第14話

「あれっ。さっきまでここにいたのに……。どこに行ったんだろう?」

「夢でも見たんじゃないか」

「でも、確かに今までここに居たのに……」


 すると店の奥からハルが歩いてきたかと思うと、カウンターの上にちょこんと座る。そして呑気に欠伸をして毛づくろいをする姿を見た莉亜はピンときたのだった。


「あっ! もしかしてハルが人になった姿を見たとか?」

「ハルは神使だが、元は人の世に生きる野良猫だ。あやかしじゃないから人に化ける力は持っていない。それより余った飯を使って握り飯を作る分には問題ないが、せめて清潔な状態は保ってくれ。こう見えて、ここは店だからな。衛生管理には十分に気を遣わなければならない」

 

 蓬は背中から風呂敷包みを下ろすと、購入してきた食材を冷蔵庫――これも蓬が自分の神力で電気を発生させているらしい、に入れていく。その間に莉亜が使った食器や調理器具を片付けていると、さっきまで静かだった炊事場の社から切り火たちが続々と出て来たのだった。


「切り火ちゃんたち、社に居たんだ」


 莉亜の言葉に切り火たちは不思議そうに首を傾げつつも、ぞろぞろと莉亜の元に駆け寄ってくる。複数で協力して自分の身体より食器や調理器具を戸棚に戻すと、米粒や塩が零れた調理台を拭き出す。切り火たちが掃除をする調理台に近づいてきた蓬は調理台に落ちていた塩を指で掬うと、何かを考えているようだった。


「おむすびを作っていたのか?」

「作ったのは私じゃないですが……。塩おにぎりを食べました」

「そうか……」


 蓬はそのまま店を開けるために身支度を整えに行ってしまったので、先程の青年の話も、蓬が何を考えていたのかも聞けないままであった。

 そうして莉亜も手伝っておにぎり処を開店して少し経った頃、本日最初の客が現れたのだっだ。


「ごめんくださいませ」

「これは金魚の。久しいな。こっちに戻って来たのか」

「いいえ。まだ人の世に住んでいますわ。実家に帰省したので、戻る前に立ち寄っただけですの。これよろしければ、実家で作っている青唐辛子の味噌ですわ。少々辛いものですが、お召し上がりくださいませ」

「ああ。感謝する」


 紺色に優雅に泳ぐ赤い金魚柄の小袖を着た妙齢の女性は親しそうに蓬と話す。赤と黒のチェック柄のエプロン姿の莉亜がそっと近づいていくと、女性は「あらっ?」と声を漏らしたのだった。


「どなたか雇われたのですか?」

「雇ったというよりは、ここを手伝ってもらっているというところだ。莉亜、彼女は金魚の幽霊というあやかしだ。久しく来ていないが、この店の常連だ」

「初めまして。莉亜です」

「莉亜さまですね。わたしは金魚の幽霊と申します。どうぞ、金魚とお呼びくださいませ。今は主人の仕事の都合で現世――人の世に住んでおります」


 金魚が袖で口元を隠しながら優雅に笑うと、頭の上で黒髪を結い上げていた金色の金魚飾りがついたびらびら簪も一緒に揺れる。金色の金魚が宙を泳いでいるようだと莉亜は思ったのだった。

 

「私たちの――人の世界にあやかしが住んでいるんですか!?」

「ええ。人に紛れて生活しているあやかしは多いのですよ。あやかしの世界は古の時代より、妖力の強いあやかしによる支配が続いております。鬼や妖狐、天狗などの強いあやかしはいいのですが、わたしのような弱いあやかしたちの中にはそんなあやかしたちの支配から逃れて、人の世に住んでいる者もおりますわ」

「あやかしも苦労が多いんですね……」

「わたしの場合は、主人が人の世に移住したあやかしたちが人間に悪さをしないように、監視する仕事に就いているからというのもありますが……以前はこの辺りの治安維持を担当していましたので、家族でよくここに来ていましたの」

 

 もしかすると、莉亜が気づいていないだけで、これまでも道端であやかしとすれ違っていたり、どこかで人に化けたあやかしと出会っていたりするのだろうか。人と同じように、あやかしにもあやかしなりの気苦労が多いのかもしれない。

 すると、金魚から受け取った青唐辛子の味噌を何ともない顔で味見していた蓬が声を掛けてくる。

 

「相変わらず塩むすびしか出ないが、食っていくか?」

「せっかくですが、家族が帰りを待っておりますので、持ち帰りで握っていただけます?」

「承った。切り火たちを呼んでくれないか。お前も用意を手伝ってくれ」

「はい」


 莉亜は戸棚からマンゴーのドライフルーツの袋を取り出すと、切り火たちに声を掛けながらドライフルーツを社の前に落としていく。莉亜の声とドライフルーツの音に気付いた切り火たちが社から出て来たのを見届けると、ドライフルーツを仕舞って竹皮の包みを用意する。


「どれくらい必要ですか?」

「とにかくたくさん用意してくれ。それが終わったら、今度は持ち帰り用の袋の用意だ。こっちも一番大きいものが数枚必要だ」

「すみません。うちは子供が多くて、大家族なのですわ」


 おにぎりを握りながら、もっと竹皮を用意するように指示を出す蓬に金魚が苦笑する。莉亜は「いいえ」と返すと、倉庫に行って蓬が人の世で買ってきたという白いビニール袋を手に持って来る。蓬が包み終わった竹皮を袋に入れていると、また引き戸が開いたのだった。

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