第25話 群れれば寂しくないというおめでたさ
目の前に人がいないから、寂しい。
それを防ぐには、誰かいるような状態にすれば、いい。
かくして、人と群れていれば、寂しくない。
このおめでたさが、無能の無能たるゆえんです。
なぜか。
孤独に耐える強靭な精神力がないから。
それを見につけようとも思わないから。
その場限りでダラダラ生きていく方が、楽だから。
決定打として、向上心などというものがないから。
以上。
それで終わりたいけど、そうもいかんので、続けます。
まず、わしは何でもかんでも一人ならええといっておるのでは、ないよ。
そこは、勘違いするなってこと。
きちんと導いてくれる人に出会うことは、大事です。
そういう人とお付き合いすることこそが、大事なのです。
無能は、ほおっておくと極端にとぼけたこと言い出すからね。
そこは、きちんと述べておくよ。
そして、無能は群れるのです。
それだけではない。
自分やそこら適用させていればいいものを、人にも押し付けてくる。
そして、見境なく、群れさせるのです。
前者はまだカラスの勝手で済ませても、よい。
当方に害のない限り。
しかし、後者は、そうもいかん。
当方に害が及ぶようであれば、妨害排除もやむなしである。
もちろん、現実に害が及べば、即座に排除されねばならん。
で、当の群れさせる手合いについて。
その手合いのやることといえば、せいぜい、犬猫のじゃれ合いレベル。
そんなものを「子どもらしさ」とか、美化する言葉は超一流。
それとか、「みんなで共同生活」とかな。
そんな情緒論を述べていた無能も、いたもんだな。
そんなことで、ひとり立ちなどできるわけもねえよ、ボケカスが!
その場のその場限りくらいなら、それでも、何とかなるかしらん。
だが、そんなものが・・・、
それこそ、社会で通用しているわけも、ないわな。
こっちは、初めからそれを目指して人とのつながりを作っておった。
そのことがまあ、ろくすっぽわかっとらん無能が、多かったな。
そんで、そんな無能に限って、ホザく、ホザく。
「そんなことでは、社会に出て通用しない」
なのだそうです。
さぞかし、ご立派な社会とやらにご所属なさっておいでなのでしょうな。
ならば、こちらから反撃して差し上げておこうかね。
オドレらのホザく社会などで通用しても、クソの役にも立たねえよ。
少なくとも、わしは、な。
もちろん、わしの周りの人らにも、通用なんかしねえよ。
残念だろうが、それが「現実」や。
おまえらの大好きな言葉やな、その「現実」ってのも、よう。
まあええけど、さぁ・・・、
そんなことも、わからんのか、この雑魚共が!
あ、雑魚だから、わからんのか。
うん、それも、そうで、あるな。
理解不足のわしが、悪かった。
すまんすまん。
とまあ、これだけ罵声を浴びせておいたら、少しは総括できたかな。
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