第52話
「蓬さんの神力はおにぎりを作って誰かに食べてもらった時に回復するんですよね。作り手に関係なく。でもそれなら蓬さんが寝る間も惜しんでおにぎりを大量に作ればいいだけの話じゃないですか。誰にあげるとか関係なく、機械のように淡々と作り続ければ」
「それはそうだな。だがそれでは意味がなかった。誰かに作り、食べてもらうことで神力は回復した。自分で作って自分で食べただけでは、何も意味が無かった」
「そこがポイントなんです。誰かのために何かをする――誰かを想って料理をすること。それこそが蓬さんの神力が回復する仕組みだと思うんです。セイさんが蓬さんを想っておにぎりを作ってきたように、蓬さんも食べる人のことを想って料理を作ればいいんです。料理を美味しくする最高の隠し味は愛情って言われているくらいですから!」
「愛情……」
良い品質の材料、優秀な料理人、見た目が華やかで食欲をそそるような料理でも、そこに愛情がなければお店で売っている料理と変わらない。食べる相手を想って作った料理こそ人の心に響く。セイも言っていたように、料理に正解は存在しない。相手を想って作った分だけ料理は枝分かれする。その先で愛情という花を咲かせて、その愛情に感動した人が同じ料理を誰かに作ることで枝は伸びてその先でまた花が芽吹く。そうして料理は脈々と続いて行く。愛のない料理ほど誰の心にも残らず、人や時代の移り変わりと共に消えてしまう。往古から残り続ける料理というのは人の心を動かし、残り続けてきた料理なのだと思う。
神としての全てを失い、自分の姿や神名も忘れてもなお、蓬がセイのおにぎりをずっと覚えていたように――。
「その料理を美味しいか決めるのは味や技術、作り方ではなく、その料理にまつわる思い出らしいです。他の人が食べたら不味い料理でも、その料理や作り手との思い出次第では、どんな料理よりも美味しいものになるそうです。蓬さんもセイさんのおにぎりをしょっぱいと言いながらも、思い出の味として大切にしていますよね。セイさんに名前と姿を借りたままなのを後悔しているのと同じくらい、セイさんと過ごした時間や思い出を大切にしているから……。セイさんとの思い出が、おにぎりを美味しく感じさせるんです! 」
莉亜が蓬のおにぎりを食べて郷里の母が握ってくれたおにぎりを思い出して涙を流したように、思い出と五感というには直結している。
初めて食べた生のピーマンが苦くて嫌いになったのも、七五三のお祝いで祖父からもらった千歳飴が甘くて好きになったのも、学校の野外体験で炊いた飯盒のご飯を取り分けている時、煎餅のように固くなっている焦げ目が美味しくてこっそり食べていたら先生に怒られたのも、全て思い出と繋がっているから。
ピーマンの苦さ、千歳飴の甘さ、米の甘さとおこげの硬さといったように、印象的な思い出ほど五感が覚えていることが多い。
楽しい思い出、悲しい思い出、どういった内容の思い出かは関係ない。
人や神、あやかしといった種族さえも。
「思い出って、頭が記憶しているわけじゃないんです。心が覚えているから思い出らしいです。自分の名前や姿を忘れても、蓬さんがセイさんのことを覚えていられていたのは心が覚えていたからだと思うんです。蓬さんにとって、セイさんと過ごしした時間が何よりも心に響く思い出となったから。言い換えれば、セイさんとの思い出を想起させられるこのおにぎりを作った時点で、もう蓬さんはセイさんのレシピを完成させたことになっているんです。だからこそ蓬さんの神力は回復したんです。料理を提供したい相手と、その先にいるセイさんを想って作ったから」
蓬はセイのおにぎりのレシピにこだわり、セイのおにぎりそのものを再現できたら神力がもっと回復するだろうと考えていたのだろう。だからこそ自分が作るおにぎりではなく、セイのおにぎりに執着した。でもそれだと意味がない。
仮に蓬がセイのおにぎりを完璧に再現できたとしても、おそらく蓬の神力は回復しない。それは食べる相手のことを考えていない、ただの独りよがりの料理だから。
慣れないながらもセイのおにぎりをベースにしつつ、食べる人のことを想って蓬独自のおにぎりを作る。
それこそが蓬の神力が回復する仕組みなのだろうと、莉亜は考えたのだった。
「……つまり、セイのおにぎりは何も関係なかったということなのか」
「無関係というわけではありません。セイさんのおにぎりは蓬さんにおにぎりの作り方と新しい生き方のきっかけを与えたんです。セイさんと出会っていなかったら、蓬さんは今頃どうなっていましたか。セイさんが生きていた時代に消えていたかもしれませんし、力が回復しなくて今も眠っていたかもしれません」
「それは……」
「おにぎりの作り方を知らなかったら、切り火ちゃんや雨降り小僧ちゃんたちは今も行き場を失くしていたかもしれませんし、私だってホームシックが悪化していたかもしれません。おにぎり処を開店させようなんて思わなかったですよね」
今の莉亜が居るのは間違いなく蓬のおかげ。初めて出会った日、蓬のおにぎりは孤独を抱えて花見で賑わう公園を彷徨っていた莉亜の心を救ってくれた。
蓬が営むおにぎり処が無ければ、莉亜の心は擦り切れて、程遠くないうちに潰れていたに違いない。
「セイさんがきっかけでも、その後のことは全て蓬さんが始めたんです。蓬さんがセイさんの想いを継いだんです。それって新しい生き方だと思いませんか。与えられてきた豊穣の神が、与える側になったんです。全て偶然かもしれませんが、セイさんとセイさんが作るおにぎりと出会えたのは、決して無駄ではなかったと思うんです」
「セイは俺と出会ったことを後悔していないだろうか。俺と関わり、名と姿を借したことで、未来が閉ざされてしまったことを……」
「セイさんも蓬さんと同じくらい、蓬さんとの思い出を大切にしていますよ。恨んでいる様子は全くありませんでした。それよりも今を大切にして欲しいと言っていました。今の蓬さんはもう一人じゃないですから。それに蓬さんは神名を忘れてなんかいません」
「どういうことだ?」
「これも私の想像になりますが……。セイさんのことを後悔して嘆いて、自分のことを憎む内に、自然と自分に関する記憶を封じてしまったんです。忘れたのではなく、思い出すのも辛い記憶として。私たち人間も思い出すのが辛い記憶や悲しい過去は封印します。そうしないと生きていけないから……」
別れ、失敗、後悔、呼び方は色々ある。莉亜にとっては大好きな祖父との永訣がそうだった。
始まりがあれば終わりがある。そう頭では理解していても、心が納得できるとは限らない。そのため明日も生きられるように、辛く悲しい思い出には蓋をする。本人の意思とは関係なく。
いつか受け止められる日が来る、その日まで――。
「その中に蓬さんが隠そうとした神名についての記憶もあったんじゃないですか。そのきっかけを作ったのはセイさん。だからこそ記憶を封じてしまった」
「セイが神名を……」
「もしかしてセイさんは見つけていたんじゃないですか。そして蓬さんの神名について、何か話をしたんじゃないですか?」
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