第29話 特徴19:社会=世の中の厳しさを連呼する

 無能は無能なりに、自分の生きている社会について考えています。

 それは、誤解なきよう、最初に述べておきましょう。

 そして、彼らはその世の中というか社会を、「厳しい」と述べている。

 そう述べることで、そんな社会で頑張る自分を褒めておるのかな。


 一言。

 厳しいのは、な、オドレの能無し加減やで。

 勘違いするな!

 社会の厳しさなどホザくヒマと減らず口があったら、対応策をきちんと述べよ。

 あ、出来ねえから、無能なのね。


 そう、そういうことを言っておることで、今風にゆうところの、昔流に言うと「今様」な表現を使うと、こうやな。


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 そんなところでしょうか。


 しかし、よく考えてみなよ。

 社会が「厳しい」ものだろうが「緩い」ものだろうが、「激辛」なのかはたまた「甘口」なのか、あるいははたまた「中辛」なのか知らんが、それ皆、オドレの価値判断に過ぎんやろ。

 その価値判断は、万人に共通するとでも思っているのだろうな。

 少なくとも、相手はまだ子供だからわからないんだ、くらいに、思っているの?

 じゃあ、それは、「子どもだまし」だな。

 オドレの発想など、もうとっくにお見通しや。


 ここにも、無能の無能たるゆえん、前からかねて述べておる「主観」だけで生きている姿が端的に表れておりますね。

 そんな人間に、社会を生き抜く対応策など、出てくるわけもない。

 気休めごかして、「辛抱じゃ」とか何とか、昭和のロートルのような寝言を並べて、それをありがたがってくれると思ったら、大きな間違いやぞ。そんなものは、わしが生まれた昭和40年代あたりなら通用したかもしれんが、昭和末期のわしに通用したわけもなかったわな。まして、今どきの若い人らに通用するわけもねえよ。

 で、テメエの能力がねえもので、相手にもされねえから、実は無能は、群れているように見えても、実態は、「孤立」しているのよ。それに気づけないのは、ある意味幸せなのかもしれないが、何とも、情けない話だねぇ。


 その逆に、わしの動きは無能能無しのアホどもから見れば「孤立」「孤独」のように見えるのだろうが、その逆で、人とのつながりというものを真剣に考えて、それをいかに維持し、厚みをつけていくかを、常に考えておる。

 もっとも、そんなことに気付かないのが、低能無能の低能無能たるゆえんだけどな。


 出来損ないの社会観を述べるヒマと減らず口があったら、テメエの人生、無能なりにボンクラなりに、真剣に考えやがれ!

 家族で群れて程度のちんけな価値観なんぞ、そこらの雑魚どもには通用するかもしれんし、してきたかもしれんが、このわしの前では、一切通用しねえぞ!


 こういうと、わしにぜひ話を聞きたいとへらへらと寄ってくる無能もおるが(しおらしくなるのよ、ちょっと強気に出るとね、無能って、よう・・・)、はした飯やはした酒程度で話してやる気なんか、ねえよ。残念だけどな。

 金、持って来いよ。


 わかったか!

 わかったら とっととさがれ 無礼者!

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