宅で自炊をしています。たまにですけども……」


 いじけたように唇を尖らせたからか、ようやく蓬は観念してすいとんの椀に口を付けてくれる。するとハッとしたような顔をしたかと思うと、すいとんが入った椀を覗き込んだのだった。


「どうしましたか?」

「……これには椎茸と小麦粉の生地しか入っていないな?」

「そうです。出汁をとった椎茸をそのまま具材にして、あらかじめ家で捏ねてきた小麦粉の生地のみ一口大にして入れます」

「椎茸の出汁……。それで鍋に入れた時に珍しい濃い茶色をしていたのか……」

「ただ椎茸の出汁だけだと、きのこ独特の風味と臭いがきついので、昆布でとった出汁も加えました。後は酒粕も少々」


 練習のために干し椎茸の出汁だけですいとんを作った時は、きのこ特有の土臭さに加えて苦味や渋味が濃厚でとても飲めたものではなかった。改めて調べたところ、椎茸の出汁というのはその独特の風味や臭いから基本的に炊き込みごはんや煮物に使われることが多いそうで、汁物として使う時は昆布出汁や鰹出汁と混ぜて使うものらしい。

 また椎茸出汁に含まれているうま味成分のグアニル酸と、昆布出汁のうま味成分であるグルタミン酸には、合わせて使うことでうま味を相乗させる効果があるそうで、うま味をより強く味わえるとのことだった。


「どうして酒粕が必要になる?」

「セイさんは神饌としてお神酒が入った汁物も作っていたんでしたよね? 本当はお神酒に使われていたお酒を買いたかったんですが、未成年なので酒類は買えなくて……。そこで同じ酒造会社で作っている酒粕を買ってきたんです。調べたら、セイさんの神社があった地域でお酒を作っていた杜氏の人は、数年前からインターネット限定でのお酒の販売に切り替えたそう、その商品一覧の中に酒粕が売られていたので購入したんです。人気の商品なので届くのに時間が掛かりました」


 近年の健康ブームの中で酒粕を使った料理やダイエットが注目されているが、その中でも古くから酒を醸造している蔵というのは市販のものよりこうじ菌を多く含んでいると考えられているらしい。そのため、注文しても数週間から数か月待ちというのは珍しくないようで、莉亜が今回注文した醸造所の酒粕も入荷待ちとなっていた。今回は運良く見つけてから数日で販売再開したのを見つけられたが、タイミングが悪かったら数か月は待つことになっていたかもしれない。


「先にすいとんに口をつけた。もうおにぎりを食べていいか?」

「どうぞ。ぜひ味わってください。セイさんのおにぎりを」

「お前の気持ちだけとくと味わおう。はぁ……ずっと味覚が無いと言ってるだろうに……これも騙されたつもりになれということなのか……」


 蓬はおにぎりを手に取り、様々な角度からおにぎりを眺めては異常がないか確認した後、ようやく口にする。一口食べた瞬間、蓬は目を見開いて肩を震わせたかと思うと、声を荒げたのだった。

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