第24話 特徴16:退屈は敵。群れるためならエンヤコラ

 無能にとって、「退屈」というのは、死ぬほど恐怖なのです。

 ようわからんけど、どうも、そのようです。

 わしの辞書にはそんな寝とぼけ言葉の記載は、ないよ。

 さて、それでもって、「退屈」などという言葉をホザく無能の特徴。

 一つ、ここで披露してお見せしましょう。


 まっとうな思考ができない。

 物事の調査能力がない。

 したがって、妥当な、さらにはそれを上回る判断などできっこない。

 でも、思ったこと、感じたことだけ大事にしていれば、生きていける。

 目先の人間と群れ合うことこそ、社会性。

 そういう人間に対する優しさが、人間性。

 その両方もないようでは、社会に出て通用しない。


 なんだってよ。

 その程度の浅知恵で、社会性が真に養われるはずもねえけど、彼(彼女)らは、低能、おっと、無邪気にも、それを真に受けて信じているのね。


 何もすることがないのは、退屈だ。

 だったら、何かすればいい。

 群れさせて何かをすればいい。

 みんなでやれば、楽しいじゃん。


 ま、その程度のノリかな。


 さて、そうは申しても、いつも何かをしていくわけにもいかんわな。

 やる方も疲れる。

 だけど、ここぞとばかりに、かれやこれやと、行事とも何ともつかぬことを思いついては(企画しては)やらかす。

 とにもかくにも、みんなといっしょって、いいよね。

 ってこと、らしい。

 まあ、無能の浅知恵、極めにまできわまってはおるけどさ。


 さて、そんなことを延々積み重ねた挙句に、どうなる?

 テメエの身内ばかりでそんなことばっかりやらかして、何の社会性が身に着くか?

 まあ、それが「家庭」というものを持った時に云々、ってことらしいよ。

 だけどなあ、それ以前に、ひとりで暮らしていかねばならんのよ。

 その延長の上に、家族を持つということはあるかもしれん。

 だが、ひとり立ちもできてねえで、何が家庭だ、家族だ。

 笑わせるなよ。


「退屈」などという寝言が出るのは、真剣に自らのことを考えていない証拠である!


 そういうことも理解できねえで、「退屈させまい」とばかりに群れさせて、それで社会性が身に着くと思っていた昭和の盆暗偽善福祉関係者どもには、今もって、心底虫唾が走りますな。

 そんなんだから、そんな場所に、優秀な人材なんて、来るわけ、ねえだろ。

~もちろん、そうでない人もいらっしゃったから、そこは、誤解なきように。


 もっとも最近は、かなり、変わったようだけどね。

 だけど、それで免罪符になると思ったら、大きな間違いだ。

 過去は、「総括」せなあかんぞ。

 たとえ、それで人を殺すような結果になったとしても、である。

 そのくらいの覚悟で、わしは、物書きをやっておるのです。

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