第15話

「よもぎにいちゃ~ん、りあおねえちゃ~ん。おなかすいたの~」

「あれ、金魚のお姉さんがいるの~」

「雨降り小僧の子供たち。見ない間に随分と大きくなりましたのね」


 いつもの雨降り小僧の兄弟は店内に入って来ると、莉亜たちには目もくれずに金魚の元に行く。常連客同士、顔見知りなのだろう。金魚が雨降り小僧たちに気を取られているのを見計らったかのように、おひつを混ぜていた蓬がこっそり莉亜を呼ぶ。


「莉亜、この飯を味見してくれないか? 金魚の主人用に用意したものだ」

「他と違うんですか?」

「塩の量を減らしている。金魚の主人は塩分摂取量を制限しているからな。他と違って、塩を減らしている」


 どうして蓬が味見しないのか気になりつつも、莉亜は言われた通りに味見をする。いつもより塩が少なく、米本来の味を強く感じたのだった。


「いつもよりしょっぱくないので、これで良いと思います」

「助かる」


 すぐに蓬は金魚の主人用のおにぎりを握り始める。その間に莉亜は雨降り小僧たちに出す煎茶の用意をしようとしたところで、金魚から貰った青唐辛子の味噌がカウンターに放置されていることに気付く。その時、この味噌を味見していた蓬の姿を思い出す。


(蓬さん、平気な顔をしていたけど、辛くないのかな……)


 実家に住んでいた時に莉亜も母が作る青唐辛子の味噌を使った焼きおにぎりを食べたことがあるが、ほんの少し舐めただけでも口の中がヒリヒリと焼けるような痛みが走った。水も飲んでも辛味は消えず、しばらく強烈な刺激に悶え苦しむことになった。

 けれどもさっきの蓬の反応を見る限り、とても辛さに藻掻いている様子はなかった。辛くない青唐辛子の味噌もあるのだろうか。金魚も「少し辛い」と言っていたので、莉亜が想像しているより辛くないのかもしれない。それとも蓬が辛味に強いだけだろうか……。

 莉亜は蓬や金魚たちが見ていないことを確認すると、ほんの少しだけ小指で掬って舐める。すると、想像を遥かに上回る青唐辛子の強烈な辛味成分に口中を支配される。のた打ち回りそうな辛さに涙が溢れてきたのであった。


(か、からっ~!?)


 慌てて水道を捻って水を口にするもののそれでも口の中は未だ痺れており、涙は止まりそうになかった。とりあえず、お茶の用意をしようと涙を拭いていると、竈の火を調整しながら切り火たちが心配そうに見つめていた。莉亜は片手を上げると、大丈夫と合図をしたのだった。

 

(ちょっと舐めただけでこんなに辛いって……。蓬さんは平気なの!?)

 

 涼しい顔でおにぎりの用意をする蓬の横顔を盗み見る。さっき金魚の主人用のご飯の味見を頼んできたのは口の中が辛かったからだろうか……。そんなことを考えていると、切り火のひとりが莉亜の身体によじ登ろうとする。掌を差し出すと、慣れたように切り火が飛び乗ってきたのだった。


「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だから……」


 切り火が指したのは冷蔵庫だった。そこに連れて行けということなのだろうと、莉亜は冷蔵庫の扉を開ける。切り火は冷蔵庫内に飛び乗ると、牛乳が入った瓶の前まで走って行ったのだった。


「牛乳……を飲めばいいの?」


 切り火が何度も頷いたので、莉亜は牛乳を取り出して蓋を開けるとコップに注いで呷る。まだ少し残るものの、口の中を刺すような刺激が鳴りを潜めたのだった。

 再度切り火に礼を言おうとするが、いつの間にか竈に戻ってしまったようで姿を見つけられなかった。その代わりに金魚から代金を受け取る蓬の目を盗んで、調味料棚を悪戯するハルの姿を見つけたのだった。


「ハル、駄目よ! 悪戯したらっ!」


 莉亜は調味料棚に近づくと、ハルを引き離そうと身体を持ち上げる。しかしその際にハルの尻尾が当たってしまったのか、調味料棚に置いていた塩や砂糖などが調理台や床に中身をまき散らしながらひっくり返ってしまったのだった。


「ああっ!」


 ハルを床に下ろすと、すぐに調味料棚を元通りに直して、雑巾で調理台を拭き始める。すると、蓬が「どうした!?」と血相を変えて戻ってきたのだった。


「すみません。目を離した隙にハルが調味料棚を悪戯してひっくり返ってしまって……」

「ここは俺が片付ける。お前はハルを外に出してくれ」


 莉亜は店内を隈なく探して座敷席の下で丸くなっていたハルを見つけると、店の外に連れて行く。戻った時には蓬は雨降り小僧たちに煎茶を出して、味噌汁を仕上げているところであった。


「ところで蓬さんは辛い物が平気なんですか?」

「何故だ」

「さっき金魚さんからいただいた青唐辛子の味噌を味見していましたよね。あれ、少し食べただけでもとても辛かったのですが……。牛乳を飲まなくても平気なんですか?」


 その言葉に蓬は鍋を混ぜる手を止めると大きく目を見開く。何度か瞬きを繰り返すと、「そうだな……」と小声で話し始めたのだった。


「辛い物は……平気だな」

「そうですか。でも無理しないでくださいね。さっき青唐辛子の辛さに悶えていたら、切り火ちゃんに牛乳を飲むように勧められたんです」

「そうさせてもらおう」


 莉亜と話しながらも、蓬は調味料棚から塩を取り出して味噌汁を整える。お玉でかき混ぜた後、小皿によそって味噌汁を味見していた。

 どうやら今日の具材は絹豆腐と油揚げの味噌汁らしい。見ているだけで莉亜のお腹が鳴りそうになる。そこに追加の米が炊けたのか、蓬は鍋の火を消すと竈に向かったのだった。

 その背には後ろめたいことがあるのか、隠したいことがあるのか、どことなくいつもと違う雰囲気が漂っているような気がしてしまう。

 ――意図的に話を逸らされたような、何とも言えない気持ちになったのだった。

 気になるものの、また新しい客が入店して忙しくなってしまったので、結局この時はそれ以上の追及が出来なかった。

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